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「らちがあかないから警察呼びますか?」
塔子が泥棒を追いかける姿は監視カメラに残っているだろう。スマホを取り出すと両親のテンションが下がった。
「警察なんか……せっかくの休日が台無しになるじゃないか」
「じゃあ、玩具の弁償だけでいいわ。三千円くらいだから」
母親がレシートを出して塔子に見せた。妥協してあげたといった口振りに腹が立つ。
「私が払う義理も義務もないです」
「なによ。たったの三千円でしょ。そんな高い靴買えるくせにケチくさい」
「たったと言うなら他人にたからないでください」
「あんた、独身でしょ。親になるって大変なのよ。ほしい服を我慢して外食も慎んで子供のために使うんだから。贅沢なんかできないんだから」
父親が舌打ちをして塔子を睨んだ。
「俺なんか三年も新しい服買ってもらえてねえんだぞ。いいご身分だな」
塔子たちを囲む野次馬は家族に同情する気配があった。子供が可哀想だと呟く声も。新しく輪に加わった人は塔子が玩具を壊した犯人だ勘違いして「ごねてねーで払えばいーのに」と聞こえよがしに言葉を投げてくる。
壊したのが自分ならばもちろん払う。深々と頭も下げよう。しかし同情はしても払う気にはなれない。その理由は母親の下半身にあった。それを見てしまった塔子の脳内にアドレナリンがどばどばと溢れた。
「人のこと言えます? そのパンツ、四万円じゃない」
母親はぎくりと顔を強張らせた。
「そ、そんなわけ……」
「そういや、見たことないな。いつ買ったんだ?」
父親が軽い調子で訊ねる。
「昔のを引っ張り出したのよ」
「昨日でしょ。店の人が昨日売れたって言ってたもの」
塔子が店の名前と掲載誌名を告げると父親は真顔になった。
「その雑誌、おまえがよく見てるやつだよな」
「ち……違うって」
「風呂やトイレを掃除するときに頭に輪っかつけてるだろ。あれも高いんじゃないのか」
「あれはティアラよ。コスプレ用の安物」
「ほんとかあ?」
たわいもないやり取りが続く。思わず口を挟んだ。
「そのパンツを選ぶなんてセンスいいじゃない。コーディネートばっちりだし、よく似合ってる」
「あら。そ、そう? ありがと」
みずから暴露したも同じだが、それでも褒められて嬉しそうな表情の母親は憎めなかった。それどころか塔子より片手くらいは年上だろうに、雑誌に載っていたモデルと遜色がない眩しい笑顔だ。
「ティアラもいいアイデアね。気分を上げないとやる気が出ないんでしょ。自分で自分の機嫌を取るのは大事よね」
「そ、そうなのよ、そのとおり!」
塔子と母親が意気投合すると、父親は呆れたように肩をすくめた。
「じゃ、そういうことで、さよなら」
「あ、おい……!」
いい頃合いとみて、塔子は家族のもとから駆け去った。
寿司屋に戻ろうとしたら、レストラン直通のエスカレーターが長蛇の列になっていた。そばの階段を急いで駆け上がる。
上りきったところでふと気が抜けた。
「ふう、……えッ」
視界がくるんと回る。何もないところでつまずいたのだ。
型崩れしたスニーカーのつま先が下を向いていたことと、疲れて足が持ち上がらなかったことが原因だが、このときは因果を考える余裕はなかった。
階段を転げ落ちるあいだ、心の内でスニーカーに謝り続けた。ハイヒールに浮気してスニーカーを顧みなかった自分を許してくれと祈った。とどめにパキッと嫌な音がした。
職場への連絡もろもろを済ませたあと、寿司屋の電話番号を調べた。状況の説明と謝罪をして、金額と振込先を聞いた。送信完了したとたん、萎むように脱力して足下に自然と目がいった。
左足首は剥離骨折でギプスを、右足首は裂傷で包帯が巻かれている。腫れがひくまでギプスができないと言われた。病院に入院して二日目である。ギプスは塔子の足にぴったりと固定されている。これこそ本物のシンデレラの靴だ。
肺から空気が抜け、「ほあああ」と変な声が出た。
右足で立つことができるようになると、
「そろそろ、リハビリ室に行きましょうか」
看護師に付き添われて、車椅子でリハビリ室に向かった。松葉杖の調整をするためだ。
不思議なものだが、こんな不自由な状態でありながら、機嫌はけして悪くなかった。入院初日こそは自分のふがいなさを呪ってみたものの、他人の世話に頼る身となってみれば、機嫌を損ねているわけにはいくまい。
と分析してみてたが、どうやら違うようだ。
見えている世界が一変した、というほうが実感に近い。ご機嫌って、頑張って自分で取らないといけないものなのか。ご機嫌が悪いと税金が高くなりでもするのか。常にポジティブでいないといけないという圧力に服従していたんじゃないか。
そう疑問に思ったら、とたんに楽になった。
ポジティブこそ理想というゴキゲン教の信者はやめだ。
だけどときどきは、ご機嫌を取るという言い訳をしてでも、病院の売店でハーゲンダッツのアイスを買って、病室でゆっくりと味わうくらいはするけど。アイスを食べると骨のくっつきが早くなるわけでもない。カルシウムは多少摂取できるかもしれない。不自由をどうにかできるわけでもない。でも美味い。それで充分。
「無理しないでいいですよ。右足、まだ痛むでしょう」
リハビリ科の先生はいつもにこやかだ。頭が下がる。
病室に戻って、個人用ロッカーに入っている荷物を引っ張り出した。袋から靴箱を取り出し、そっと取り出す。よかった。もはや色あせて見えるのではと心配したが杞憂だった。
今の自分には無用の長物である高価な靴。だけど、私の所有物になり、私のためだけに存在している。それで充分だった。
儀式のように箱に戻し、紙袋に入れて狭いロッカーに恭しく閉じ込めた。




