第5章 暗転
空美に見つかると面倒くさいことになるだろうなという意見が一致した天崎と月島は、ひとまず一年生と二年生の教室がある校舎へと戻っていた。そこで軽く見て回った後、時間を置いて再び三年生の校舎へと足を運ぶ。幸運にも、空美の姿はすでに見当たらなかった。
そのまま三年生の催しを見学していると、唐突に天崎のスマホが震えた。
メッセージの送り主はリベリアだった。
「なんだあいつ、もう帰ったのか。……って、もうこんな時間かよ!」
「わっ、本当だ」
慌てて時間を確認した月島も、たった今気づいたように驚いていた。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。その言葉が間違いないのは実体験として知っていたが、なんやかんや言いながら月島と一緒にいることが楽しいと気づき、天崎は照れ臭そうに鼻の頭を掻いたのだった。
「円はまだ接客してるようだし、そろそろ戻ろう」
十二時から一時の間は昼休みのため、体育館内でのスケジュールはない。つまり外来の客は校外へ昼食に行くか、各クラスの出し物を見学し始めると予想ができる。
しかも天崎たちのクラスは、昼食時にもってこいの喫茶店だ。午前中よりも、多くの客が足を運ぶだろう。クラスメイトがてんやわんやしている中、誰かが円の面倒を見るわけにもいくまい。
「そうだね。戻ろうか」
月島も了承する。
ただ彼女の表情は満足そうでもあったし、どことなく残念そうでもあった。
「じゃあ私、ちょっとお手洗いに寄ってくね」
「分かった。俺は先に行ってるよ」
月島と別れた天崎は、一人で教室へと足を向けた。
一階の渡り廊下を通って、自分のクラスがある校舎へと向かう。
人通りはそこそこ。正午を過ぎれば、もう少し混雑してくるだろう。
そうなる前に、早く円を迎えに行かなければ。
天崎は腕時計を確認した。
短針が、長針が、そして秒針までもが頂上に到達する。
その瞬間、楽しかった学園祭は終わりを告げた。
「――――ッ!!?」
自分の大切な物が、頭のてっぺんから抜けていく感覚。まるで残量の少ない歯磨き粉を絞り出すかのように、熱い何かが下腹部から上半身へとせり上がってくる。脱力した両脚は自身の体重を支えきることができなくなり、思わずその場に膝をついてしまった。
突然起こった身体の異変に、天崎は混乱する。ただこの感覚は、以前に一度だけ味わったことがあった。
月島の魂を追いかけるため、幽体離脱をした時だ。
しかし眠りながら魂を離脱させたあの時とは違い、今は巨大な掃除機に無理やり吸い上げられているよう。経験したことのない不快感が全身を巡っている。が、これは間違いなく魂が肉体の外へと出ていく感覚だった。
「……いったい……なにが……」
呼吸を荒くさせながらも、天崎はなんとか持ち堪える。
だが面を上げ、目の前の光景を目の当たりにして、背中に寒気が奔った。
「なんだよ……これ……」
ほんの十秒前まで元気にすれ違っていた生徒たちが、全員床に倒れていたのだ。まるで糸が切れたマリオネットのように放り捨てられ、ピクリとも動かない。遠目からでは判断できないが、もしかしたら呼吸すらしていないんじゃないかと思ってしまうほど、微動だにしていなかった。
意識のない生徒たちを見て、天崎の脳裏にとある可能性が浮かんだ。
もしかして……ガス漏れか何かか?
そう思うやいなや、ポケットからハンカチを取り出して鼻と口を覆う。生徒たちが倒れた原因は不明だが、何もしないよりはマシだ。
次に天崎は震える脚を引きずり、渡り廊下で倒れている女子生徒の元へと寄った。
どうやら微かに呼吸はしているみたいだ。ただ意識のないその表情は、特に苦しそうではなく、むしろ心地よい夢の世界へと身を投じているよう。それはまさに、天寿をまっとうした死人のように安らかな寝顔だった。
息があることにひとまず安心したものの、この後どう行動すればいいのか判断ができない。
身体を揺さぶって強引に起こしてみる? 倒れた原因も分からないのに、変に動かすのは危険だ。
安全な場所へ運ぶ? どこが安全でどこが危険なんだ? そもそも本当にガス漏れなのか? 屋外の渡り廊下で倒れている生徒もいるのに?
そうだ。まずは周囲の状況を把握するべきだ。
様子を診ていた女子生徒をその場にそっと寝かせた天崎は、ゆっくりと立ち上がった。首を回して、周囲を大きく見渡してみる。生徒たちが倒れていること以外、特に変化があるわけではなさそうだったが……。
ふと背後から足音が聞こえ、天崎は慌てて振り返った。
校舎と渡り廊下の境に、しっかりと自分の足で立つ一人の男子生徒がいた。
「お前は……」
どこかで見たことのある顔だな。そう疑問を抱くのと同時に、天崎は瞬時にその男子生徒のことを思い出した。
会ったのは昨日。下校の際、校門脇で蹲っていた男子生徒だ。
両目が隠れてしまうほど長く伸びた前髪に、青白く痩せこけた頬。学園祭というお祭りの中でもきっちりと学ランを整えているその姿は、とても特徴的だった。
「ちょうどよかった! とりあえずこっちへ来るな! 職員室へ行って、何人か生徒が倒れてるって伝えてくれ。救急車を呼んだ方がいいかもしれない!」
天崎の背後から現れたこの男子生徒は、おそらくたった今校舎から出てきたところなのだろう。体調を崩していない様子を見るに、もしガス漏れか何かなら建物内には充満していないはず。ならば不用意にこちらへ来させるのは得策ではないと、天崎は判断した。
そして遠回りをしてもいいから、早くこの事実を職員室にいる教師に伝えてほしかったのだが……。
その男子生徒はポケットに両手を突っ込んだまま、一向に動こうとはしなかった。
様子のおかしい男子生徒に対し、苛立ちを通り越して怪訝に思い始めた天崎は、再度懇願するため口を開く。しかし男子生徒はそれを遮るようにして、小さく呟いた。
「職員室の先生たちも倒れてますし、救急車を呼んでも対処できませんよ」
「はっ?」
あまりに突拍子のない返答だったからだろう。男子生徒の言葉は、何一つ天崎の頭には入ってこなかった。
先生たちも倒れてる? 救急車でも対処できない?
頭の中で彼の言葉を何度も反芻していると、男子生徒は天崎に向けて恭しく頭を下げた。
「はじめまして。……昨日も顔を合わせたので初めてというわけではありませんが、まぁいいでしょう。僕は石神照樹と申します。以後よろしくです」
「自己紹介してる場合じゃないだろ……」
呆れているというよりは、唖然としたまま天崎は指摘した。
にしても、どうしてこの男子生徒……石神は、こうも冷静でいられるのだ? 彼にも数人の生徒が倒れている光景が視界に入っているはず。普通は人を呼んでくるか、そうでなくても取り乱すくらいはしそうなものだが……。
「冷静に考えたらすぐに思い至ると思いますが、大勢の人間が急に倒れたら冷静でいられる方が難しいですよね。だから早々に解答を渡します。僕がまったく焦っていない理由は、こうなることを知っていたから。というよりも、僕が彼らの魂を抜いた犯人なんですよ」
石神が早口ということもあるだろうが、それを抜きにしても天崎の理解がまったく追い付いていない。ただもっとも聞き取りやすい言葉尻に不可解な単語が出てきたため、天崎は理解できないなりにオウム返ししていた。
「魂を……抜いただと?」
「えぇ。実は僕、死神なんです。これに関しては元の姿を見せた方が早いかもしれませんね」
天崎が瞬きをした、まさに刹那の出来事だった。まるで映像のコマを差し替えたような早さで、石神の服装がまったく違うものへと変化する。
普通の学ランから、ボロボロの布切れを羽織っただけのような姿へ。服とは到底呼べないみすぼらしい身なりであり、頭と両手以外は一切外部に露出していない被覆性が保たれている。
また色は学ランと同じ黒ではあるが、あらゆる光を呑み込んでしまうその暗闇の純度は、一般的な『黒』とは別次元だった。
最後に、石神の身長以上もある巨大な鎌が、何もない所から彼の右手に現れた。
「どうです? 僕が死神だって、少しは信じてくれましたか?」
「…………」
信じるも何も、別に疑ったわけではない。それに死神の存在は知識として知ってはいるものの、天崎は今まで実物を目にしたことがないのだ。故に、石神のそれらしい姿が本物かどうかは判断できなかった。
いや、そもそもだ。石神は何故、自分の素性を明かしたのだ?
……全然ダメだ。どんな事実を突きつけられても、何一つ理解をすることができない。
しかめっ面が露骨に表へ出るほど混乱しているのにもかかわらず、石神は無慈悲にも現状の説明を始めた。
「この高校に結界を張りました。大きさは校舎と校庭を含めた敷地全体、半球のドーム状の空間となっています」
「……結界?」
「この結界内にいるすべての人間の魂を、肉体から引き剥がしました」
「…………」
まるで録画でも観せられていると錯覚させられるほど、石神は淡々と言葉を紡いでいく。天崎の理解など完全に無視だ。声の抑揚も表情の変化もなく、起こった出来事をただ事務的に説明するのみ。
「天崎先輩にも視えるはずですよ。ほら、そこら辺に人間の魂が浮いています」
そう言った石神は、そこで初めて陰鬱そうな顔以外の表情を浮かべた。口の端を吊り上げる皮肉を含んだような笑みを見せながら、天崎の頭上の辺りを指で差す。
釣られて見上げた天崎の目に、異様な物体が映った。
人の頭部ほどの大きさの白い物体が、風船のようにふわふわと浮かんでいた。
しかも一つや二つではない。首を回して確認する限り、渡り廊下周辺には約二十個ほどそれが漂っている。
「なんだ……これ?」
「それが人間の魂です。人魂と言い換えても構いません」
呼び方などどうでもいい。というよりも、天崎の耳には届いていなかった。
現状、自分が目にしている光景と、石神の口から出てきた単語を頭の中で無理やり関連付ける。まだまだ分からないことだらけだが、あらゆる可能性の中で一番事実に基づいた解答を釣り上げた。
苦悶に満ちた表情で、天崎はゆっくりと問う。
「少し……確認させてくれ」
「どうぞ」
「お前は死神で、生徒たちが倒れている理由は魂を抜かれたから。そしてそこら辺の空中で漂ってる白い物体が、倒れた人たちの魂……ってことでいいんだよな?」
「理解が早くて助かります。ちなみにこの渡り廊下だけではなく、学校内にいるすべての人間の魂が校内中を漂っています」
石神を睨みつけながら、天崎は聴覚に神経を集中させた。
確かに、異様なほど静かだ。学園祭というお祭りの最中にもかかわらず、話し声や足音などがまったく聞こえない。すべての人間かどうかは確認するまで分からないが、おそらくこの渡り廊下のような惨状が、学校中で起きているのだろう。
確認しに行きたいのはやまやまだが、その前に一番大切なことを訊かねばならなかった。
「魂を引き剥がしたってことは、つまりお前が……殺したってことなのか?」
「うーん。その表現は少し分かりづらいですね。その質問に答えるなら、まず死の定義を定めなきゃ……」
「屁理屈はいい。答えろ」
ドスの効いた声で、天崎は石神の言葉を遮った。
石神は特に怯んだわけでも気分を害したわけでもなく、まるで用意してあった台本を読み上げるように平然と答えた。
「まだ誰一人として死亡していません。ただ、このまま魂と肉体が引き離された状態が長引けば危ないかもしれませんね。肉体の方も、魂を失ったままいつまでも生きていけるわけではありませんので」
まだ死んでいない。という回答を耳にし、天崎はわずかばかり安堵した。
しかし気を抜くわけにはいかない。石神の言葉を信じるならば、こうなった原因は今まさに目の前にいるのだから。
「お前の目的は何だ? なんで校内中の人間の魂を引き剥がした?」
「ふふっ」
切羽詰まった天崎の問いに、石神は何故か息を吐き出すような小さな笑い声を漏らした。さすがに笑われた理由が分からず、天崎は無言のまま睨み返す。
「いえ、失礼しました。そう怖い顔をしないでください。僕はただ、天崎先輩が場慣れしてるなぁって思っただけですから」
「なんだと?」
「普通、僕の目的とか訊きます? もし一般人が天崎先輩と同じ立場に立たされたら、未だに状況が呑み込めず、もっと混乱してると思いますよ。それだけ天崎先輩は、訳の分からない状況に身を投じる経験が豊富ってことなんですね」
「…………」
指摘され、確かにそこまで混乱していない自分に気づいた。
また何か変な奴が現れて、自分勝手な事件を引き起こした程度にしか思っていない。天崎が焦っている理由は、目に見える被害の規模が、今まで体験してきた中で一番大きいと感じていたからだ。
ただ石神は、天崎の質問に答えたくないがために話を逸らしたわけではない。むしろテンポよく事を運べることに満足しているのか、意気揚々と答えた。
「天崎先輩。僕とゲームをしましょう」
「ゲーム……だと?」
「はい。ゲームというよりは、賭けに近いですかね。天崎先輩には、学校内で倒れている人間たちを救っていただきます」
何やら不穏な予感しかしないが、相手は今まで一度もお目にかかったことのない死神という種族。どんな能力を隠しているか分からないため、迂闊な行動はできない。今はただ、石神の言葉に耳を傾けるのみ。
「そこら辺に人間の魂が浮いてるでしょ? それらを正しい人間の中に収めれば、ちゃんと復活できます」
「助かるのか!?」
「もちろん。そうでなきゃ、ゲームになりませんから」
石神は頑なにゲームという言葉にこだわっているようだが、人の命が懸かっているこの状況をゲームとして認識することは、天崎には到底できそうになかった。
「けど、魂を肉体に収めるなんて、いったいどうやって……」
「それはこれを使います」
と言って、石神は纏っている漆黒の布切れの中から何かを取り出した。
それを天崎の方へと放る。床に落ちたそれは、見た目はただの薄汚れた軍手だった。
「死神の皮でできた手袋です。それを身に着ければ、浮いている魂を掴むことができますよ。試しに、そこにある魂に触れてみてください」
手袋を拾い上げた天崎は、疑いながらも近くにある魂へと触れてみた。すると魂はまるで磁石のように手袋の方へと引き寄せられ、手の中で煌々と輝き始める。
「では次に、その魂を近くで倒れている女の子へ当ててください。あ、ちなみに人間の魂ってけっこう脆いので、できるだけ丁寧に扱ってくださいね」
念を押すように言う石神の言葉に戦々恐々となりながらも、天崎は言われた通り倒れている女子生徒へと魂を近づけた。
そのまま手の平の液体を溢すように、女子生徒の頬へと滑らせる。
しかし魂は彼女の肉体へ収まることはなく、身体をすり抜けてしまった。
「あらら、残念。その魂は、彼女の物ではありませんでした」
おちゃらけた言い方が癇に障ったのか、天崎は無言で睨みつけた。
石神はおどけたように上半身を仰け反らしただけで、特に怯んだ様子はない。
「今度はそちらにある別の魂で試してみてください」
反論することもできず、天崎は今と同じ工程を踏む。
すると今度は、魂が女子生徒の頬に触れた瞬間、自動的に口の中へと吸い込まれるように消えていった。
「消えたぞ!」
「やりましたね。今のがその女の子の魂だったわけです」
「この生徒は……助かるのか?」
「えぇ、ちゃんと生き返りますよ。ただ意識を取り戻すのは、もう少し時間が必要ですが」
たった一人ではあるが、とりあえず命を救えてよかった。
だがホッと一息ついたのも束の間、石神の言うゲームとやらの趣旨を理解し、天崎の背中に寒気が奔った。
「まさか、ゲームって……」
「お察しの通りです。今の女の子と同じように、校内で倒れているすべての人間を助け出してください」
いったい今、校内にどれだけの人間がいるのか。
一学年約三百人。それが三学年。つまり生徒だけでも九百人くらいはいることになる。そこに教師や外来の客なども合わせると、おそらく千三百人から千四百人くらいになるだろう。
ただ学校の敷地内という狭い空間限定ならば、そこまで非現実的な数字ではない。
希望の光が見えた。が、石神の口から紡がれた一言で、一瞬にして絶望へと転落する。
「タイムリミットは二十四時間です。つまり明日の正午まで。それまでに間に合った人間はちゃんと助かると保証します」
「明日の正午までに間に合わなけりゃ……どうなるんだ?」
「結界が解けます」
そう宣言した石神の表情は、どことなく冷徹さが含まれていた。
「今は学校の敷地に張られた結界が、魂を閉じ込めている状態になっています。もしそれが解かれたら、魂は水素の入った風船のように大空を舞うことになるでしょう。もちろん結界が解けた後も集めることは可能ですが、四散した魂を収集するのは骨が折れるでしょうね」
そうなってしまっては、そのまま魂は天に昇って行ってしまうかもしれない。
何の感情もこもらない石神の言葉が、天崎の胸を貫いた。
「どうです? 簡単なルールでしょ?」
「……ふざけるなよ」
怒りを露わにした天崎が、石神を睨みつけながら強く歯を食いしばった。
いくら死を司る神だからといって、人の魂をゲームの道具のように扱う石神の態度は許せなかった。そう、絶対に許されるはずがないのだ。石神のやっていることは、間違いなく……悪である。
「……まるで悪者を前にした正義の味方みたいな立ち振る舞いですね。天崎先輩」
「なに?」
落胆するように肩を落とした石神がぼそりと呟いた。
「何はともあれ、すでにゲームは始まっています。天崎先輩は強制参加です。とはいっても、参加したくなければしないでいい。そのまま二十四時間待っていれば、自動的に終わりますから。ただし、大半の人間は蘇らないことになりますけどね」
すべての人間の運命は、天崎の手にかかっている。とでも言いたげない言葉だった。
と、一歩引いた石神が身体を反転させた。
「とりあえず、チュートリアルはこれで終わりです。僕は体育館で高みの見物をしていますので、何か分からないことがあれば足を運んでください。では」
「ま、待てっ……」
「やっと話が終わったか」
その時、天崎でも石神でもない第三者の声が、対峙する二人の間に差し込まれた。
声調からして女性。どこから聞こえたのかも分からず、二人は首を回して周囲を窺う。
すると突然、渡り廊下の屋根から人間が降ってきた。
その人物は地面に着地するのと同時に、手にしている長い棒を石神めがけて振り下ろす。判断は一瞬。石神は大鎌の柄で少女の一撃をガードした。
「つ、月島!?」
怒りを露わにしながら石神と競り合っているのは、竹刀を持った月島だった。ただその表情を見る限り、おそらく月島裕子の方だろう。洋子があんな怒り狂った顔をする場面など、天崎には想像できない。
拮抗した競り合いの中、石神が大鎌の柄を前方へ弾く。体重と腕力に差があるためか、裕子は後方へとバランスを崩した。
それを好機と見たのか、大鎌を持ち直した石神の一撃が裕子を襲う。
巨大な刃が、裕子の首を刎ねるように薙ぎ払われた。
だがしかし――、
「――――ッ!?」
「チッ!」
斬られた裕子本人はキョトンとし、斬った石神は失敗をしたように舌を打つ。
大鎌の刃は、まるで空気でも裂いたかのよう。裕子の首に傷を負わせることなく、ただ通り抜けただけだった。
その一瞬の隙が、形勢逆転の種となる。
竹刀を強く握りしめた裕子が、石神の胸を突く。予期せぬカウンターを食らった石神は、勢いが為すまま地面に背中をついてしまった。
仰向けに倒れた石神の胸に竹刀の先端を突き刺し、裕子は脅すような口調で毒を吐いた。
「おい、根暗野郎。洋子の魂を奪ったのは貴様か?」
「なるほど、あなたが月島裕子か。すでに概念と化した存在だから、僕の能力もまったく効かなかったみたいだね」
「答えろ!!」
咆哮を上げるのと同時に、竹刀を持っている手に力が入る。
胸が圧迫され苦痛を感じながらも、石神は無理やり口の端を吊り上げた。
「この学校内にいるすべての人間の魂を引き剥がしたんだ。月島先輩とて例外ではないよ。……あと君が亡くなったのって、確か十一歳の時だったよね? 僕の方が年上なんだから、敬語くらい使ったらどうだい?」
「ふざけるな!」
挑発に触発された裕子は、そのまま石神の身体を貫く勢いで竹刀に体重をかける。しかし石神の方も単なる強がりではなかったようだ。
裕子が力を込める瞬間、まるで風に飛ばされる平紙のように、石神の身体がひらりと宙を舞った。唐突に支えを失った竹刀の先端が、地面を突く。
裕子が顔を上げる。石神はふわふわと浮遊しながら、二人を見下ろしていた。
「それじゃ、僕は体育館で待っています」
最後の言葉は天崎の方へ向け、石神は突然現れた闇の中へと消えてしまった。
敵に逃げられた裕子が、悔しそうに地面を蹴った。
「くそっ!」
「裕子。お前は無事だったんだな」
「あぁ。奴も言っていたように、私は守護霊という概念だからね。魂そのものではない。それよりも、あの根暗の言ってたことは本当なのか? 死神だとか言って……」
どうやら裕子は、けっこう最初から近場で隠れていたらしい。石神の話を聞き終えるまで感情任せに飛びかかってこなかったのは、非常にありがたかった。
だが話を聞いていたのであれば、天崎もそれ以上の説明はできない。
天崎は顔を伏せ、首をただ横に振るしかなかった。
「俺にも何がなんだか分からない。けど、石神の身なりとこの状況を見る限り、あいつの言ってることが嘘だとは思えない」
「そっか……」
「…………」
「…………」
現状の打開策が何一つ浮かばず、お互いが口を閉ざしてしまった。
と、裕子が唐突に顔を上げた。ただ何か閃きがあったというわけではなく、どこか申し訳なさそうに言う。
「今すぐあの根暗野郎をぶっ飛ばしに行きたいけど、私もいつまでもこの身体を使ってるわけにはいかない。ひとまず洋子の魂を見つけてくれないか? その手袋があれば魂に触れられるんだろ?」
「ああ。けど、月島の魂がどこにあるのか……」
「それは大丈夫だ。私は六年間も洋子の魂と共存していたんだぞ。大まかな方向はなんとなく察知してるし、見ればそれが洋子の魂だってことは分かる」
「そうか。じゃあ……」
とまで言って、天崎は裕子が申し訳なさそうな顔をしている理由に気づいた。
多くの人間が意識を失っている中、自分の妹を優先して助けろと言っているようなものだ。おそらく、被害に遭った人たちに気を遣っているのだろう。もちろん自分の大切な人から助けたいと思うのは悪い事ではないし、天崎としても確実に助けられる命から始めた方が効率が良いと思っている。
ただいつも洋子洋子とシスコン全開だった裕子が、他人を気遣えるような一面を見せたことで、天崎も少し彼女を見直していた。
「分かった。案内してくれ」
「うん」
あちこちで意識を失った人たちが倒れている光景に不安を抱きながらも、二人は月島の魂がある場所へと足早に向かった。




