間 章 とある吸血鬼と淫魔の会話
メイド喫茶の客入りが少し落ち着いたところで、突然の眩暈がリベリアを襲った。時計を確認すると、午前十一時半。そろそろ眠気が限界だった。
「あの、委員長さん。実は私、そろそろ帰らなくてはいけません」
「あら、そうなの?」
「はい。一番忙しい時間帯を手伝えなくて、申し訳ないです」
「いえいえ、いいのよ。こちらこそ急に手伝ってもらえて、とても助かったわ」
礼儀正しくお辞儀をするリベリアに対し、委員長もまた頭を下げた。
「それで、円さんはどうしますか?」
声を掛けられた円は、少しだけ天井を見上げて思案した後、「まだやる」と答えた。
「分かりました。たぶん天崎さんもお昼には戻ってくるでしょうから、委員長さん、それまで円さんをよろしくお願いします」
「えぇ、任せておいて。……っていうか、今天崎呼ぶ?」
「いえ、それには及びません。私から連絡入れておきますので」
そう断りを入れ、リベリアは円や他の女子たちと別れを告げた後、更衣室へと向かった。
元の服へと着替え、ふらつく足取りで校舎を出る。南から降り注ぐ角度の低い太陽が、これでもかと言うくらい眠気を促していた。
直射日光を日傘で遮りながら、正門へと向かう。
その途中、見知った後ろ姿を発見した。
「あれ? 空美さんじゃないですか。いらしてたんですね」
「ん? あぁ、リベリアか。偶然だな。今から帰りか?」
「えぇ。眠気が限界を迎えたもので」
愛想笑いを浮かべるリベリアの顔は、心なしか辛そうだった。日傘が影になって分かりづらいものの、目の下にはうっすらと隈ができている。『完全なる雑種』とはいえ、その身体のほとんどは吸血鬼。太陽の下で活動していること自体が、理に反しているのだ。
「まだ若いからっつって、昼更かしも大概にしろよ。吸血鬼といえど、寝不足は美容の天敵だからな」
「はい、気をつけます」
冗談交じりに笑う空美の物言いにも、リベリアは律儀に返事を返した。
正門から出た二人は、そのまま一直線におののき荘を目指した。リベリアの体調を慮っているのか、空美も昼食へ行こうなどと誘ったりはしない。というか空美自身も夜勤明けなのか、非常に眠そうだった。
欠伸を混じらせながら、リベリアに言う。
「つーか偶然帰りが重なっただけじゃなくてさ、あんな狭い学校でお互い見かけなかったのも偶然っちゃ偶然だわな。お前、どこに居たんだ?」
「私はずっと天崎さんのクラスのメイド喫茶に居ましたよ。空美さんこそ、どこに居たんですか?」
「ははー、なるほどな。実はあたし、学園祭に足を運んだはいいものの、東四郎のクラスを知らなくってさ。適当に歩いてたら、執事喫茶ってのを見つけたんだわ。男子ばっかりだったから、理系クラスっていうの? 意外と楽しくて、ずっとそこで豪遊してたってわけよ」
「……らしいですね」
がははと豪快に笑う空美に対し、リベリアは納得しながら苦笑いを浮かべていた。
空美が学園祭を闊歩しているところも、標的となった執事喫茶とやらもリベリアは見てはいないのだが、空美がいたいけな男子生徒を両脇に侍らせ高笑いしている光景を想像するのは難しくなかった。
「にしてもさ、今時の高校生って意外と童貞が多いのな。お姉さん、びっくりしちゃったよ」
「分かるんですか?」
「分かる分かる。あたしゃサキュバスだからな。顔見ただけでだいたい予想がついて、一言二言話せばほぼ確定だ。外したことなんて、今まで二回くらいしかないぜ。つーか、さっきの執事喫茶の奴らはあからさまよ」
そう言って、つい先ほどの出来事を懐古する空美の顔は、エロ親父のそれだった。
「なんつーか、ちょっと肩に腕回したり顔近づけるだけで、すーぐ勃起しやがってさ。若いから仕方ないんだろうけど、正直な反応する奴らばかりだったぜ。あーあ、ここが法治国家じゃなけりゃ、一人か二人はお持ち帰りしてたんだけどなぁ」
「あ、あはは……」
種族がらとはいえ、昼間から性的な願望を垂れ流す空美の言葉には、さすがのリベリアもドン引きだった。
「あ……そういえば、天崎さんに連絡するのを忘れていました」
今やっと思い出したかのように、リベリアはポケットからスマホを取り出した。
「んん? まさかお前、童貞って単語で東四郎を思い出したのか? いやはやそんな言葉で連想されるなんて、アイツも可哀想だねぇ」
「違いますって」
不貞腐れたみたいに頬を膨らませたリベリアが、高速の指使いでメッセージを打つ。
それを横から見ていた空美は、リベリアの感情が高まっていることに気づいた。
「どうした? なんかお前、怒ってないか?」
「怒ってませんよー。全然怒ってません。天崎さんが学校で誰と仲良くしようと、私には一切関係ありませんからねー」
あ、こりゃ相当ご立腹だわ。と、空美は言葉の中に含まれる棘を見抜いた。
その証拠に、空美が立ち止まってもリベリアはまったく気づかず、スマホを操作したままずんずんと先へと進んでいってしまう。いくらスマホに夢中でも、普通なら数歩も歩けば相方がついてきていないことくらい分かるだろう。感覚の鋭い吸血鬼なら、特に。
にもかかわらず、リベリアは歩調を緩める様子すらなかった。
「あちゃー」
そんなリベリアの態度を目の当たりにした空美は、失敗したと言わんばかりに片目を閉じ、彼女の背中を見つめていた。
リベリアの言葉端から察するに、おそらく彼女は嫉妬しているのだ。学校内で天崎と仲睦まじくしている、女子の誰かに。
そして空美は、ようやく思い出した。そういえばリベリアは、天崎の血を吸うことによって『完全なる雑種』へと成っていたんだった。経緯を聞けば、状況が状況だったため仕方のない行為だったと空美は納得していたのだが……まさかリベリアの方が、嫉妬心が生まれるほど天崎に好意を寄せていたなんて。
「こりゃ、やっちまったかな」
どことなく後悔が入り混じった呟きと共に、空美を頭を掻いた。
思い出すのは先日のこと。月島洋子に、お前の処女を天崎に捧げろと誓わせたばかりだ。
もちろん空美としてもあの言葉に嘘偽りはないし、一度約束したのであれば、相手が守り続ける限り絶対に義は通す。しかし月島に約束を果たせということは、リベリアに諦めろと言っているようなもの。リベリアともそれなりに付き合いがあるし、できれば彼女の気持ちも応援したい。
あちらを立てれば、こちらが立たず。
自分が面白半分に蒔いた種が、まさかこんな所で変に絡み合っていることに気づき、空美は人知れず頭を悩ますのであった。




