間 章 とあるカップルと女子高生たちの会話
土曜日の正午過ぎ。安藤は駅の前で手持無沙汰に立っていた。
特に何か思考に耽っているわけではなく、かといって意識が上の空というわけでもない。時折ロータリーに設置されている時計を確認し、腕時計をチラチラと見て、何度もスマホの画面を窺っている。要は時間を気にしているようだった。
と、ホームに電車が到着したようだ。休日とあってか、改札口からそこそこの人数がなだれ出てくる。その中に、人の波に紛れて速足でこちらへ向かってくる待ち人を発見した。
大人しめな色のワンピースの上にカーディガンを羽織った、大学生風の女性だった。
安藤は彼女の姿を確認すると、朗らかに笑って見せた。
「こんにちは、マジョマジョさん」
「ごめんね、安藤君。遅くなっちゃった。……待った?」
「いえ、僕も今来たところですよ」
すかした態度でお決まりの文句を言うと、マジョマジョは疑わしげな視線を寄こした。
「あれ、意外だな。安藤君だったら、待ってた時間を秒単位で報告するかと思ってたのに」
「そうですね。実をいうと、僕がここに立ってからマジョマジョさんの姿を発見するまで、約七分二十二秒かかりました」
「うっわー、神経質ぅ。もっとゆとりを持って生きようぜ」
言いたい事だけ言って笑うマジョマジョに対し、安藤は呆れて肩を落とした。
完全に手籠めにされていると実感するも……それが決して嫌ではないことは、安藤自身も気づいている。というか、それが嫌なら最初から付き合ってはいない。
「前から思ってたんですが、マジョマジョさんは理屈屋が好きなんですか?」
「その質問って、自分を理屈屋と認めてしまっているわね……。んー……別にそんなこともないかな。むしろ大らかで大雑把な人が好きかもしれないわ」
じゃあ何で自分なんかと付き合っているのかと、安藤は疑問に思う。自他共に認めるくらいには、自分は理屈屋だというのに。
「じゃあ僕も、できるだけ大雑把になれるよう努力してみますよ」
「あらあら、私に好かれたくて努力するなんて可愛いところあるじゃない。けど、別に安藤君は今の安藤君のままでいいのよ。無理やり変わられても、私が困るだけ」
言葉の意図を理解できず、さすがの安藤も首を傾げてしまった。
安藤が持つ一般的な知識では、自分の好みに近い異性ほど、愛せられる度合が高くなっていくのが常識だ。交際している自分は、恋人になってもよいと判断される範疇にいた人間だったのだろう。
しかし自分はマジョマジョにとって完全に理想的な人間ではない。彼女もはっきりと口にした通り、安藤は好みの性格ではないのだから。
それはまだいい。お互いが完全に理想的な恋人同士なんてのは、ごく稀にしか存在しない。そんなことは安藤も承知している。妥協点が許容できる範囲にあるからこそ成り立つのが、男女の関係だ。
でも努力はするべきだと、安藤は考える。より一層相手から愛されたいのなら、できるだけ長くその関係を続けたいのなら、少しずつでもいいから相手の理想に近づけるようにするべきだと。
だから安藤は申し出た。あなたの好みの性格になれるよう、努力すると。
なのにマジョマジョはやんわりと拒絶する。その言葉に、嘘や遠慮などはない。
どうして彼氏の歩み寄りを拒むのだろう。もしかして自分とは、そんなに長く続けたい関係ではないんじゃ……?
そう勘ぐるのと同時に、安藤は自分がマジョマジョの告白に応じた理由を思い出した。
そういえば、人間の恋愛というものを知るためにマジョマジョと付き合い始めたのだった。また、姉以外の女子大生という人間がどういう生き物なのか調査するために。
マジョマジョの意図も気持ちも分からないのは当然のこと。だってこれからそれを知っていくのだから。
今はまだ分からなくてもいいという余裕が、安藤の心を軽くする。
そうして出た安藤の自然な笑みを見て、今度はマジョマジョが首を傾げる番だった。
並んで歩きだした二人は、近場のカフェへと足を向けた。今日は午前中にマジョマジョの講義があったため、遠出をする予定はない。カフェで少し駄弁るだけだ。
自動ドアを跨いだところで、安藤はほんの一瞬だけ足を止めた。絶対に悟られないと自信があるほど小さな挙動だったのにもかかわらず、隣にいるマジョマジョが察したようにニンマリと笑ってみせた。
「大丈夫よ。ここはお姉さんに任せときなさい」
よく見ているなぁと、安藤は舌を巻いたのだった。
自分の好みの味をマジョマジョに伝え、彼女から店員へメニューを注文する。ここはしっかりと甘えることにした安藤は、商品を受け取り、店内の空いている席を探した。
席の埋まり具合は、七割といったところか。込み合っているという感じではない。
だからというわけではないが、その集団を発見するのは容易かった。というか、セーラー服姿の女子高生の集団というのは、それだけで目が引く。
「……あれ? 安藤君?」
空席を見つけて腰を下ろそうとしたところで、集団の一人が安藤に気づいたようだ。飾り気がなく、規則を重んじる真面目そうな女子高生……安藤と同じクラスの委員長だった。
「やあ、こんにちは」
先に彼女たちクラスメイトに気づいていた安藤は、特に驚いた様子もなく、普通に挨拶を返した。
「あ、安藤君がカフェに来るなんて、あんまりイメージがない……えっと、そちらの女性はお姉さん……ですか?」
少しばかり失礼な独り言を呟いた後、委員長の視線は安藤の対面に座る女性へと向いた。
マジョマジョは特に気分を害したわけでもなく、素直に自己紹介に応じた。
「安藤君のクラスメイト? 私は安藤君とお付き合いさせていただいてる、佐野といいます。よろしくね」
軽く会釈をすると、委員長の後ろにいたクラスメイトたちがざわついた。
その中の一人である月島が、恐る恐るといった様子でマジョマジョに問う。
「安藤さんの彼女さんってことは、えっと、その……大学生なんですか?」
「えぇ、そうよ」
委員長以下六人の女子高生が、一気に色めき立った。「噂は本当だったんだ」とか、「じゃあなんで天崎にそんなコネクションがあるのか」とか、本人たちの前にもかかわらず、いろんな憶測が飛び交っている。
そんな中、委員長だけがちょっとショックを受けたような顔をしていた。
ただそれも一瞬の話。委員長の興味は、また別のところに移ったようだ。
「えっと、大学はどちらへ通われてるんですか?」
「隣の市にある、山の上の大学なんだけど……知ってるかしら?」
と言って、マジョマジョは自分が通っている大学名を答えた。
その名を聞いた途端、委員長の表情が一変して輝きを見せたのだった。
「ほ、本当ですか!? 私、第一志望がそこの大学なんですよ!」
「あら、そうなの? けっこう良い所だから、ぜひ来てね」
社交辞令的な返事ではあるが、マジョマジョ自身にそういった意図はないようだ。
その証拠に、思い立ったように両手を合わせて提案する。
「もしよかったら、春休み辺りに見学に来る? 案内するわよ」
「本当ですか!?」
「講義室や研究室は無理だけど、キャンパス内を歩くだけならね。ただ制服で来られると、私が恥ずかしいかな」
委員長を始め、その他のクラスメイトも狂喜乱舞だった。
今後連絡を取れるように、彼女たちは連絡先を交換した。
「ちなみに今年新設された講義棟があるんだけど、中はこんな感じよ」
と、講義棟の内部を事前に写真で撮っていたのか、マジョマジョが女子高生たちにスマホのカメラロールを見せ始めた。
食い入るように写真を覗くクラスメイトから離れ、一人蚊帳の外になった安藤は、和気藹々と談笑する彼女たちをカフェオレを飲みながらじっと見つめていた。
別にマジョマジョが盗られたことを妬んでいるわけではない。初対面の年下とああもフレンドリーに会話できるなんて、マジョマジョはミコミコとは違う方向性の天然なのかな。と、自分の彼女を冷静に分析しているだけだった。
ふと、写真を見ていた女子高生の中で、月島が一人だけ違う声音を上げた。
「あれ? 円ちゃん?」
スマホの中にある写真の一枚に、見知ったおかっぱ頭の少女を見つけたのだ。
訝しげに眉をひそめたマジョマジョが、月島に訊ねた。
「あなた、この子を知ってるの?」
「え、えぇ。はい。この女の子は天崎さんの……」
と言いかけ、ハッと息を呑んだ。それから月島は「その……なんというか……えっと……」と、目を泳がせて口ごもってしまう。最終的には涙目になりながら、安藤に視線で助けを求めているようだった。
マジョマジョの後ろからスマホを覗き込んで事情を察した安藤は、仕方なく助け舟を出した。まさかバカ正直に座敷童と説明するわけにもいくまい。
「天崎の親戚ですよ。よく天崎のアパートに遊びに来るんです。っていうか、なんでマジョ……佐野さんが円ちゃんの写真を持ってるんですか?」
「今朝、リベちゃんからミコミコの携帯に、しばらく仕事を休むって連絡があったのよ。で、なんでか知らないけど、この女の子の写真も送ってきたの。一応私も、ミコミコから写真だけもらったってわけ。なるほど、天崎君の親戚だったのね」
「そういうことですか。実は僕もさっき、天崎から同じ写真が送られてきたんですよ。はっきり言って意図は不明です」
天崎かリベリアのどちらかが、円の写真を撮ったのだろう。そしてお互いの知り合いに送った理由は、おそらく珍しいから。いつも無表情の円が笑うなど、その日一日町内に幸せが満ちてもおかしくないほどの珍事である。
月島は弁解できたことに安堵し、安藤とマジョマジョはお互い経緯を理解したと納得した。その横で女子高生たちが「可愛すぎる!」「全然天崎に似てないねー」「芸能人の子役みたい!」と勝手に盛り上がっていた。
そこで突然、委員長が拝むように乗り出してくる。
「あの、よかったらこの女の子の写真、私たちに頂けませんか?」
「え? えーっと、どうだろう……」
マジョマジョは困ったように安藤の顔を窺った。
自分の親戚ならまだしも、被写体の女の子はまったくの他人だ。いくらもらったものだとはいえ、勝手に第三者に渡してもいいのだろうか?
「別にいいんじゃないですか? 天崎も知らない相手じゃないわけですし。あとで天崎に一言言ってもらえれば」
「安藤君がそう言うのなら……」
他の人にさらに配布はしない、週が明けたら天崎に報告するという約束を取り付け、マジョマジョは女子高生たちに写真を送ったのだった。
「ってか、委員長たちはこんな所で何してるの? 学校もないのに制服なんか着ちゃって」
「学園祭の催し物について会議してるのよ。もうあまり時間がないからね。制服なのは、一応学校関連だからみんなに着てもらってるだけ」
「なるほど」
すごい熱意だなぁと、安藤は感心した。
安藤も天崎と同様、参加はするがそこまで積極的に尽力しないというスタンスだった。
手伝えることがあれば手伝うし、命令されればそれに従う。委員長を筆頭に、女子たちが頑張ってくれていることには感謝しなければいけないなと、安藤は思った。
「学園祭が近いの?」
「えぇ、今月末の土日に開催されるんですよ。僕らのクラスは喫茶店をやります」
「よかったら、佐野さんもいらしてくださいね」
「土日か。講義もない……し、行けるわね」
一瞬だけミコミコの顔が浮かんだが、あえてスルーした。土曜午前の講義は、マジョマジョにとっては取得する必要のない単位だった。
「じゃあ私たちは学園祭の相談がありますし、これで。せっかくのデートを邪魔しちゃいけないですしね」
「気を遣わせちゃって、ごめんね」
礼儀正しく一礼する委員長に向けて、マジョマジョは笑顔で手を振った。
女子高生の集団から離れ、安藤の対面に座り直す。
その時、一人だけ浮かない顔をしている女子高生に気づいた。
両手をもじもじさせている月島だった。
「あ、あの……佐野さん。一つだけ、お訊きしてもいいですか?」
「いいわよ。どうしたの?」
「えっと……」
月島は言葉を選んでいるかのように口をもごもごさせている。
引っ込み思案な子なんだな、と理解したマジョマジョは、辛抱強く待った。
「少し前の話なんですけど、佐野さんと安藤さんがデートした時って、その、えっと……佐野さんのお友達と天崎さんもいた……んですよね?」
「あぁ……」
その一言で、マジョマジョはすべてを察した。
なので事実を嘘偽りなく伝える。
「安心して。私の友達は、天崎君なんてまったく興味ない……というか、年下は絶対ダメって言ってたから。天崎君も、見た感じそういう気は全然なさそうだったし」
「そ、そうですか」
月島がパッと表情を明らめた。そして「失礼なこと訊いて、すみません」とお辞儀をして、友達の元へと戻っていく。
その背中を見ながら、マジョマジョは深く息をついた。
嘘は言っていない。が、真実をすべて話したわけではない。ミコミコではないが、天崎に好意を寄せている人物は他にいる。
あの子も存外モテるなぁ。という感想を抱きながら、彼氏の友人の顔を思い浮かべるマジョマジョだった。




