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ドラキュティックタイム  作者: 秋山 楓
第4話『ロスト・ステータス』

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第11章 太陽の塔 その3

 地面に転がっている自分の手首を拾い上げたリベリアは、その切断面をまじまじと観察しながら呟いた。


「ずいぶんと綺麗に斬ってくれましたね。これなら十五分くらいで完治しそうです」


 そして何を思ったのか、持っていた手首を腕の切断面へと乱暴に押し付け始めた。


 断面の肉が抉れているにも構わず、捻じ込み続けて待つこと数秒。繋がったと確信したリベリアが手を放す。接続痕は見るも無残なものだったが、再び地面に落ちることはなかった。


 試しに指を折り曲げてみる。動きはぎこちないものの、特に問題はなさそうだ。時間さえ経てば元に戻るだろう。


「さて、これからどうしましょうかねぇ」


 手首の治療はこれでオーケーという感じで、リベリアは眠っている三人に眼を向けた。


 睡眠状態に陥った原因である月の鏡は破壊した。しかし仮にも伝説の武具。壊したからといって、即座にその効力を失うわけではないだろう。いずれは起きるだろうが、それがいつになるかはリベリアも予想ができない。


 さっきの戦士は、叩けばさすがに起きるとも言っていた。もちろん、頭を軽く叩く程度ではないことはリベリアにも分かる。おそらく瀕死にさせるほどの勢いでなければ意味がないのだろうが……天崎と太郎はともかく、マロンを殴るのは気が引けるし、何より調整が難しい。殴ってる途中でHPがゼロになってしまっては、元も子もない。


 かといって、いつまでもこんな所で立ち往生しているわけにもいかないし……。


「あっ、そうだ。いいことを思いつきました」


 妙案が浮かんだのか、リベリアはポンと両手を合わせた。


 千鳥足で天崎の側まで寄ると、仰向けに寝転がっている彼の上へと馬乗りになる。そのままゆっくり上体を前のめりにさせ、天崎の顔を正面からじっと覗き込んだ。


 その行為はまさに、眠り姫を起こすために口づけをする王子さまのよう。

 前屈みになる際に邪魔になった髪をかき上げる。


 お互いを隔てるものは何もない。リベリアは深い眠りから天崎を連れ戻すために、唇と唇を重ね合わせる――わけではなかった。


 鼻先が接触するほど顔を近づけたリベリアは、両手の指で天崎の瞼をこじ開けた。

 焦点の合わない瞳が現れる。その黒い瞳に向かって、リベリアは念を込め始めた。


 魔眼。吸血鬼に備わっている、人間を魅了し惑わす特殊能力である。


 リベリアはもともと人間を狩る際、この魔眼を使っていた。逃げ惑う獲物を恐怖で縛りつけて、食糧を簡単に確保するためだ。


 しかし眠っている人間を起こすために魔眼を使ったことなど、一度もない。だからまぁ成功すれば儲けもの、という程度で始めたのだが……。


 眠っているはずの天崎の眼球が、ものすごい勢いで動き始めた。


 これはいけるんじゃないか? と、リベリアが思い始めた瞬間……ガツン! と音を立て、額に衝撃が奔った。


「はぅあ!」


 あまりの不意打ちに、リベリアは上半身を仰け反らせた。


 地面に尻もちをつき、痺れる額を撫でながら目を開ける。正面では、目を覚ました天崎が上体を起こしていた。


 ただ天崎は何故か、全力疾走した後のように息を切らしていた。


「痛たたたた……。お、おはようございます、天崎さん」

「えっ? あ……リベリアか。おはよう」


 虚空を彷徨っていた天崎の視線は、声を掛けたリベリアへしっかりと定まった。


「寝汗が酷いようですが、大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫だ。ちょっと悪夢を見ただけだから……」

「悪夢?」

「……ボンテージ姿の安藤が、仰向けになっている俺の腹めがけて、無表情で鞭を振って蝋を垂らしている夢だ」

「それは紛れもなく悪夢ですね……」


 思い出すのもおぞましい、といった表情を浮かべて顔を伏せる天崎。その傍らで、人を起こすために魔眼を使うのは二度とやめようと、リベリアは心に誓ったのだった。


「っていうか、ここは……蛇の抜け殻があるから、太陽の塔の空洞か? 俺はなんで眠っていたんだ? 酒井と高槻は……なんで眠ってるんだ?」

「じゃあ、今からちょっと説明しますね」


 と言って、二手に分かれてからの出来事を、リベリアはかいつまんで話し始めた。

 説明を終えたところで、天崎は眠りに落ちる前のことを思い出して納得する。


「なるほど、月の鏡か。俺たちの方も、お前たち二人に変装した敵に遭遇したよ。酒井が見破って一人は撃破したんだけど……急に眠気が襲ってきたのは、そういうことだったのか……」


 記憶が少し曖昧だが、太郎が一人を葬り去った後、もう一人は煙のように消え去ってしまったはずだ。その時にはすでに、天崎は夢を見ていたということなのだろう。


「敵はまだ二人、逃走中です。どうします? 追いますか?」

「その前に、この二人も起こしてやったらどうだ? 高槻の意見も聞きたい」


 しかしリベリアは拒むように渋い顔をした。


「いやぁ、お二人を起こすのは難しいかと……」

「なんでだ? 俺と同じようにやればいいんじゃないのか?」

「友達に悪夢を見させるのは、私も少しばかり躊躇ってしまいます」

「俺の中で安藤の評価が下がったのは、お前のせいだったのか!」

「てへぺろ」


 悪気があるのかないのか、リベリアは自らの頭を小突いて舌を出したのだった。


 まさかあの悪夢の元凶がリベリアの起こし方にあったなんて……。そもそもマロンのことを友達と呼んで気を遣うのなら、自分はいったい何なんだと無駄に勘ぐってしまう。まさか奴隷ではあるまい。


「なら次の行動は俺たちで決めよう。……ってか、追うっていっても、どっちへ行ったか分かるのか?」

「二人のうち一人は血を舐めて覚えましたからね。そう遠く離れていなければ、だいたいの方向は分かります」


 と言って、リベリアは周囲の匂いを嗅ぎ始めた。


 お前は犬か。と呆れ眼でツッコんでやろうかとも考えた天崎だったが、以前それで怒られたような覚えがあるので、今はただ静観するばかりだ。


 匂いの糸を見つけたであろうリベリアが、斜め上を見上げながら言った。


「たぶん、まだそう遠くへは行っていません。というか、上の方から匂いがします」

「上? この塔を登ってるってことか? いったい、なんのために……」

「頂上には太陽の剣があるという話じゃなかったんですか?」

「いや、太陽の剣を手に入れるためには月の鏡が必要なんだろ? それが壊されたんなら、今さら頂上を目指す意味なんてないだろ」

「それは分かりませんよ。マロンちゃんと酒井さんだって、未だに月の鏡の力で眠り続けています。完全に効力が失われるには、少しラグがあるのかもしれませんね」

「なるほどな。一理ある」


 と呟いて、天崎は顔を伏せた。

 しかし考え込んだところで答えは出ない。ならば行動あるのみだ。


「リベリアは追った方がいいと思うか?」

「なにが最善かなんて、私には分かりません。ただ斬られた手首のお返しはしたいです」


 先に手を出したのはリベリアの方だが、彼女にとっては些細な問題だった。


 吸血鬼である自分に血を見せたのだ。それ相応の報復をしなければ、吸血鬼としてのプライドが許さない。


「ま、ここまで来て太陽の剣をみすみす奪われるのは悔しいもんな。追うか」


 意見の合致した二人は、お互い不敵な笑みを見せて頷き合った。


「眠ってる二人はどうします?」

「ここに置いていくわけにもいかないだろ。一緒に連れてくぞ」

「分かりました」


 太郎は天崎が背負い、マロンはリベリアが胸の前で抱き上げる。

 戦士と魔導士が逃げて行った通路をリベリアが示し、二人は足を向けた。

 その時だった。


「……なんだ? 急に明るくなったぞ?」


 突然、温かな光が頭上から降り注いだのだ。


 壁際の松明だけだった空洞が、差し込む光によって一気に明るくなる。その変化があまりに唐突だったため、すぐには目が慣れず、天崎は眩しそうに天井を仰いだ。


 日光だ。空洞の頂上にぽっかりと空いた穴から、日が差している。


「どういうことです? 夜が明けたんですか?」

「今までずっと午前中だっただろ。日食みたいに太陽が隠れていただけで。なのに、なんでいきなり晴れたんだ?」


 原因が何なのか探ってみる。しかし熟考するまでもなく、思い当たる節はあった。

 天崎とリベリアは顔を見合わせ、同時に声を上げた。


「「月の鏡!」」


 月の属性を持つ月の鏡が破壊されたから、太陽を覆っていた黒い影が消滅した。つまり月の鏡がこの地にあったからこそ、皆既日食が起きていたのだ。タイミング的に、それ以外には考えられない。


「……なんか嫌な予感がする」

「私もです」


 視線を交わした二人は、足早に敵を追い始めたのだった。






 戦士と魔導士が逃げていった通路は、天崎たちが侵入した経路と同じような構造だった。


 窓などはなく、一本道で内側に向けて緩やかなカーブを描いている。違うところといえば、なだらかな勾配になっていることだろう。長く走れば、そのうち筋肉が悲鳴を上げる程度の上り坂だ。


 しかし長距離走を覚悟する必要はなさそうだった。


「だんだん近づいています!」


 隣を走っているリベリアが叫んだ。


 外が見えないため正確には判断できないが、そこそこの高度に達しているはず。頂上はもうすぐだろうか。


「そこに敵がいるんだよな……って、痛ッ!」


 突如として足首に激痛が奔り、天崎は前方へ躓いてしまった。


 太郎を背負っているため受け身は取れず、地面に肩を強打する。うつ伏せに倒れながらも、天崎は痛みの原因を探るように慌てて周囲を見回した。


 いつの間にか、天崎とリベリアは大量の蛇に囲まれていた。


「蛇!? 明らかに俺たちに向けて敵意を放ってるよな?」

「酒井さんは、蛇に敵対心はないって言ってたのに……」


 そう口にするのと同時に、リベリアは蛇が襲ってくる理由に思い至った。


「まさか月の鏡の破片で蛇たちを操っているのでは?」

「ご名答」


 女の声。天崎とリベリアは、前方に視線を向ける。

 進行方向から、魔導士の女がゆっくりと姿を現した。


「ここであなたたちを足止めさせていただきます」


 蛇の檻の外で、魔導士は自信なさげに宣言した。

 その弱気な態度とは対照的に、リベリアは自信満々の笑みを浮かべる。


「甘いですね。蛇に囲まれたくらいで、この私が立ち止まるとでも?」


 一瞬の出来事だった。


 マロンを抱えたまま、翼を広げたリベリアが魔導士の元へ飛んで行く。床も壁も天井も蛇で覆われているのなら、宙に浮けばいいという判断だ。現に地面を這う蛇はリベリアに届かず、天井から落ちる蛇もその速さに追いつけてはいない。


 瞬く間に蛇の檻を抜けたリベリアが、魔導士の前で脚を振り上げた。


守れ(リジェクト)!」


 先ほどと同じように、魔導士の正面に分厚いバリアが現れた。


 瞬時のところで攻撃が阻まれてしまう。しかしリベリアは、自分の攻撃が不発に終わったのにもかかわらず、相手をバカにしたように鼻で笑った。


「ついさっき破られたばかりの魔法を使うなんて、学習能力のない方ですね」

「えぇ、知っていますとも。あなたは私の魔法を破るのに、少し時間がかかる」


 挑発を返されたリベリアのこめかみに、青い筋が浮かんだ。


 確かに、全力をもってしても一撃で破ることはできない。さらに今はマロンを抱いているため両手は塞がっているし、蛇を避けるため地に足を付けていないので、軸足に体重を乗せることもできない。威力半減の証拠に、リベリアの蹴りでできたバリアの罅割れは、先ほどと比べ物にならないほど小さなものだった。


 このまま何発も蹴りを放っていけば、いずれは破れるという自信はある。

 だが、それではダメだ。すでにリベリアは魔導士の目的に気づいていた。


 足止め。時間がかかる。その言葉から、おそらく魔導士の目的は時間稼ぎだ。彼女の後ろには、頂上を目指して走る戦士がいるのだろう。


「だからといって、ここで諦めるわけにはいきませんよ。ホームハルトの名に懸けて、貴女はここで潰します」


 その言葉を聞いた魔導士が怯んだ。

 リベリアは追撃に移るため、再び足を振り上げる。

 二人の視線が混じり合った――その時だ。


 太陽の塔が、かすかに揺れ始めた。その揺れは次第に大きくなっていき、天井から落ちる砂埃が目に見えるほどに激しくなる。やがて宙に浮いているリベリア以外の二人が、立っていられなくなる震度まで達した。


「なんだ!? 地震か!?」


 地面に這いつくばった天崎が、地響きに負けないくらいの大声で叫んだ。

 しかし揺れが治まる気配はない。むしろさらに強くなっていく。


 岩石でできた通路がまるで意志を持っているかのように、激しくうねり始める。流動する長い空間は、まさに巨大な生物の体内にいるような感覚だった。


「キャッ!?」


 絶え間なく動き続ける床に足元を掬われた魔導士が、ピンボールのように吹っ飛ばされた。そのまま壁に叩きつけられる。当たり所が悪かったのか、頭から血を流した魔導士は動かなくなってしまった。


「あらぁ、あっけない幕引きでしたね」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ!」


 宙に浮いているリベリアには分からないのかもしれないが、天崎は気づいていた。


 床に伏せている自分の身体が、後方へと引っ張られていく。通路が傾き、徐々に傾斜角度がきつくなっているのだ。


「いったい、何が……」


 とまで言いかけ、天崎は舌を噛んでしまった。


 傾斜が一気に傾いたのだ。最初はほんの数度だった上り坂が、今では完全に垂直になっていた。つまり進行方向が上、天崎たちが通ってきた道筋は、底の見えない奈落となる。


 床に伏せていた天崎は、片腕で背中の太郎を支えながら、もう片方の手で地面の突起を掴んで、かろうじて落下に耐えていた。


 しかし耐えられているのは天崎だけだ。


 前方……いや、上から気を失った魔導士が降ってくる。天崎は彼女を助けるため手を伸ばそうとして……それが不可能であることに気づいた。


「くそっ!」


 悪態をつくも、両手が塞がっているのだからどうしようもない。


 気を失った魔導士は、微動だにしないまま天崎の横を通り過ぎ、奈落の底へと落ちていってしまった。


「天崎さん、大丈夫ですか?」


 翼をはためかせたリベリアが、側に来て訊ねた。


「大丈夫じゃねえよ! 助けてくれ!」


 だがリベリアが手を貸すまでもなかった。


 垂直になっていた傾斜が、ゆっくりと戻っていく。完全に水平とはいかないまでも、なんとか後ろに落ちない程度の角度には治まった。ただ、いつまた太陽の塔が動き出すかも分からないため、安易に立ち上がることはできない。


 未だ地面に這いつくばっている天崎の視界に、リベリアの足が映った。

 天崎は顔を傾けて上を見上げる。しかしリベリアは天崎の方を見てはいなかった。


「何が起きているのか、ちょっと外に出て確認してきます」

「確認って……」


 言うが早く、リベリアはすでに次の行動に移っていた。


 壁に向けて、渾身の前蹴りをブチかます。入って来た時と同様、外壁は容易に崩れ落ち、開いた穴からは青い空が見渡せるようになった。


「おい、待てって……」


 天崎の制止を無視し、リベリアはマロンを抱いたまま外へ飛び立っていった。


 リベリアの視界に、雲一つない青空と新緑の深まる森が広がっている。そのまま太陽の塔の全貌が見える位置まで飛行し、彼女は振り返った。


「あちゃー。こうなってたんですね」


 衝撃的な光景を目の当たりにしたはずなのに、リベリアの口調はとても呑気だった。


 太陽の塔そのものが、まるで一匹の蛇のように動いていたのだ。尻尾の方はとぐろを巻いたままであるが、頭に該当する場所は、蛇使いにでも操られているかのように、首を天高く伸ばしている。通路が垂直になったのは、そのためだった。


 ただ動いているといっても、太陽の塔が生物に変化したわけではない。蛇を模っただけの、巨大な石の怪物だ。そのため動作は非常に緩慢であり、さらに今は動きを止めている様子。


「……これはいったん離脱した方が利口かもしれませんね」


 あの怪物がいつ暴れ出すか分かったもんじゃない。天崎と太郎を救出して、さっさと離れた方が身のためだ。


 そう思い、再び太陽の塔へ向かうリベリアだったのだが……。


 突然、太陽の塔の頂上付近が左右に揺れ出した。まるで本物の蛇がもがき苦しんでいるかのように、頭の部分を大きく振っている。


 あまりに予想外な動きに、リベリアは近寄ることができなくなった。いきなり襲ってきても回避できる距離を保ちながら、太陽の塔の周りを旋回する。


 ふと、リベリアの目が異物を捉えた。

 頂上に開いている大きな穴から、何か二つの物体が外へと放り出されたのだ。

 それは輝く剣を手にした戦士と、眠っている太郎を背負った天崎だった。






 太陽の塔に取り残された天崎は、破壊した壁から飛び立っていくリベリアの背中を呆然と見送っていた。


「……くっそ! こうなったらやってやんよ!」


 己に喝を入れ、自棄になりながらも頂上を目指す決断を下した。


 四つん這いに近い体勢で、坂道を上っていく。幸運にも周りを囲んでいた蛇たちは大半が落下し、さらに魔導士がいなくなって術が解けたのか、残りも天崎に敵対心を抱いている様子はなかった。


 再び通路全体が傾かないことを願いながら、天崎は全力で駆けていく。


 少し上ったところで、進行方向に明るい光が見えた。おそらくはこの通路の終着地点、太陽の塔の頂上だ。


 光に向かって速度を増す天崎だったが……彼はその少し手前で足を止めた。

 日光を背にして佇む人影を見つけたからだ。


「くそっ、もう追いついてきたのか!」


 天崎にとっては初対面の、鎧の戦士だった。


 追っていた敵の片割れであることは間違いないだろう。彼の手に太陽の剣らしき武器は握られていないが、天崎はリベリアを待つべきだったと今さらながらに後悔した。お互いのレベル差もさることながら、今は太郎を背負っているため、素早く動ける自信がない。


 しかし鎧の戦士は攻撃を仕掛けてこない。不敵な笑みを見せるだけだ。


「ふん。だが一足遅かったようだな。太陽の剣は俺が頂く!」


 戦士が片手を上げた。その先には、天井から生えた剣の柄らしき突起があった。


 太陽の塔を巨大な蛇と見立てるのなら、その突起はまさに牙であろう。鎧の戦士は太陽の剣の柄を掴むと、勢いよく引き抜いた。


 分厚い刀身。日光のように輝くその姿は、まさに太陽そのもの。


『クロウディア』において、最強の攻撃力を誇ると言い伝えられている伝説の剣が、敵の手に渡ってしまった。


「我が太陽の剣の、最初の獲物がお前だ! 覚悟しろ!」

「くっ……」


 太陽の剣を構える戦士を前にして、天崎は歯を食いしばることしかできない。このまま今来た道を全力で引き返せば、多少は生き残れる希望が見い出せるだろうか?


 そう思い、天崎が一歩退いた……その時だった。

 太陽の塔が、再び激しく揺れ始めたのだ。


「なにが……」


 天崎たちのいる頂上が、右へ左へ大きくシャッフルされる。その動作はまるで、苦痛にもがく蛇が頭を振って暴れているよう。ただ太陽の塔の全貌を把握していない天崎にしてみれば、大地が割れるほどの地震が起こっているとしか思えなかった。


 その場にしゃがみ込んで耐える戦士と、左右の壁に全身を打ち付ける天崎。しっかり受け身は取れているので大した怪我にはなっていないが、揺れが治まるまで立ち上がることはできそうになかった。


 そして数回ほど横に揺れた後、最大級の振動が二人を襲った。


 まるで口の中の異物を吐き出すかのように、左右の揺れが一度だけ上下に変わった。その衝撃に耐えられなかった天崎と戦士は、頂上に開いた穴……つまり口の部分から飛び出してしまった。


 眼下に広がるのは、今朝方通ってきた森。そして頭上には青い空。空中へと投げ出された天崎は、重力に従うまま落下するしか選択肢がなかった。


 ふと横を見ると、一緒に放り出された戦士がすぐ側にいた。


「チィ。こうなったら刺し違えてやる!」

「まだやる気かよ!」


 地面へ向けて落ちながら、戦士は太陽の剣を振りかざした。


 翼を持たない天崎に回避する術はない。もちろん『完全なる雑種』の血統を覚醒させる余裕もない。防御しなければと考えたものの、天崎は素手だ。最強の剣どころか、普通の武器でも簡単に一刀両断されてしまうだろう。


 ならば少しでも距離を取ろうと、全力で身をよじったのだが……。

 身体を半回転させたところで気づく。自分の背中には今、太郎がいるんだった。


「仲間を盾にする気か!? いいさ、そのガキもろともぶった斬ってやるよ!」


 戦士の一撃が、天崎に襲い掛かった。


 正確には、天崎の背中で寝息を立てている太郎の後頭部だ。袈裟切りに振り下ろされた太陽の剣は、太郎を、そして天崎を真っ二つにする――はずだった。


 しかし二人は生き残る。

 なぜなら、バキッ! と音を立てて真っ二つになったのは、太陽の剣の方だったからだ。


「えっ?」

「はっ?」


 天崎と戦士による驚きの声が重なった。

 戦士はもちろん、天崎にもその光景は見えていた。


 太陽の剣が太郎の後頭部に接触した瞬間、何かとてつもなく硬い物を叩いたような音が鳴ったのを。そして耐久度に負けた太陽の剣の刀身に、罅が入る瞬間を。


 だが現実を目の当たりにしたところで、それを受け入れるまでには至らなかった。


 だって武器屋で買った鋼の剣ですら、全力で叩き斬れば岩も割れるんだぞ? 上級装備なら『クロウディア』で最も堅いとされているモンスターを刃こぼれなく倒せるんだぞ?


 それが最強の攻撃力を誇る伝説の剣で?

 ただの一プレイヤーを攻撃しただけで?

 何故、折れる?

 ……いくら考えても答えは出なかった。


 折れた太陽の剣の断面をじっと見つめた戦士が、真っ逆さまに落ちていく。

 同じく落ち続けている天崎は、彼の様子をはっきりと見ることができた。

 唖然としている顔に生気はなく、完全に戦意を喪失しているようだった。


「天崎さん! 私の脚に掴まってください!」


 天崎の目の前に、光り輝く金髪が現れた。反射的にリベリアの足首を掴むと、彼女は太陽の塔から逃げるようにして一目散に飛んでいく。


 ある程度の距離を取った後、リベリアは後ろを振り返った。

 天に向かって頭を掲げていた太陽の塔が、轟音を上げながら崩落し始めていた。

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