八、花子
目覚めたのは校庭。
お決まりのように教室に置いてあるはずの私の机に顔を押しつけて寝ていた。
全く時間が進んでいない感じがする。薄暗いままで、校舎の屋上から校庭へ移動しただけ。短時間で睡眠薬を飲むと、移動距離が短いのだろうか?
それとも…。
机の引出しに果物ナイフが入っていた。手に取って握る。グリップがしっくり馴染む。エリカが偶然机にぶつかって落とさなければ、隠し場所がわからなかった。
隠し場所?
大人のブリッジキックマンは果物ナイフがどこにあるのか知っていたのでは?
武器を持たされている感覚。
試練をあたえるために谷底へ突き落す親心なんてあるはずもなく、願わくば相 打ちを狙ってわざと置いたのかもしれない。
考えれば考えるほど知れば知るほど疑念が湧いてくる汚い奴。
まんまとはめられている感はあるけれど、直里のときと違って準備はできている。
あとは花子を待つだけ。
「花子はどこにいるのよぉ~」
校庭の中心で不満を叫ぶ。
「そんなに大声出さなくてもここにいるわよ」と、その声を耳でキャッチすると、ビクッと体が震える。待ち望んでいた相手が来てくれたのに、一瞬とはいえ恐怖を感じてしまった。
「なんかすごく久し振りの親子の再開ね。あいつに感謝するわ」
薄闇に同化していたかのように花子が姿を現わす。
「ブリッジキックマンと会ったことあるんだ」
私から話しかけると、花子はなにも言わずに、片側の唇を釣り上げて不敵に笑う。彼女からの物理的な攻撃といえば、首を絞められただけ。一撃必殺の飛び道具的なモノを花子が携帯していないことを願うしかない。こちらから仕掛けるのは危険すぎる。
しばらく待つと薄暗さに目が慣れてきた。花子は細長いモノを持っている。両手で広げてそれを二つに分けると片方を捨てた。キラッと光る。重厚感のある日本刀。無駄な動きのない構えで、かざす日本刀に月光が集まり、眩しいくらいの光を放つ。
慌てて果物ナイフを握って突き出す。不幸編な武器の分配。私がブリッジキックマンの精神世界だと知る前から身を守るために用意していた果物ナイフがそのまま武器になってしまったと考えると、なんてかわいい武器なんだと思う。
「攻撃してこないの?」花子が真顔で訊く。「まさか、その果物ナイフが武器なの?」と言った語尾にクククッと引きつった笑いを付け足す。
「この武器でも四番目の人格は消せたんだけど」
精一杯の見栄を張る。
「そんなの自慢にならないわ」
テストで一〇〇点取った娘を自慢するみたいに、母親の気持ちを最期に味あわせてやろうと思ったのに、花子の目は冷酷なほど冷めていた。
直里とは比べものにならない静かな迫力を感じる。直里を消したときのように果物ナイフを投げてみるのも手だけれど、簡単に避けられてしまいそうで、私よりこの世界を知り尽くしている気がする。だからいつも腹が立つほどの余裕綽々な顔でいられたんじゃないだろうか?花子への過剰な威圧感に頭の中が支配されていく。
その負の思考が行動を鈍らせてしまった。
花子がつま先で地面をトン!と小突いただけで、宙を飛ぶみたいに突っ込んでくる。
先に仕掛けられてしまった。先読みを創造する猶予もない。咄嗟の思考力で浮かんだのは防御策。
日本刀の剣先が目の前まで迫ってくる。寸前のところで、膝を折って避けた。日本刀は私の頭上を通過。距離的には果物ナイフが有利な接近戦になる。花子は剣先を下に向け、土に刺して急停止。そのまま日本刀を振り下ろしてきた。ペーパーカッターの刃で裁断するみたいに、刃先を軸にして握っている柄前を下ろす。私は体を窮屈に曲げて果物ナイフを水平にかざして日本刀の刃にぶつける。力比べが続き、油断すれば頭から切られてしまう。果物ナイフを両手で支えていたが徐々に日本刀の刃が顔に近づいてくる。
自分が握っている果物ナイフごと片足で蹴って押し返す。
花子は空中で後転して、五メートル離れたところでこちらに向き直った。過剰な曲芸まがいの技で攻撃を回避した花子は、僅かに唇を噛んで、一撃で仕留められなかった悔しさを滲ませている。
私に考える暇を与えないためなのか、今度は思い切り地面を蹴って、さっきよりも倍以上のスピードと高さを上げて向かってくる。しかも日本刀を頭上高く振り上げたまま、高いところから加速と体重を重力にのせてきた。今度こそ力負けしてしまう。嫌な展開を浮かべてしまいそうになる。
花子はさらに私の創造力を上回ってきた。視界には迫るのはまたしても剣先。花子が意図的に剣先の陰に隠れて、的を絞らせないようにしている。振り下ろしてくると思ったのに、私を串刺することに変更したいらしい。さっきのように果物ナイフを水平にすると、日本刀の先端が一点に集中した圧力により、果物ナイフが砕かれてしまう。日本刀の切っ先が私の脳天に到達。
受け身になりすぎている。
そんなネガティブな創造は頭の中から瞬殺して新しいポジティブな創造力で上書きする。果物ナイフの刃がとどく範囲まで我慢すれば勝機はある。目を大きく開けてしっかりタイミングを計ることに集中。
体を斜に構えて日本刀の先端に果物のナイフの先端を合わせる。刃と刃が擦れて火花が散った。制服が袖から腕まできれいに縦に裂ける。肌は傷つけられていないので痛みはない。
また日本刀の切っ先を地面に刺してブレーキをかけられるよりも早く、右脇の筋肉が悲鳴を上げるくらい体を捻り、勢いがついている花子よりも素早く反転。
見えるのは花子の背中。
余裕で刺せる。と思った。
手応えがあった。でも、致命傷を負わせる位置から程遠い右腕に果物ナイフの刃が刺さっていた。彼女は右腕を盾にして犠牲にした。花子は日本刀を捨て、果物ナイフの刃の部分をがっちり握りしめる。引き抜くことができない。
執念すら感じた途端、お腹を蹴られた。私の手から果物ナイフがすり抜けていく。油断していた。 唯一の武器を取られてしまった。
「あっと、血をイメージしちゃった」花子は右腕の果物ナイフを抜く。「さすがに出血が多すぎると、この世界から消えてしまうかもしれないからね」と、私の最期を予告するようなことを告げた。
絶望的な場面で希望を捜した。直里はたくさんのニトログリセリンを出せた。だから同じ武器の数に制限はないはず。両手に果物ナイフを握るイメージをした。でも、なにも起こらない。私が両手を広げて新興宗教の教祖みたいなポーズをしたのを見て、花子は不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに表情を崩して微笑む。やろうとしていたことを見抜かれたみたいだ。戦略の情報が相手にだだ洩れなのは、間抜けすぎてこっちは笑えない。
「攻撃が焦りすぎたわ」花子は果物ナイフを遠くに放り投げ、日本刀を拾い上げると、ビュッと空気を切り裂く音をさせて試し振りをした。仕切り直しの儀式見えた。
私から三歩離れてさらに日本刀を振った。一振り一振りに殺気がこもっている。いつの間にか切っ先が私の制服に触れていた。次第にスピードが上がってきて、後退しながら体を捻って交わすイメージが追いつかない。制服が紙みたいに細切れになる。脇腹に赤い線が走る。腕で防御したところで切傷が増えるだけ。焦燥感が冷や汗となって頬を伝う。
「どこまで耐えられるかしらね」
花子が楽しそうに日本刀を縦横無尽に振ってくる。ように見えていた。次第に感情的で短絡的な動きになってきていることに気づいた。なんとかリズムや規則性を見つけて避けていく。
根競べになってきた。
「くそっ!」と花子から低い声がもれる。
余裕がなくなってきていると感じた。荒っぽくフェンシングみたいな突きも繰り出してきて、刃が頬をかする。間一髪危なかった場面はそのくらいだった。私は “やばかった ”という顔をして餌をまく。
花子がニヤッと笑うと、突きに固執した攻撃に切り替えてくる。
餌に喰いついた。
あとは……飛び込む勇気だけ。
日本刀の切っ先が耳をかすめた。
ここしかない!
踏み出して花子の脇の下に潜り込み、鋭角に突き出した肘を顎にクリーンヒット。花子が棒高跳びの背面飛びのように倒れていく。
「うぅ~」と呻いて意識があり、気を失わせる程度にダメージは達しない。
すぐに止めを刺さないといけない。大きめの石でもあればよかったのに、武器になるような物は転がっていない。創造しても何も現れてくれない。この世界は私に都合よく創られてはいない。日本刀を奪おうとしても、花子ががっちり握っていて放そうとしなかった。
「まだ終わっちゃいないわよ」
クワッと、眼球が飛び出すくらい目を見開いた花子の顔に怯えることなく、私は憎しみをこめて手を踏んづけた。骨が折れる感触が足の裏に伝わる。猫の悲鳴のような叫びのあと、花子の指からようやく日本刀が離れて奪い取ることができた。
「いや、終わったよ」
剣先を花子の首に突き付ける。恐怖心をあおるために寸止めにしておく。しかし、その行為がいかに愚かだったかすぐに気づかされた。
「もし私がオリジナルの人格だったら、どうなると思う?」
勝ち誇った言い方にさえ感じる謎の問いかけは、無機質だった脳の隙間に入り込んで刺激を与えた。
「だったら……とっくに……私を消せるチャンスはいくらでもあったでしょ」
「私が言いたいのは、誰も信用するなってこと」
花子は最後に愉悦の笑みをこぼした。私はなんとか持ち直したと思ったけれど、動揺ぶりを嘲りたかっただけだろう。
気づかないうちに花子の首に日本刀を貫通させていた。無意識のまま刺していたらしい。 日本刀を抜くと赤い血じゃなく、直里のときと同じで、黒いチューブが現れて花子の体を包み込む。日本刀も黒いチューブにぐるぐる巻きにされて、私が慌てて手から離すと黒い花子に吸収されて共に消滅する。
深いため息をつく。
花子を消したことで有利な条件をまたひとつ引き出したい。脳を休ませて良いアイディアを絞るため、机のところまでいって椅子に腰かけた。
引出しの中に果物ナイフが入っている創造をすると、ちゃんと具現化されていた。いや、瞬間移動かもしれない。直里と戦ったとき、果物ナイフはニトロの入った容器をすり抜けた。手品みたいな技が使えたのに肝心なときに使えない。集中力の欠如なのか、ブリッジキックマンの寿命が迫っている影響が私に遺伝しているかはわからない。
もうすぐ私は消える。
そんな予感がしてならない。
せめて現実の世界に生きていた、という爪痕くらいは残しておきたい。
見るだけではこの不条理な世界を生き抜いてきたご褒美に該当しない。
新たに出てきた欲望はおまけみたいなもの。
早く薬飲みなさいよ!
ブリッジキックマンに会うことがまたしても待ち遠しくなる。
気を失う行為を自分で助長できないことは百も承知だけれど、目を閉じてそのときを待った。