七、ブリッジキックマン その三
またまた学校の屋上だった。
違うのは辺りが薄暗くて、陽が落ちたことくらい。
「まず、四番目の人格を消してくれたことに対して、礼を言う」
大人のブリッジキックマンが私に微笑む。
「事態が好転したとは思えないわ」私は椅子から立ち上がって机から離れた。後方でエリカと小さな沢木、というか幼少期のブリッジキックマンかもしれない男の子が寄り添っている。二人の視線は蛇の皮をかぶったブリッジキックマンに向けられていた。「怖くないよ」と自分らしくない優しい言葉をかけた。
「新しい人格は、その男の子か……」大人のブリッジキックマンは頭を抱える。「現実の世界の数時間前に、五番目の人格が現れたかもしれないと医者から聞いた」
「男の子は沢木 京と名乗っているけど」
「名前にレパートリーがないんだ」
あっさりと簡単に答えを弾くたブリッジキックマン。
「そんな片手間の返答じゃ納得できないわ」
強気な反論が口から出た。直里を消した実績がそうさせるのだろうか。
「わかった。少し話が長くなるかもしれないが、いいか?」
「かまわないわ」
「沢木 京は偽名じゃない。俺の本当の名前だ。俺の体力も限界が近づいている。気を失い、おまえが目を覚ます場所も学校の屋上に限定されつつある。街の範囲も狭まって、最終的に移動できる場所はなくなり、この世界は闇に包まれるかもしれない。医者も見放すだろう。現実の世界での俺は、そんな存在だ。俺になりたいか?」
ブリッジキックマンが厳しい目つきで私を見た。究極の選択に対する再確認。最後通告。
「男でも、女でも、老いていたってもう後悔はしない。私はこんな世界より、現実の世界を見たいのよ」
半分は本音。残り半分は自分の知らなかった本音。ブリッジキックマンが干渉するこんな世界に希望はない。無理やり叩き起こした望みはそれしか光がないから。小さな光。針の穴ほどの小さな光。掴めば指の隙間からすり抜けそうだ。難しいからそれだけ価値があるのだと思う。ただ、老いた姿は鏡では見たくないな。やっぱり取り消してもよかっただろうか。
「君が渇望する現実の世界はないぞ」
「ひと目でも現実の世界を見れたら、文句はないわ」
「わかった。俺が死ぬ前に人格を譲ってやるから安心しろ」
明確に約束してくれたけれど、いままでの嘘つきぶりと、見た目も簡単に約束を破りそうな雰囲気なので信用度はない。脅迫や強制されなかっただけマシ。お互い妥協しただけ。
「ちょっと待って!」突然、エリカが声を張り上げた。「勝手に話をすすめないで」切羽詰った表情で訴えてくる。
「あのね、残念だけど私達に未来はないわ」
私は腹が立っていた。直里を挑発する目的で教えてやった “エリカと私を残してほしい ”の言葉は聞いていたはずなのに、エリカのいまの反応からすると、私は信用されていないらしい。
「じゅあ、なんで直里を殺したの?現実の世界をちょっと見たいというだけで殺したの?そんなことで殺す必要があった?」
エリカが矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。こんなに攻撃的な態度をするのは意外だった。
「悪い?」
開き直って訊き返す。
「アヤメ、どうしちゃったの?精神世界のことを知る前のアヤメはどこへいったの?」
「それはお互い様」と声に出して言ってしまった。
「この世界のことを知って、冷静な精神状態でいられないのはわかるけど、なにも殺し合う必要なんてない」
出口がない堂々巡りの発言が続く。エリカも目の前が真っ暗になって、自暴自棄になっているのかもしれない。五番目の人格の小さい沢木を消す前提で話が進められていると感じて、私とブリッジキックマンとの会話に割って入ってきたのだろう。弱い者を守ってあげたいという気持ちがいまのエリカを支えている。
「私の希望を勝手に踏みにじらないでくれる」
切り捨てるような言い方をした。軽蔑する視線も送った。
「……わかった」
沈黙のあと、エリカは小さい沢木の手を引いて離れていく。
私は精神世界を受け入れてから、成長した。と思っていた。エリカを助けたいという気持ちが芽生えて実行もしてあげたのに、ブリッジキックマンの腐った性根に毒されているのに、がんばったのに、その想いが本人に届かない。しかも大人の対応をしたのはエリカの方だ。
「追いかけないのか?」
なんの魂胆があるのか、唆しているのか、ブリッジキックマンが気遣うわざとらしい言葉をかけてくる。
「別に関係ないわ」
自分の子供染みた態度に嫌気が差す。表情に出てしまいそうで、ブリッジキックマンに背を向けた。
「言っとくが、あの男の子も消さないと……」
「わかってるわよ!」
言葉を途中で遮った。あからさまな念押しも苛立つけれど、気が重い。心が湿ってきた。泣きたいくらいだ。この感情は本当に邪魔くさい。
「薬の効く時間も短くなってきているみたいだ」
ブリッジキックマンが弱音が聞こえてきた。なにもかも面倒くさい状況になってきてしまっている。
「さっさと薬を飲むなり、注射を打ってもらえばいいでしょ」
「そうさせてもらう」気分悪そうな声で、心なしか体がフラついている。演技には見えない。それでも最後に「そろそろお母さんに会えるかもしれないな」と、余計な情報も忘れなかった。
花子なら心置きなく消せる!
不思議なことに、花子の顔を思い浮かべたら活力が湧いてきた。




