11願いの指輪1
「あ、見えてきたで。アレやないの?」
荒れた田畑、と言うあまり嬉しくない田園風景を背景に、ナップサックを背負った白い法衣の乙女モルトが、遠くに見えた屋敷を指差した。
そこは港街ボーウェン郊外から、さらに少し離れた場所にある農園だった。
「しかし酷い有様ですな」
モルトの指差す屋敷はひとまずと、荒れた田畑の様子に酒樽体型の中年レッドグースが視線をめぐらせる。手入れを放置した荒れ方ではない。作物が上手く育たず枯れている様だ。
不作、凶作などと言われる状態である。
「こりゃ破産寸前て噂もホントっぽいな」
『鎖帷子』に『胴田貫』と言ったサムライスタイルの少年アルトが、レッドグースの言葉に同調しながら足を止める。確かに、この農園のその様な話を聞いたのだ。今見えるその風景は、その噂を裏付けるに充分な説得力があった。
「アっくん、がちょさん、そんな事より屋敷の方にゃ」
そんな中、モルトの指し示した先を気にするもう一人、最も遠目の効くねこ耳童女マーベルが真剣味を帯びた声を上げる。
どこか切羽詰っている様にも聞こえたので振り返れば、モルトもまたマーベル同様に眉根を寄せて彼方の屋敷を見つめていた。
「なんだ、何事だ?」
緊迫した雰囲気に、腰の『胴田貫』を僅かに引き寄せつつ、アルトもまた彼女達の視線を追って屋敷を探す。だが、解答は彼が見つけるより一瞬だけ早く、レッドグースによって告げられた。
「燃えてますぞ!」
言葉の通り、彼らの視線の向こうにある屋敷の、その脇にある納屋が、ゴウという音が聞こえそうな勢いで燃え盛っていた。
さて、何ゆえこのような現場に彼らは居合わせたのか。まずは遡ってその話から始めよう。
その話は前日の晩から始まる。
「そう言えばファルケに姉がいるって話、知ってたか?」
赤毛の少年エイリークが突然そんなことを言い出したので、アルトは一瞬、目が眩んで食べた物を吐きそうになった。この気持ち悪さは、メリクルリングRPGの世界で生まれ育った、キャラクターであるアルト・ライナー少年の記憶に触れた時の感覚だ。
注文した新しい義肢が出来上がらないので、プラプラと日々を過ごすエイリークは、そのアルト・ライナー少年と同様に孤児であり、同じ養父を持つ義兄弟である。
夕暮れ時の『金糸雀亭』、いつも通りの喧騒の中、珍しくエイリークとアルトは2人だけで夕飯の質素な料理をつついていた。
レッドグースやマーベルは、これまたいつもの通りステージ中で、モルトはバイト先の仕事が立て込んでいるらしく、今日は泊りだという。
また、エイリークの義妹を名乗る人形姉妹が次女プレツエルは、姉妹達とのお茶会に出かけてまだ帰っていなかった。
そんな中での発言である。
「ファルケ。ファルケね。ハイハイ」
当然、アルトはその名を知らない。だが、知っていた。聞いた瞬間に、無理矢理脳にねじ込む様に、ファルケなる人物の思い出が入って来たのだ。
それはプレイヤーたるアルトが、キャラクターであるアルトの記憶に触れた時に起こる現象だった。
さて、ファルケとは、やはり同じ養父を持つ、アルトの義兄弟だ。つまり、ライナス傭兵団の子供である。
記憶によれば、ライナス傭兵団の団長に育てられた子供はアルトとエイリーク、今しがた名の出たファルケ、そしてもう一人、ルクスの4人だ。年齢順は、長男ルクス、次男ファルケ、三男が同い年のアルト、エイリークとなる。
すなわちここで料理をつつく2人にとって、ファルケは義兄と言う事になる。
「ええと『傭兵』で『片手武器修練』ビルドか」
アルト少年の記憶から読み取った情報を確認しながら、アルトは思い浮かべてみる。タイプとしては陽気で、いつも笑顔を絶やさない前向きな優男だったか。
なんだ、軽薄なナンパ野郎か。
「何をブツブツ言ってんだ?」
「い、いや何も。で、姉がどうしたって?」
ひとまず取り繕って、話を促してみる。記憶が正しければ、同じ『傭兵』のアルト、ファルケ、ルクスはそれなりに仲が良かったはずだが、姉がいると言う話はとんと聞いた覚えが無いのだ。
「ファルケと一緒に拾われたそうだが、身体が弱くて傭兵家業にはついていけなかったらしい。んで、養父の知り合いが引き取ったそうだ」
「へー」
エイリークがつまらなそうに話を続け、アルトは気のない返事をする。
この赤毛の少年の、少しだけ不機嫌そうな表情は嫉妬から来るものだろうか。
孤児にとって、養父や義兄弟は大事な家族だが、それでも『血の繋がった』存在と言うのはやはり特別に思えるのだ。
だがアルトにとっては、また別に意味でつまらない話だった。
なぜなら、彼からすれば、無理に見せられた映画の登場人物に関する、そのまた設定資料にある肉親についての話の様なものである。興味が持てないのも致し方ない。
だがこの後に続く話には、無関係ではいられなかった。
「その姉が、この近所にいるらしいんだ。アルトよ、ちょっと様子を見て来てくれねーかな? ついでに何か困りごとでもあるようなら、助けてやってくれねーか」
何この人、トンでもない事言い出した。これがその瞬間のアルトの感想である。
「え、ちょっと待てよ。なんでそうなる? オレ関係無いよね?」
慌ててアルトが席を立ち、勢い余って椅子が倒れた。
店の喧騒が一瞬静まり、また徐々に戻っていく。
「まぁ座れ。実はタキシン王国から脱走する前に、俺が頼まれた話なんだが。ほら、アルトは冒険者だろ? 俺よりそう言うの向いてそうじゃん?」
軽く言ってくれる。いや様子を見るだけなら別にいいだろうが、どうもこの言い回しからして、何か厄介ごとのような気がしてならない。
アルトはあからさまな難色を示しつつボヤいた。
「エイリークが頼まれたんだろ。どうせ義肢出来るまで暇なんだし、お前が何とかすればいいだろ」
ふむ、と赤毛の少年は椅子の背もたれに深く身を預ける。何か計算している顔だ。
「よしわかった。タダで、とは言わねーよ。アルトもプロ冒険者だもんな」
ここで貧乏サムライ一直線の少年はピクリと耳を動かしてしまった。報酬が貰えるということなら、心動かさざるを得ない。
エイリークもこれを見逃すほど節穴ではなかった。
「報酬はコイツだ」
『魔術師』らしい意匠の『長衣』の腰に結わいた小袋を、エイリークがテーブルに乗せる。
袋の口から覗くそれはミスリル銀の精製塊だった。
アルトの硬い表情が、見る見るニヤケ顔へと変化する。
「わかった引き受けよう。義兄弟の頼みとあれば、おいそれと断るわけにもいかん」
震える手で若サムライが小袋を懐に収め、二人は固く握手を交わした。
「と言う訳で皆さん、ボランティアしませんか?」
翌日の朝、『金糸雀亭』の朝食卓に、仲間の面々が着いたところでアルトは満面の笑みでそう言った。非常に胡散臭い笑顔である。何かを企んでいる事が一目でわかる。
「わかってるにゃ。報酬、ちゃんと出すにゃ」
案の定、一瞬で見破られた。半眼で睨み付けるねこ耳童女の一言で、彼の思惑は脆くも崩れ去ったのだ。
アルトはしょんぼりと項垂れつつ、懐から例の小袋を取り出してテーブルに置いた。
「アル君、そう言うん、よ-ないで」
弟を叱り付ける様に腕組して『聖職者』が言えば、アルトはますます小さくなって、聞こえないほどの声で「スンマセン」と呟いた。
根からの善人が偶に悪さを企てるとこれである。悪に染まるには、やはり素質と言うものが必要なのだろう。ちなみにアルトの素質はゼロだ。
「まービンボ続いとるし、気持ちもわからんでもないんやけど。で、何が報酬なん?」
眉を八の字にしてボヤきつつ、モルトは片目で小袋に注目する。すると金緑色の輝きが彼女の目にも飛び込んだ。
モルトの表情もまた、途端に綻ぶ。なるほど、これは目が眩んでも仕方ない。
先日、彼らも関わったとある事件で、数百年前から失われていたミスリル銀の加工技術が復活した。
この情報は瞬く間に港街ボーウェンで広まったかと思うと、途端に『商人』たちによるミスリル銀争奪戦が始まった。
もともと高価だったミスリル銀の価格といえば、今や鰻登りである。
しかも戦士であれば、ミスリル銀の装備品が手に入るなら、それは額面以上に価値がある品なのだ。
それを察して、酒樽紳士があご鬚をなでつけながら述べる。
「ほほう、ミスリル銀の精製塊ですな。なるほどなるほど、つまり自分の装備品にしたかったのですな」
「はい。仰る通りです」
アルトは椅子の上で正座したまま、額をテーブルに擦り付けた。魔が差したのだろう。つい、やってしまった。今の彼の心中は、反省と後悔でいっぱいだった。
「何を作りたいでありますか?」
酒樽紳士のベレー帽からぴょんと飛び降りた、小人サイズの少女が首を傾げる。
「ミスリル銀の『鎖帷子』が欲しいです」
「これじゃ足りないでありますな」
アルトはなおの事ショボンと肩を落とすのだった。
ひとまず正座2時間の刑を執行されつつ、アルトは仲間達に事の顛末を語った。
大本の依頼主はアルトの義兄に当たるファルケと言う『傭兵』。依頼内容は『他家に貰われて行った姉の様子を伺って来て欲しい。何か困っている様なら、自分の代わりに助けてやって欲しい』である。
報酬は前払いの『ミスリル銀の精製塊1つ』。
「これは、十中八九、困っとる展開やね」
「間違いありませんな」
それはそうだろう。様子を伺うだけにしては、報酬が破格である。
現在、高騰中だが、その高騰前であっても、ミスリル銀精製塊と言えば、購入価格で1つ2万銀貨はする代物だ。
冒険者がその身分で売りさばいても、1万銀貨にはなるだろう。
「それで、お姉ちゃんは、どこに貰われていったにゃ?」
そんな裏にありそうな事情はあまり深く考えないねこ耳童女が首を傾げた。マーベルは面倒ごとでも退屈よりマシだと考えているようだ。しかもそんな面倒ごとが、しっかり報酬に変わるのだから進まない手は無い。
「ええと確かフンボルトさん家って言ってたな」
クッションなど無い硬い木椅子の上で正座しつつ、アルトもまた記憶を探って首を傾げる。元が日本人なので、横文字の名前が憶え難いのだ。
「ペンギンさんやね」
「ペンギンですな」
大人二人は難しい顔をして、くだらない冗談に頷きあう。
「ペンギンとは、なんでありますか?」
目を横線にして押し黙る高校生コンビの横で、一人、意味もわからず疑問符を掲げるティラミスであった。
ちなみにフンボルトペンギンの名は、博物学者にして探険家のアレクサンダー・フォン・フンボルト氏が発見した事に由来する。つまり、フンボルトは歴とした人名である。
少し微妙な空気が流れたかけた所で、『金糸雀亭』のふくよかなおばちゃん店主が話しに入って来た。
「フンボルトハイムがどうしたって?」
アルトは一瞬、「知っているのか?」と問い返そうとしたが、名詞にプラスアルファがある事に気付く。最後に「ハイム」とついているのだ。
だが彼のかけたブレーキなどお構い無しに、半分は好奇心で出来ているマーベルが目を輝かせた。
「フンボルトハイムってなんにゃ」
そんな様子に、皿を積み重ねながらおばちゃん店主は何気ない世間話のように答える。
「フンボルト男爵家が代々経営する農園さ。うちもよく野菜とか配達してもらってたんだけど、最近、凶作続きらしくてね」
一同、「ほーらやっぱり厄介ごとだった」という顔をしたという。
フンボルトさん家を訪問する前に情報を集めよう、と言うことになり、相手が農園経営者なので、外食産業従事者に当たる事にした。
『金糸雀亭』以外で懇意にしている外食産業といえば、『煌きの畔亭』くらいだが、その向かう途中の道端でアルトがハッと声を上げた。
「つか、貰われた先は貴族様かよ。傭兵団よりそっちのが断然良い生活だろ」
「リアクション遅いにゃ」
マーベルに突っ込まれつつも、アルトの脳裏には彼が想像しうる「良い生活」がグルグルと巡る。
毛の長い上等な絨毯、高級そうなフカフカの椅子。そこに腰掛けたガウンの男が、何かワインの入ったグラスをくゆらせる。しかもワインなのに、なぜかブランデーグラスの持ち方だ。
「イメージの貧困さが涙を誘いますな」
「ほっとけ」
などと愚にもつかぬやり取りをしているうちに、一行は『煌きの畔亭』にたどり着く。まだ朝食が終わったばかりの時間なので、当然客の影は見えなかった。
「フンボルトハイムについて、ですか」
お互いお決まりの挨拶を終えると、アルトたちは早速本題を切り込み、人の良さそうな『煌きの畔亭』オーナーであるアンソニー氏が、視線を宙に投げかけた。少し前を懐かしむかのような目だ。
「そう言えば、最近はとんと営業が来なくなりましたねぇ」
「何だアンソニー、知らねぇのか。相変らず抜けてんな」
だがそんなとぼけた言葉に割って入るのは、厨房の暖簾から様子を伺いに出て来た、目付きが悪い、黒いコックコートの料理人セガールだ。
「何か知っているのかい?」
そんなセガールの悪態にも気を悪くせず、アンソニーが聞き返す。アルトたちは話の趨勢を黙って見守る事にした。
「あそこはここ数年ずっと凶作でな、もう今じゃ借金だらけよ。じきに破産だろうな」
すでに聞いていた「凶作続き」と言う情報の上に「借金だらけ」と来た。これはまたどうもきな臭い事になって来た。と、アルトたちは眉をそっとひそめた。
アンソニーもまた眉をひそめたが、こちらはその意味合いが違う。つまり、その境遇を愁いての事だ。
「良い野菜を作る、良い農園でしたが」
「ま、不作凶作は農家の宿命だからな。コレばっかりは仕方ねーさ」
同情から肩を落とす人の良さそうな中年料理人を、人の悪そうな中年料理人はカカカと腰に手を当てて笑い飛ばした。
少し思いやりにかける様に見えなくも無いが、彼の言う事は確かに正論だったので、場に居合わせた一同は何も言わなかった。
「にいさま方、いつまで油を売ってるですの。下拵えがまだ終わってないですの!」
しばししんみりしていると、厨房奥から叱咤の声が飛んできた。現在、『煌きの畔亭』の料理長である、『料理姫』のマカロンだ。
アンソニーは苦笑いと共に軽く会釈をして厨房の暖簾をくぐって消え、肩をすくめたセガールがその後に続いた。
アルトたちはもう仕事の邪魔は出来ないだろうと、忙しそうな厨房を後目に『煌きの畔亭』を辞した。
道すがら、テンションの下がった面々の中で、ふと、モルトが口を開いた。
「破産した貴族って、どうなるん?」
これに答えるのは、ねこ耳童女のウエストポーチに半身を埋めた、薄茶色の宝珠だった。
「貴族の地位にもよりますが、フンボルト男爵家を例にとるなら、おそらく平民になるでしょうね」
「え、そう言うものなのか?」
没落しても貴族は貴族だと思っていたので、アルトは少々意外そうに口を挟む。
「貴族、といっても、男爵位は『豪族』の様な色が強いんですよ」
「豪族って強そうな響きにゃ」
「日本昔話的に言い換えれば『村の庄屋様』ですな。土地財産を認められて貴族化したようなものですから、財産がなくなれば一転して平民、と言う事ですな」
「そういうもんか」
「急に弱そうになったにゃ」
言葉を継いで例えた酒樽紳士の言葉に、一同は釈然としない様子で不承不承と頷いた。とどのつまり『金で買った地位』と言う印象が残ったわけだ。
「男爵家の名誉の為に言っときますけど、ほとんどの貴族は元々財産があったからこそ、今の地位を築けたわけです。身一つで貴族になりあがった人は、まぁ稀ですよ。つまり結論としては、貴族と成金の違いは歴史の長短と言えるかも知れません」
貴族とは、元々戦争や治世において、人より多い功を立てて認められることがほとんどだ。人より多い功を立てるのに手っ取り早いのは、やはりバックにある財産なのだ。
話の最後に薄茶色の宝珠がそう締めくくると、一同はやっと少しばかり疑問が晴れたかの様だった。
さて、アルトやモルトは本日のアルバイトを休業する事に決め、各々の職場に申し送りを済ませてから『金糸雀亭』へと再集合した。
とはいえ、近所を巡っただけであり、まだ昼には遠い時間だったので、もうこのまま身支度してフンボルト男爵を訪ねてみようという事になった。
そして、冒頭の風景に繋がる。
すなわち、荒れた田園風景と、その向こうで巻き起こった納屋の火事である。
「おい、あれがフンボルトさん家じゃねーの? ヤバくねーか?」
「知らんがな。とりあえず急ご!」
面々は、一度だけ顔を見合わせて頷き合い、各々の全速で炎に向かって駆け出した。