第三話「運命ではなく、意思で」
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三日後。
王都は、大きな混乱に包まれていた。
王太子カイルの不祥事が、次々と明るみに出たのだ。
国庫横領、外国との密約、そして王妃候補との不適切な関係。
すべての証拠が、あまりにも完璧に揃っていた。
民衆は怒り、貴族たちは動揺した。
王太子は王位継承権を剥奪され、辺境への蟄居を命じられた。
ミレーヌ嬢は実家に送り返され、二度と社交界に顔を出すことはなかった。
そして…
「リュシア・エルヴェイン嬢の追放処分は、取り消されることとなった」
国王の宣言が、王宮に響いた。
「王太子の讒言による冤罪であったことが判明したためである。
エルヴェイン公爵家には、深くお詫び申し上げる」
リュシアは、大広間の中央に立っていた。
三日前と同じ場所。
だが、状況は完全に逆転していた。
貴族たちの視線が、今度は同情と興味の混じったものに変わっている。
リュシアは深く一礼した。
ついに冤罪が晴れた。
だが、それよりも…
「そして、」
国王は、意味深な視線をリュシアに向けた。
「第二王子セレスタインより、婚姻の申し出があった」
ざわめきが、広間を包んだ。
あの無口で冷徹な第二王子が、婚姻を?
しかも、つい先日まで追放予定だった令嬢に?
リュシアは、視線を感じて振り返った。
広間の端に、セレスタインが立っていた。
相変わらず無表情で、冷たい瞳をしている。
だがその奥に燃える光を、リュシアは知っている。
彼は、微かに、本当に微かに、口角を上げた。
それは、リュシアにしか見えない笑みだった。
胸の奥が、温かくなる。
この人は、こんな風にも笑えるのだ。
「エルヴェイン嬢。この申し出を、受けるか」
国王の問いに、リュシアは迷わず答えた。
「謹んでお受けいたします」
広間がどよめく中、リュシアはセレスタインの元へ歩いていった。
貴族たちが道を開ける。
今度は、侮蔑ではなく、祝福の視線。
リュシアは気にしなかった。
彼らがどう思おうと、もう関係ない。
大切なのは、ただ一人。
目の前の、この人だけ。
セレスタインは手を差し出した。
その指先に、淡い赤い光が見える。
リュシアは、その手を取った。
二人の指先を結ぶ赤い糸が、祝福するように輝いた。
「……後悔するなよ」
セレスタインが、小さく呟いた。
「私は、重い男だ」
「知っています」
リュシアは、微笑んだ。
「だから、選んだのです」
セレスタインの瞳が、わずかに揺れた。
そして、彼はリュシアの手を強く握った。
その手の温もりが、すべてを物語っていた。
もう、離さない。二度と、失わない。
そんな、強い意志。
リュシアも、同じように握り返した。
私も、離さない。この縁を、自分で選んだのだから。
赤き縁は、もう足首にはない。
二人の指先を、穏やかに結んでいる。
神が定めた運命ではなく、自分たちで選び取った絆として――
永遠に。
婚礼の日。
リュシアは、白いドレスに身を包んでいた。
鏡に映る自分の姿を見つめながら、この数ヶ月の出来事を思い返す。
追放の危機、そして赤き縁の能力の発現。
そして、セレスタインとの出会い直し。
すべてが夢のようだった。
だが、指先に結ばれた赤い糸が、これが現実だと教えてくれる。
「お嬢様、お時間です」
侍女の声に、リュシアは頷いた。
教会へ向かう馬車の中で、リュシアは窓の外を眺めた。
街は、祝祭の雰囲気に包まれている。
第二王子の婚礼。
それは、王太子の失脚という混乱の後の、明るい話題だった。
民衆は喜び、貴族たちも祝福した。
だが、リュシアにとって大切なのは、そんなことではなかった。
ただ、セレスタインと結ばれるということ。
それだけで、十分だった。
教会に到着する。
扉が開かれ、リュシアは一人で歩き始めた。
両親はもういない。
叔父に手を引かれることも、断った。
自分の足で、自分の意思で、彼の元へ歩いていく。
それが、リュシアの選択だった。
祭壇の前に、セレスタインが立っていた。
銀灰色の髪が、ステンドグラスからの光を受けて輝いている。
湖のような瞳が、リュシアを捉えた。
だがその瞳はもう、以前のように凍てついてなどいなかった。
温かく、優しく、愛おしげに、リュシアを見つめている。
それだけで、リュシアの歩みは自然と早くなった。
早足になったことにも気づかないくらい、自然に。
ただ、彼の元へ行きたかった。
リュシアは、セレスタインの隣に立った。
神官が、祝詞を読み上げ始める。
だが、リュシアの耳には入ってこなかった。
ただ、セレスタインの手の温もりだけが、はっきりと感じられた。
「……リュシア」
セレスタインが、小さく呼びかけた。
「はい」
「私は、おまえを幸せにする」
その声は、誓いだった。
「私も、あなたを幸せにします」
リュシアは、微笑んだ。
「一緒に、幸せになりましょう」
セレスタインは、初めて人前で笑った。
それは、氷が溶けるような、穏やかな笑みだった。
その笑顔で教会中が、どよめいた。
あの冷徹な第二王子が、笑った。
だが、リュシアにとって、それは驚きではなかった。
この人は、こんな風に笑えるのだと、知っていたから。
誓いの口づけ。
セレスタインの唇が、リュシアの唇に触れた。
それは、優しく、そして確かな口づけ。
ほんの一瞬の触れ合い。
それなのに、リュシアの目の裏に、じわりと温かいものが広がった。
これが、好きだということなのか。
これが、誰かを選んだということなのか。
二人の指先を結ぶ赤い糸が、一層強く輝いた。
もう、誰にも邪魔されない。
もう、誰にも奪われない。
自分たちで選び取った、この絆。
運命ではなく、意思で結ばれた、この愛。
それは、どんな赤い糸よりも強く、どんな縁よりも深い――
永遠の絆となった。
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それから数年後。
王宮の奥庭。
かつて、幼いリュシアとセレスタインが出会った場所。
今、そこに二人の姿があった。
「セレスタイン」
リュシアは、夫の名を呼んだ。
「ん」
セレスタインは、本を読みながら応えた。
二人は並んで、ベンチに座っている。
リュシアは刺繍を、セレスタインは読書を。
穏やかな午後のひとときだった。
「あの時のこと、覚えていますか」
リュシアが尋ねた。
「あの時?」
「十年以上前。私が迷子になって、あなたに助けられた日」
セレスタインは、本から目を上げた。
「……覚えている」
彼の瞳が、優しく細められる。
「おまえは泣いていなかった。迷子になって、怖かっただろうに」
「泣いても、誰も助けてくれないと思ったから」
リュシアは、当時を思い出して苦笑した。
「でも、あなたは助けてくれた」
「……そうだな」
セレスタインは、リュシアの手を取った。
「あの時から、ずっと」
彼の指先が、リュシアの指先に触れる。
そこには、今も赤い糸が結ばれている。
「これからも、ずっと」
リュシアは、セレスタインに寄り添った。
「ええ、ずっと」
風が、二人の髪を優しく撫でる。
薔薇の香りが、庭を満たしている。
かつて、断罪の場だった大広間。
今は、二人の思い出の場所。
そして、この奥庭が出会いの場所。
すべてが、二人を結びつけるための道だったのかもしれない。
赤き縁は、足首に結ばれていた。
けれど、今は指先に。
自分たちの意思で、選び取った場所に。
それは、運命ではなく、愛の証だった。
【完】




