第33話 カンダと蜘蛛の糸
常夜灯の弱い光が、連結コンテナの廊下を薄く染めている。
悲鳴と同時に、カンダが派手な足音で飛び出す。
「ひぃいいっ!やっばやっばやっばぁぁぁ!!」
廊下の端にあった台車を蹴飛ばし、
夏菜へ真っ直ぐ蹴り飛ばす。
金属音。重量のある台が床を滑る。
「っとと……」
夏菜は一歩踏み込み、台車の取っ手を足で止めた。
次の瞬間、カンダは壁際の消火器を引っこ抜き、レバーを握り込む。
「来るなぁぁぁっ!」
白い霧が噴き出し、視界が潰れる。
夏菜は台車を盾に立て、底板で泡を受けながら前へ進む。
「無駄だっての」
「ち、近づいてくるぅ……ひぃぃぃ!」
カンダは廊下の片隅から段ボールを拾い上げ、
裏口から外へ逃げ出す。
「そっちは道ねえだろ?」
夏菜の口元が上がる。
一琉の情報は頭に入っている。
「ま、早く終わりそうで助かるけどな」
◇
裏口の外は、思いのほか急な斜面だった。
木々が生い茂り、夜風が吹き抜ける。
カンダは抱えていた段ボールを地面に放り出し、
ためらいなく飛び乗った。
「このルートなら誰も追ってこれないもんねぇぇぇ!」
段ボールのソリが土を切り裂き、
カンダが悲鳴混じりに滑り落ちる。
夏菜は目を細めて、その様を見下ろす。
止めた台車をもう一度掴み、にやりと笑った。
「……面白ぇ。乗ってやるか!」
台車を倒し、身を沈め、斜面へ突入。
小径のキャスターが根に噛み、盛大に跳ねる。
「ひっかかった!
そんなんじゃ着地できないっての!!バーカ!!」
ガコン、と前輪が埋まり、台車が前転する。
夏菜の体が空を切った。
「アイツ死んだでしょ!雑魚雑魚雑魚ザ~コ☆
このアタシの策で異名持ちも仕留めちゃったわ☆」
次の刹那、夏菜は体をひねり、幹に足をついて枝を掴む。
猫科のようなしなりで木を蹴り、幹を二度三度踏んで、
柔らかく芝へ降りる。
「……え、ええぇぇぇ!!」
「悪くない仕掛けだったぜ。さぁ鬼ごっこ再開だ」
「ひゃぁぁぁ!」
うさぎは坂の先の廃倉庫へ。
虎は風を裂いて追う。
◇
廃倉庫は骨ばかりの巨獣のように沈黙していた。
錆びたシャッター、割れた窓。中に入ると、机と椅子、木箱、吊り鎖——。
「来るなってのぉおお!!」
カンダは机を盾にし、ペンやスプレー缶を投げつける。
缶が床を転がり、甲高い音を撒き散らす。
「なんつー往生際の悪さだ……面倒くせぇ」
カンダは机の下にだばだばと潜り込み、
椅子を蹴って滑らせる。
夏菜は飛来する椅子を踏み台に軽く跳び、
しなやかに距離を詰める。
「すみれ様ぁぁ! 報告ですうぅぅ!」
稼いだ時間で、カンダはスマホを引き抜いた。
通話アイコンを乱打。
沈黙。圏外ではない。それでも繋がらない。
「……え? かかんない!? なんで!? あれぇぇぇぇッ!?」
夏菜は机の端に片手をあて、下を覗く。
「よぉ……蜘蛛の糸が切れちまったか?」
夏奈の笑みは、猛獣のそれに近かった。
「ひぃぃっ! 近寄るなぁっ!」
「おらっ、待ちやがれ!」
カンダは梯子を駆け上がり、天井近くの足場へ逃れようとする。
その足首を、夏菜が掴んだ。
「いやあああ落とさないでぇ!」
「安心しろ、死にやしねえよ。…たぶんな」
引きずり下ろされた体が、空中を舞う。
着地の角度を殺すよう、夏菜は袖を掴んで引き下ろし、床へ転がす。
「いったぁぁぁぁ!」
転がった勢いを利用して、夏菜は膝で肩を押さえ込み、
手首を拘束する。
結束バンドがギチ、と鳴った。
「ひぃぃ、暴力反対ぃぃ」
「ふん、さっきからピーピー鳴きやがって。
カノンにあんな真似しておいて、
優しく撫でてもらえるとでも思ったか?おい」
低い声。
笑みが消え、虎の唸りが顔に宿る。
「はひっ…」
カンダの喉が上下し、言葉が絡まる。
咄嗟に言葉が口をつく。
「ま、待ってってば! あたし監査役なんだから!
手ェ出したら後でタダじゃ——」
「監査だぁ? へぇ、どこの?」
「ふ、ふん!
”暗夜會”に報告すればあんたたちなんか一瞬で潰れるんだからッ!」
夏菜の口角が、わずかに釣り上がる。
「ほー……やっぱバックついてんだ?暗夜會ねぇ。
…面白れぇことになりそうだな」
「あっ、言っちゃった……」
カンダは慌てて口をつぐむ。
結束バンドで固定された手が落ち着きなくうごめく。
◇
「ったく、今更だんまりしやがって」
夏菜は拾い上げたスマホを軽く振る。
連絡先は沈黙のまま。糸は切れている。
半泣きのカンダの脇に腕を差し込む。
「おい、暴れんなよ。こいつは没収だ」
「びぇぇぇん……!」
「女がビービーうるせぇな……
せいぜい今のうちに泣いとけ。
後できっちり締め上げてやるからよ」
ひょい、と片腕で抱え上げる。
もう片方でスマホをポケットへ押し込んだ。
倉庫の割れ窓から月光が差し、虎の背を縁取る。
ぶら下げられたうさぎの涙が、その光で小さく光った。
「思ったより離れちまった。
……うまくやれてるんだろうな。
鷹津、静……天凪」
独り言のように呟き、夏菜は踵を返す。
廃倉庫に夜気が流れ込み、鎖がかすかに鳴った。




