第34話 静vsアシダカ&ジョロウ
アシダカが部屋の隅に投げた机から、
帳簿がばさりと落ちた。
もはや言葉は無く、殺気だけが満ちる。
「シイィッッ!!」
ジョロウが素早くダーツを二本抜き放った。
銀の閃きが静に向かい、二本の直線を描く。
静は一本目を首の動きだけで避ける。
二本目を右手の甲で払い、
はね上がった矢羽を空中でつかみ取る。
そのまま同じ速度でアシダカへ投げ返した。
「なっ――!?」
「うぉっ!」
距離を詰めていたアシダカは咄嗟に手の甲で弾く。
…わずかにガードが開いた。
次の瞬間、静のストレートリードが鼻梁を撃ち抜く。
同時に、独特の足さばきから低いローが前足を払う。
ジークンドー独特の歩法、
わずか一拍の間に、上と下。
アシダカは支えを失い、床に崩れ落ちた。
「くっ……!? まずい……!」
静が即座に回り込み、
倒れたアシダカを踏みつけに動く。
「セアァッ!!」
ジョロウが回転しながら後ろ蹴りを差し込む。
仰向けのアシダカから繰り出されたプッシュキックが追撃となる。
衝撃。静は一歩退き、呼吸を整える。
最短、最速、合理的。
静の流儀に相手に合わせるなどという思考は存在しない。
――だが、相手も一筋縄ではない。
「クソ、なんつう速さだ、“音無し”……
オレは何をくらった」
立ち上がると鼻血を拭い、アシダカが歯を剥いた。
ジョロウはダーツを打矢のように構え、
目を細め、答える。
「縦拳。動きからして、多分中国武術…
イカレてるわ。カンフー映画じゃねえってのよ」
「…オレが捕まえる。お前は削れ」
「えぇ、了解」
短いやり取りを経て、再び空気が張り詰めた。
◇
アシダカの構えが低くなる。
レスリングスタイルで、被弾を承知の前進。
静の死角を狙って突進する。
静は独特の細かいステップで正面を外し、
前膝へ軽いストッピング・サイドキック。
踏み込みを止める。
しかしその刹那を妖艶な蜘蛛が狙う。
ジョロウのダーツが顔面を狙って飛ぶ。
弾かれる——
だが、同時に投げられたもう一本が太腿に刺さった。
「少しずつでいい! フットワークを潰せ!!」
アシダカが怒鳴る。
静は無言で矢を抜き捨て、再び円を描くように動く。
「くそ、少しは動揺しなさいよ……
毒でも用意しとけばよかったわ……」
ロー。サイド。ロー。
静は前足だけを刻む。
寄せては返す波のように、型に囚われず。
スタンスチェンジ、細かな出入りによるフェイント、間合い調整。
現代格闘とはリズムの違う動きで翻弄する。
アシダカはガードを固め、
打ち返しと同時に腕を伸ばして掴みにいく。
掴めない。焦りがにじむ。
音無しの異様な引きの速さだけが要因ではない。
——踏み込み切れない。
アシダカが抜かれればジョロウは最短で仕留められる。
そして自分も。
その心理が見抜かれている。
連携が崩れれば勝てず、
投擲術で動揺を狙う作戦に、顔色すら変えない異常者。
——かつて喫した敗北の悪夢が脳裏をよぎる。
奴に借りを返すまでは、負けられない。
アシダカの踏み込みが鋭くなった。
抜かれる危惧を捨て、勝負に出る覚悟。
ジョロウのダーツがその動きを援護するように散る。
小さな風切り音が響くたび、
静の腕や脚に傷が増える。
何度目かのタックル。
起こりにあわせ、静の間接蹴りが膝の外側を弾く。
「っ……!」
ペンデュラムステップによる超速の引き——
蹴り足の回収に、アシダカが合わせる。
ステップイン、強引に前腕で首を抱え込む。
引き込み。
その瞬間、静の手が開く。
人差し指と親指の間を使った、
“水かき打ち”が人中を打つ。
「グオォオッッッッ!!!」
アシダカは鮮烈な痛みを咆哮で押し流し、
首相撲の形に移行、膝を突き上げる。
一発、二発——
肘でのガードは間に合っているが、体格が違う。
確実に効いている。
次の一発を打とうとした瞬間、
静はアシダカの軸足を踏みつける。
膝から脛をこそぐような軌道、
足先にはトゥガードが入っていたが、
アシダカの動きが一瞬硬直する。
刹那、静の掌底が顎を打つ。
アシダカの想定外に軽い衝撃。
そのまま指を立て、顎を軸にひねる。
虎爪の形にした指先が眼球を撫でた。
本命は目潰し——静の流儀に禁じ手は存在しない。
「——ッ!」
視界が白むアシダカ。
「…ッ!こっちよッッ!!!」
背後に回ったジョロウのダーツが、三、四、と静の背に刺さる。
アシダカのラリアットがガードの上から叩きつけられ、
静の身体が横滑りに吹き飛ぶ。
飛んだ先へ、ジョロウの回し蹴り。
前腕で受けるも体勢が崩れ、膝が落ちる。
「…っ」
静の口から、確かに苦痛の声が漏れた。
小さな傷から、じわじわと血がにじむ。
「ここだ!!」
滲む視界の中、アシダカが距離を詰める。
これまでの低空から変化、
高い重心のアメフトに近い抱え込みタックル。
全身の筋肉を総動員した最も速い突進が、
静の間合いを突破した。
(捕まえた!!力勝負に持ち込めば勝てる!)
——ジョロウが確信した瞬間だった。
「ぐぼぉぉ!!?」
未知の衝撃がアシダカの体内で炸裂し、肺の空気が逆流する。
——寸勁。
実戦では使えないとされる技術。
置いた拳に、全体重と腰の切り、床反力をすべて束ねる技。
理外の一撃が、アシダカのみぞおちを打ちぬいていた。
「……っ!?」
ジョロウが即座にダーツ。
静は見ない。集中の極致。
空気の流れを感じ取り、
肩をずらし、首を傾げ、線を外す。
——視線すら向けずにすべてかわした。
アシダカが本能で下がる——
だが、静の足はすでに動いていた。
静の左足が、ミドルの予備動作を起こす。
にじむ視界の中、アシダカは対応しガードを構える。
——否、それはフェイント。
フェイントの勢いで回転し、スタンスを切り替えながらステップイン。
外からの蹴りに備えたガードの内側で、
旋風のような回転が生まれる。
後ろ足刀蹴り——
回転の力が直線の力に転化される。
蜘蛛の首を落とすような切れ味で、
静の足刀がアシダカの首に炸裂した。
アシダカの巨体が宙を舞う。
轟音を立て、机に落下。
その音が、戦闘の終わりを告げた。
息を切らす静の前で、アシダカが完全に沈黙する。
ジョロウは一瞬、ダーツを構えたまま固まり——
床に放ると、ゆっくり手を上げた。
唇だけが笑っている。
「……降参するわ。全部、渡すから命だけは」
声には焦りも、後悔もなかった。
ただ冷静に——計算された敗北のように。
静はその言葉に、わずかに眉を動かした。
ジョロウの冷たい眼差しの奥に、一瞬だけ光が走る。
——“まだ、終わっていない”。




