第30話 襲撃前夜
深夜。
一琉は貸し与えられた簡易寝台から静かに立ち上がる。
ジョロウによって案内された部屋から出て、
静かに息を潜める。
廊下の角で足音を聞き取りながら、標的を待っていた。
シャワーの水音が止み、
軽いスリッパの足音が近づいてくる。
「あ〜シャワーの後って妙に腹減るんだよね……
あ!アンタなんか作ってよ~」
角を曲がった先でカンダとばったり出くわす。
濡れた髪をタオルで拭きながら、
眠たげな目で一琉を見上げていた。
「じゃあ、お夜食の用意してきますね」
一琉はやわらかく笑い、カンダの脇をすり抜ける。
その瞬間——。
(今)
すれ違いざま、指先がポケットに滑り込む。
軽い感触。
わずか一秒で、スマホは彼の手の中にあった。
カンダは何も気づかず、
欠伸をしながら部屋の扉を開けて消える。
廊下の灯を消し、静寂。
誰かが近づけば光か音で確実に気づき、
取り繕うことができる位置取り。
一琉は冷静に、掌のスマホを見下ろした。
(ロック解除パターンは……これだ)
パーティ中に、彼女が何気なくスマホを操作した角度と動きを記憶している。
指先でなぞるように入力すると、あっさりと画面が開いた。
光は最小。音も通知も完全にオフ。
訓練された手つきで、
メッセージ履歴、位置情報、通話記録を辿っていく。
(……隠語で定期報告。
アジトの位置情報も残ってる。
…重要な情報は皆無。
捨て駒なのは間違いないな)
ほんの数分。
だが、その間に一琉は取りうる限りのデータを“抽出”し終えた。
自ら集めた蜘蛛の情報を併せ、特定フォーマットで圧縮。
事前に記憶していた送信先——
静と梨々花の端末へ転送する。
(……まずは蜘蛛から…上の組織については後だ)
最後に、一琉は暗夜會への緊急通報番号を編集した。
かけても繋がらないよう、無効化。
数分後。彼はトレーに軽食を乗せて戻る。
堂々とスマホを渡し、小さく声をかけた。
「スマホ、落ちてましたよ」
「あっ、あたしのじゃん! 助かった〜☆
それ、ご褒美ぃ~~♡」
カンダは何も疑わずそれを受け取り、
一琉に抱き着くと尻を撫でまわした。
(カンダには、ギリギリまで泳いでもらう)
「さーてご飯ご飯☆
あんたも食べちゃおうかな~?♡」
一琉は穏やかに微笑み受け流す。
その瞳の奥は、冷たく研ぎ澄まされていた。
◇
同じ頃。
カノンにほど近い駐車場——
そこに桜坂中の面々が集まっていた。
静と梨々花がスマホを取り出す。
一琉からのメッセージを開くと、
大量の内部データが表示された。
画面を覗き込む四人の顔に、緊張が走る。
「……スパイ映画かよ」
夏菜が思わず息を漏らす。
「アジトの構造に、スケジュール、連中の人間関係まで。
どう考えても素人の仕事じゃねぇぞ。
潜入したの今日だぜ?
静でも追えたのはアジトの場所ぐらいなんだろ」
鷹津が半笑いで肩をすくめる。
「いやマジで。
あーしら校内の尾行だけでもヒィヒィ言うのに、
中坊でここまでやる? 逆に怖ぇわ」
梨々花は眉を寄せ、真顔で呟く。
「……本当に、あの一琉クンがやったの?
誰か裏にいるんじゃない?」
静は、無言のまま画面を見つめる。
その瞳は、ただ驚きに染まっていた。
「……すごい」
彼女の小さな声に、場の空気が一瞬止まる。
梨々花が画面をスクロールしながら説明する。
「扉、窓、非常口の位置に、幹部の性格、関係性まで……
ジョロウとアシダカはおそらくバディ。
マネキは独自で動いている雰囲気。
カンダは戦闘員には見えない上からの監査員…か」
「しかもカンダの連絡先は編集済み。
外部連絡も切られてる」
「明日の夜は資金集計……幹部全員集合だな」
夏菜が腕を組み、口角を上げる。
「……だったら決まりだ。
迎えに行ってやらねぇとな」
「夜の資金集計に合わせるか?」
鷹津が提案する。
「…一網打尽にする」
「ただし、静ひとりじゃ無理よ」
梨々花が現実的な声を出す。
「数が多い。私たち全員で動く必要があるわ」
静が画面を閉じ、短く言った。
「……必ず助ける」
その一言が、全員の胸を震わせた。
場が一気に引き締まる。
◇
月明かりの下、襲撃計画が練られていく。
「あーしはマネキだ。
蜘蛛の巣会に勧誘しながら、見下してやがった。
前から気に食わなかったんだよ、あの女」
鷹津が獰猛に笑う。
「ふぅん、いいんじゃねえの。任せたぜ」
夏菜はにやりと笑った。
「……私は一琉クンのもとへ行く。
首魁は私が仕留める」
静の声は冷静で、芯があった。
「…多分2対1だぜ。やれるのかよ」
「問題ない」
夏奈の疑問に即答する静。
「ひゅぅ、ま、それが筋だな」
夏菜が頷く。
「じゃあ私はカンダを押さえる。
逃したらロクなことにならねえ」
「その判断は正しいと思うわ」
梨々花が頷く。
「つーかこいつだけ蜘蛛の名前じゃなくねぇ?
なんなんだ?」
「蜘蛛の糸、だとしたら送ったやつは相当性格悪いわね」
「…あぁ、カンダタってこと?なるほどね…」
梨々花は冷静に話を進める。
「カンダを確実に抑えたら、
静の援護に回って。
私は外で張る。負けそうだったら助けを呼ぶ」
夏菜は拳を握る。
「そんな無様さらしたら不良として終わりだぜ。
絶対負けられねえな」
「……役割は決まったな」
鷹津が締める。
「あとは全員、迷わずやるだけだ」
◇
作戦会議が解散したあと。
夜の路地を、夏菜と鷹津だけが並んで歩いていた。
自販機の灯が二人の顔を青白く照らす。
「……なぁ夏奈。正直、怖くねぇか?」
鷹津が缶ジュースを開ける。
「何が」
「これだよ。アジトの構造から人間関係まで、全部抜いてやがる。
中坊の仕業じゃねぇ……裏に誰かいんじゃねぇのか?」
夏菜は歩みを止め、振り返る。
「……いや。あれは“天凪自身”の能力だ。
人の動きとか言葉とか、全部“材料”にしてんのさ。
普通の男の子じゃできない芸当だ」
「……じゃあアイツ、
昔から“そういう場所”にいたってことか?」
夏菜は少しだけ口角を上げる。
「さぁな。
……でも、言いたくないことなんだろ。
だったら、無理に聞き出すことじゃない」
鷹津はしばらく黙り、缶を握りしめる。
「……チッ。気に入らねぇけど、確かにそうだな。
言う時は、アイツが自分で言うだろうし……」
夏菜が笑った。
「それまでは、あたしらが支えてやりゃいい。
だろ? 仲間だし」
「……ふん、仕方ねぇな。
ま、あいつが自分で口割るまで……
背中くらいは預かってやるよ」
二人は再び歩き出す。
自販機の光が遠ざかり、夜風が静かに背中を押していた。
襲撃の時は近い。




