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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦 ―氷檻と偽炎―

一面を覆う氷の檻。その冷たさは肌を刺し、肺を凍らせ、時間さえ封じ込めていた。それでも、フーリェンは諦めていなかった。微かに震える指先。凍てついた空気の中、わずかに動く左手が、腰のポーチに触れる。その指は、確かなものを求めて探る。それは、この戦場に立つ前――ある夜に、確かに託されたものだった。


**

「……で、実際どうする?お前の能力、どこまで出す?」


場所は、ジンリェンの自室。彼の部屋はいつも通り書類に埋もれており、地図の上に小さな兵士の駒がいくつも並べられていた。その部屋で、フーリェンとシュアンラン、そしてランシーを加えた四名が顔を突き合わせていた。


「……印を持つのは決定。だけど、フーの能力については…詳細まで知っているのはフェルディナの兵士の中でもごく一部だけだろ」


シュアンランは顎に手をかけながら、冷静に考えを巡らせる。下手に能力を晒せば、オルカとの間に起きている問題と同じようなことが起きかねない――彼はそれを懸念していた。


「フーの能力、使えば確実に先手は打てると思うんだよな……でも、そうだよな…。どこで誰が見てっか分かんねーし。しかも、お前が能力晒して戦う姿は、こっち側でもほとんど記録にないだろ…?」


ランシーが唸りながら口を挟む。


その時、不意にドアが開いた。木の軋む音とともに、部屋の空気が変わる。


「……悩んでいるな」


入ってきたのは、金の髪と気品をまとった青年――第一王子アルフォンス。


「……殿下…わざわざお越しいただかなくても……呼んで下さいよ」


ジンリェンが眉をひそめる。アルフォンスはお構いなしに椅子を引き、テーブルの上の地図を眺める。


「第四軍の隊長がフェイクを持って戦場を駆ける……妥当な役割だな。で、能力を開示するか否か、だったな」


フーリェンがわずかに視線を逸らす。アルフォンスはその反応に薄らと笑みを浮かべた。


「……フーリェン。私は、お前に“隠せ”とは言わない」


静かに、だが明瞭な声で告げる。


「現状を考えると、躊躇う気持ちも分かる。が、それがどうした。もうすでに情報は漏れているんだ。いっそのこと、堂々としていろ」


彼の言葉に、部屋の空気がふっと変わる。


「少なくとも、フェルディナはお前を“兵器”ではなく、“一人の兵士”として見ている。自分を出し惜しむな。……恥じる必要なんてない」


フーリェンの表情は変わらない。だがその喉元では、ごくりと小さな音が鳴った。


──その夜。


訓練場。星のない空の下。


「……全部、出していいなんて言われたって」


フーリェンは槍を手に立っていた。誰もいない訓練場を眺めながら、ひとり小さく呟く。


「……まだ、迷ってるのか」


背後から声がかかる。振り返るまでもない。ジンリェンの声だ。


「ジン……」


琥珀色の瞳が、小さく揺れる。月光を反射したその目が、不安そうに兄へと向けられる。

 

「そんな顔すんな。アルフォンス様もああ言っているし、それに、ルカ様にも顔出したんだろ」


尚も思い悩む弟へとジンリェンは静かに歩み寄ると、腰から小さな袋を取り出した。


「持ってけ。氷になら、少しは役に立つだろ?」


それは、軽く揺れる小瓶に入った、深紅の液体。


「やるなら全力で、だろ」

**


フーリェンの指は、凍てついた腰のポーチの中で小瓶を探り、ようやくそれを掴んだ。親指ほどの大きさのその中には、濃い朱に染まった液体――兄ジンリェンの血液が封じられている。兄の能力を模倣するための「鍵」。その血は双子であるフーリェンにとって、力の回路を無理やり接続するための媒体となる。フーリェンは躊躇なく瓶を引き出すと、凍てつく腕を無理やり動かし、口へと放り込む。そのまま力いっぱい噛み砕いた。


ピシリ、というガラスの砕ける音と共に、熱が走る。


直後――


氷の檻が、溶けた。


「……!?」


一斉に驚きの声が上がる。それまで凍てついていた大地に、朱の炎が瞬いたのだ。中心に立つフーリェンの姿が、模倣しかけの兎の姿から、本来の白狐の姿へと変化していく。白い毛並みに、炎を宿した琥珀色の瞳。その背から立ち上るのは、まさしく――“炎”。


「……あの能力は……!」


アドルフ隊の兵が驚きに息を呑む。同様に、アスラン軍側にも一瞬の動揺が走った。


(あれは……炎の能力……? なぜ第一軍隊長の力が……)


ヘルガーの眼が、鋭く細められる。しかし、その疑問に応じる余裕はフーリェンにはなかった。この一瞬の隙を、逃すつもりなどない。


炎をまとった槍を振るい、素早く後方を蹴って距離を取ると、そのまま猛然と駆け出す。その目は真っ直ぐヘルガーに、槍を逆手に握りなおす。そして――


(狙うは……お前だ…!)


フーリェンは勢いをそのままに身体を後方に捻り、狙いを定める。視線がヘルガーから後方にいたバルドへ向けられる。燃え上がる炎が槍を包み込むと、フーリェンは迷わずにそれを投擲した。


「……!」


バルドの目がわずかに見開かれる。即座に氷の壁を出現させ、迫りくる炎を止めようとするが、フーリェンの炎はそれを打ち破る。氷が焼けただれ、爆ぜるように崩れた。


「くっ……!」


バルドは紙一重で身をかわすも、体勢は崩れ、凍結と焼失の間で支えを失った。


「今だ、行け――!」


フェルディナ兵の一人が叫び、数名がバルドへと飛びかかる――


――その瞬間。


「……やらせるか」


氷を切り裂くように走る音が、フーリェンの背後で響いた。


(しまっ――)


凍てつく氷柱が突如として地面から隆起し、白狐の身体を弾き飛ばす。同時に、鋭く伸びた氷の槍が、フーリェンの首に下げていた印を狙って突き刺さる。


「……ッ」


印が宙を舞った。白銀の氷面に、印のタグが落ちる音が、大きく響く。


「フェイクとはいえ……一つ、潰したぞ」


低く抑えたヘルガーの声が、戦場に重く沈んだ。


同時にフーリェンは崩れ落ちるように地へ膝をつく。その体からは炎がすでに消え、肩で息をするばかりとなっていた。


「……くそ」


だが、その目はまだ、決して折れてはいなかった――。

 

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