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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦 ―氷牙2―

冷気が満ちていく森の奥、夜の帳は薄氷のように張り詰め、あらゆる音を凍らせていた。ヘルガーはその最前に立ち、気配を遮断しながら徐々に敵陽動隊へと接近する。森の隙間を縫うように動くその動きは、獣のそれでありながら、冷徹な軍人の計算を孕んでいた。


そしてついに、視界の先にある獣の姿を捉える。月明かりのわずかな光を反射する、銀白の斑点。素早く動き回る猫科の獣人たち――その中央、指揮を執るひとりの雪豹が、静かに指を上げていた。


(あれが……陽動隊の中心か)


一呼吸置いて、ヘルガーは片腕を軽く上げる。その動きに応じ、彼の背後に控える部隊が一斉に姿勢を低くし、臨戦態勢に入る。次の瞬間、彼の前方一帯の地面が瞬く間に凍り始める。氷の息吹が地表を走り、木々の根元をも包み込み、膝下まである草を地形ごと氷結させる。


「包囲の準備。まず足を止める」


部下たちが無言で頷き、氷の陣を左右から展開していく。本来なら、敵はここで足を奪われ、追撃を受けて壊滅するはずだった。


「全員、後方へ15メートル跳べ!」


風に乗って届いた声に、ヘルガーの眉がぴくりと動いた。敵の雪豹――その指揮官は、冷静かつ的確に命令を飛ばしていた。しかもその一言のあと、敵部隊の全員が――氷が迫る寸前の、ほんのわずかな“安全地帯”へと一糸乱れずに移動していたのだ。氷の波は空を切り、ただ、木々と土を凍らせただけで終わった。


(……今の指示の出し方、声の張り、判断速度――)


思わず、脳裏に過る顔。数日前、訓練場の片隅で少しの間言葉を交わした第四軍の隊長。白狐の獣人で、口数は少なく冷静、だが芯に炎を宿したような眼をしていた青年の姿――。


「……フーリェンか?」


だが、目の前にいるのは明らかに違う。白銀の毛並みに、斑点の浮かぶ猫科――雪豹の姿。あの白狐とは、種族からして異なる。戸惑いが一瞬胸をかすめたが、次の瞬間には氷のように感情を封じる。


氷はかわされた。ならば、次は確実に仕留めるだけのこと。


「バルド、右に回れ。俺が正面を押さえる。印持ちだ――確実に潰せ」

「了解」


犬獣人の副将が静かに動き出す。氷の刃と、牙を持つ影が、銀白の風を飲み込もうと包囲を狭めていく。周囲の気温がさらに数度、下がった。


ーーーー

フーリェンは本能で動いていた。


氷が地を裂く。滑るように這い進む冷気は、音もなく獲物を凍てつかせる牙だ。だがその牙が獲物に届くより早く、フーリェンの部隊は駆けていく。


「三時の方向へ回り込め、氷は後から伸びる。動き続けろ!」


命令と同時に、猫科の獣人たちが木々の隙間をすり抜けていく。一本の蔦を掴み、枝から枝へと跳ね上がる者。倒木の陰を利用して氷の波を避ける者。霜を踏まず、雪を蹴る――


「やってやるさ!」


叫んだのは、鋭い爪と反射神経を持つ山猫の獣人。その背後、氷の刃が木の幹ごと吹き飛ばすように走った。


その眼前、氷の中心で冷たい双眸をこちらに向ける指揮官。定めた標的に向かって、フーリェンは風のように駆け抜ける。雪を蹴り、氷を駆け、木立をなぞるようにして一直線にヘルガーへと突進する。後方では、仲間たちが敵の氷使いたちと交戦を始めていた。誰もが命を賭ける覚悟で、自らの限界を振り切っている。


ヘルガーは迫る雪豹の姿を明確に捉えていた。


(……速い)


霧氷の中を駆けるその姿は、目で追うのがやっとである。


「バルド!」


呼びかけに応じ、すでに横から雪豹の進路を塞ぐようにバルド跳びかかる。氷の刃を巻き上げるように広げ、雪豹の横腹に斬撃を放つ。


しかし、フーリェンは止まらなかった。反応の速さは猫科の中でも際立ち、彼の斬撃を受け流すように一回転しながら背後に着地する。そのまま体勢を整えずに飛びかかろうと一歩前へと踏み出し――そこで一瞬、その目が犬獣人の首元を見やった。


月光が薄く照らした、首にかかる“印”。


フーリェンはバルドの一撃から身をひねって距離を取ると、すぐさま逆方向に飛び退いた。


氷の霧が再び襲いかかろうとしたその瞬間――


「――ッ!」


月明りを背に、雪豹の姿が崩れる。その場にいた敵兵の視線が、一瞬にして彼に集中した。白銀の毛皮が消え、代わりに現れたのは大きく垂れた耳に、大きな琥珀色の目。視線が集まるそこに立っていたのは――戦場には不釣り合いな華奢な白兎。ヘルガーの目が、かすかに見開かれた。


(姿を……変えた?)


第四軍隊長の正体について、確証を得ていなかった彼の中に、一つの違和感が走る。


聞き覚えのある声。聞き覚えのある指示の出し方。そして――今の変化。


訓練場の片隅で、言葉を交わした白狐の青年。その能力を問うたヘルガーに対し、淡く笑みを浮かべた双子の弟。


「……なるほど…面白い」


その瞬間、ヘルガーの冷気が、まるで獣のように牙を剥いた。バルドもそれを察し、氷の防御を構築しながら白兎との距離を詰めにかかる。


 氷と雪と、疾風と。


命を削る戦の最中に、フーリェンの大きな瞳は静かに燃えていた。

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