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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦 ―印―

風が木々の間を通り抜け、ざわめきを残していく。それに溶け込むように、数名の獣人の影が走った。雪豹の姿となったフーリェンは猫科獣人のみで編成された小隊を率い、森の暗がりを縦横無尽に駆けていた。


まだ、追ってきている。背後に漂う気配。追尾しているのは、アスラン軍の遊撃隊。地形を把握し、風向きを読み、戦線を切り裂くように走る。まるで風の一部になったかのように、フーリェンたちは敵の注意を翻弄し続けていた。


「第二班、東の丘へ。回り込みながら姿を見せろ」

「了解ッ」


短く、的確な指示に反応して動く隊員たち。異なる軍に所属しながら連携がここまで成立しているのは、彼らが互いを信頼し、同じ速度で戦場を駆けるからだ。


その時、フーリェンはふと、風の流れの乱れに気づいた。――地が、揺れている。


前方の斜面が、ごく僅かに歪むように波打った。跳躍して木の枝に身を乗せた次の瞬間、足元の地面が隆起する。大地が牙を剥いたかのように、岩が地中から突き出した。


「下がれ、崩されるぞ!」


咄嗟に指示を飛ばす。味方が一斉に左右へ散開する。直後、地面が大きく隆起し、一直線に“壁”が立ち上がった。その陰から現れたのは、アスラン軍の別働小隊。その中央――動きの重心が異なる虎獣人が一人、陣頭に立っている。足元から伝わる大地の振動が、その男の周囲で強くなっていた。周囲の地面がさらに持ち上がる。森の一帯が迷路のように変貌し始めた。


「……厄介だな」


小さく舌打ちをし、視線をその男の首元へと向ける。月の光がその一角を照らす。


――“銀の印”。


それは、まさに今、彼自身の胸元に揺れているものと全く同じ形状だった。後ろには遊撃隊。即座に、脳内で戦術が切り替わる。味方に向けて小さく尾を振る。彼らにとっては、それが作戦変更の合図。


「印を確認。一班、煙を展開しろ。二班、進路を変更、左へ回り込め。僕が行く。他を頼む」

「了解!」


雪豹の体が低く地を這い、周囲の闇へ紛れる。


本物か、フェイクか――どちらでもいい。まずは、確保。本物であろうが囮であろうが、“印”を握っている以上、戦術的な価値はある。


フーリェンは静かに息を吐き、地面を蹴った。雪豹の脚が一閃、風のように前へ――。


その先には、地を操るアスラン軍の指揮官。油断はない。次の瞬間、地面が再び割れ、鋭く尖った岩槍が突き出される。その一撃をわずかに躱し、陽動隊の面々はそれぞれ斜面を駆け上がる。フーリェンは素早く腰を低くし、尾を緩やかに弧を描くように揺らしながら、獣のような足取りで一歩踏み出す。


目の前に立つ敵――大地を操る能力を持つアスラン軍の指揮官は、まだ若いが気配は洗練されていた。岩を隆起させ、足場を崩し、地形そのものを戦術に組み込むその戦い方は、奇をてらわずして堅実であり、同時に恐ろしくもあった。


踏み出した瞬間、地面が弾けた。


応じるように隆起する岩塊。土を巻き上げて槍のように突き上がってくる。考えるよりも先に、身体が反応する。フーリェンの体が、重力を無視するかのように宙へ浮かぶ。雪豹の身体は、筋肉の密度と柔軟性が高い。空気を裂き、身軽に飛ぶ彼の影が、夜の月を一瞬遮る。


空中で半回転しながら体をひねる。背中に差した槍を引き抜く。柄尻に重みを加え、勢いを殺すと同時にそのまま急降下。槍を下段からすくい上げるように敵へ向けて振るった。鋭い金属音。敵は岩を前面にせり上げ、盾のようにして防ぐ。


正面は難しい。ならば――と、フーリェンは地を蹴ると同時に身体を捻り、旋回する。右足が地を擦り、砂利を舞わせる。それを目くらましに横薙ぎの一閃を放つ。


「ぐっ……!」


敵指揮官の視線が釣られた。その一瞬の隙――フーリェンの目が“印”を捉えた。首元、鎖骨のすぐ上にかかる、革紐。側面から別の狼獣人が割って入る。その手に握る短刀が、迷いなく自身の首元へと迫る。が、フーリェンが僅かに身をよじらせその切っ先を回避すると同時に、背後から仲間の隊員が姿を現す。


金属が激しくぶつかり合う音。隊員の作り出した一瞬の隙。フーリェンは迷わず槍の穂先を反転させ、右手から左手へ持ち替えると同時に一歩踏み込む。彼の動きに合わせて、仲間の一人が後ろ足で地面を蹴り上げる。砂が舞い、相手の視界を微かに乱す。次の瞬間、フーリェンは重心を極端に前に傾け、体を“滑らせる”ように懐へ飛び込んだ。


槍の先が、まっすぐに革紐を狙って走る。


「ッ……!」


敵の指揮官が、わずかに後退――しかし、間に合わない。音もなく、革紐が断ち切られた。印が宙を舞い、月光がそれを照らす。フーリェンの右手がそれを空中で確実に掴み取ると同時に、槍が横へと振られる。防御の構えを見せた敵に追撃は加えない。


動きが、止まった。彼の背後で構えていた兵士たちも、即座に槍と武器を伏せる。“印”を奪われた時点で、その小隊は“戦死”扱いとなる。――それ以上の戦闘は、許されていない。


「……やられた、か」


敵指揮官が息を整えながら、口を開く。


「見事な連携だった」


フーリェンは無言で頷き、腰の袋に印を収める。


「このまま進むのか?」

「……まだ、夜は明けていない」


短く返すと、フーリェンは背を向けた。敵指揮官は短くうなずき、背後の兵に合図を出す。


「お前たち、撤退だ」


その声を聞いていた遊撃隊――すぐ背後まで迫っていた獣人たちの気配がすっと離れていくのを、フーリェンの耳は捉えていた。撤退したか、あるいは別働隊へと目標を変えたのか。


風が、彼の尾を揺らす。白銀の斑が月に照らされるその背は、仲間たちの先頭に立ち、再び夜の森へと溶けていく。


その手には、奪ったばかりの“印”が、しっかりと握られていた。

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