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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第1章

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偵察2

踊り子を名乗る猫の獣人は、男たちの視線を集めながら薄暗い酒場の一隅に身を寄せていた。黒衣を少しだけ崩し、肩をのぞかせている。酔客の視線が時折絡みつくが、表情は微動だにしていない。


「お嬢さん一人かい?」


声をかけてきたのは村の警備兵だという中年の男だった。鼻声で、酒臭い息を吐いている。


「旅の途中で、ひと息つきたくて。……この村、噂が多いのね」

「噂? 何の?」

「若い子が突然いなくなるって」


男の目が一瞬細まる。だがすぐに笑みが戻った。


「よくある話さ。どこだって働き口の紹介ってのはあるだろう。領主様が雇ってくださるんだ。食いっぱぐれた奴にはありがたい話だ」

「じゃあ、戻ってきた子もいるの?」

「……さぁな。雇い先が遠いんでな」


琥珀色の瞳が、じっと男を捉える。猫らしい艶めいた仕草を織り交ぜつつ、フーリェンはテーブルの下にある足をゆっくり組み替えた。


「お嬢さん、あまり深入りしない方がいい。あの屋敷には招かれた者しか入れな――」


続きを言いかけた男が、不意に言葉を切った。視線は入口へ向いている。彼にならい、ちらりとそちらへと視線を流すと、黒い外套を羽織った男が二人、音もなく入ってきたところだった。そのうちの片方と目が合うも、そのまま奥の個室へと消えていく。


フーリェンはその背を見送りながら席を立つと、さりげなく男の袖を引いた。


「ねえ、案内してくれない? お屋敷を見てみたいの」

「……正気か?」

「もちろん。ちょっと、覗くだけ」


微笑とともに細い指先が男の腕に触れた。


数刻後。


村外れの林の影。屋敷の輪郭が遠目に見えるその場所に、フーリェンは立っていた。黒い瓦と高い塀。屋敷の裏手には厩のような小屋がいくつも並んでいる。しかし、そこに入っていくのは馬ではなかった。


「あれは……」


獣人の若者たちだ。無表情に、小屋に吸い込まれていく。


「最近じゃ、あそこに連れてかれた奴は戻ってこない。あんた、もうこれ以上は──」

「……ありがとう。ここから先は、私ひとりで行くわ」


フーリェンはひらりと細い尾を振ると、夜に紛れて男の前から姿を消した。


領主の屋敷で何かが行われている。そしてそれは“自発的な奉仕”ではない。夜風に乗って、微かに鉄の匂いが鼻をかすめた。


ここからでは分からない。一度、離れて様子を見るべきか。


目元を鋭く光らせ、フーリェンは塀の外に身を滑らせた。


――――

月明かりが差し込む水路のそば。ひと気のない時間を見計らって、ひとりの若者が汲み水にやって来た。表情は曇っており、足取りにはどこか迷いがあった。


「……あなた、屋敷に入ったことがある?」


その声にバケツを持つ手がびくりと震えた。立っているのは雌猫の獣人。艶のある外見とは裏腹に、彼女の声には緊張が滲んでいた。


「……誰、ですか」

「旅の者よ。あの屋敷で何が起きているのか、知りたくて来たの」

「……話せません。話せないんです、本当に……!」


若者は首を振り、足早に立ち去ろうとする。フーリェンは咄嗟に手を伸ばした。爪を立てないよう気をつけながら、だがしっかりとその腕を掴んで離さない。


「あなた、まだ正気ね」

「……?」

「私はこの村の者じゃないわ。だから、大丈夫」


若者は戸惑いの混じった視線をフーリェンへと向けた。


「……屋敷では、最初に茶を出されます。飲めと言われて、断れません。飲むと……頭がぼんやりして、時間の感覚も――」

「……名前は?」

「セラン。屋敷に入って一週間くらい……だと思います。……それ以上いた人は……皆、無表情で。命令に逆らわない。操られているみたいでした」

「あなたは?」

「僕は逃げ出した。夜、監視の目が一瞬だけ緩んだときに。けど……」


彼の手が震える。その瞳は、恐怖に濁っていた。


「何かが、屋敷の地下にいる。……言葉じゃ説明できないけど……人じゃない、何かが」


フーリェンは軽く頷くと、セランの腕をそっと離した。


「それで十分。ありがとう」

「あなた、いったい……」

「気にしなくていい。今話したことは忘れて。……忘れられるうちは、まだ戻れるから」


それだけ告げると、フーリェンは彼に背を向けた。


地下に何かがある。そう確信しながら、彼女は再び屋敷の影へと足を向けた。


闇夜に潜む猫の瞳が真実を射抜く刃に変わるその時は、すぐそこまで迫っていたのだった。


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