野営戦 -開戦3-
ライヤンの視界に映るのは、闇に溶けるように動くアスランの兵たちの姿だった。その動きは獣そのもの。まるで一匹の獣のような統一された連携と、躊躇のない接近戦――さすがは、全軍が獣人で構成された部隊と言うべきか。
「……これは、気が抜けないですね」
犬の青年は息を呑むこともせず、わずかに顎をしゃくって自部隊の配置を見直した。犬獣人、ライヤンの指揮する小隊は、第一軍と第四軍を中心に構成された混合部隊であり、重装兵と機動兵のバランスを取った実戦型の構成だ。
加えて、今宵彼が抱えているのはそれだけではない。
銀に輝くタグ――フェルディナ軍が所有する“フェイク”のひとつを、ライヤンは任されている。敵に狙われる可能性があるのを承知のうえで、目立ちすぎず、しかし存在感を消しすぎない立ち回りが求められる役割。
「ライヤン小隊長、東の斜面、敵影あり! 距離三十、数は不明!」
「分かった。今行く」
返事を待たず、彼の姿はふっと霧のように掻き消えた。次の瞬間、空気が揺れ、ライヤンの姿は十メートル先、敵兵の側面に突如現れる。彼の能力は“空間転移”。距離や遮蔽物に関係なく、自身の指定する場所に瞬時に移動することができる。
奇襲に対する奇襲。そのまま彼は、瞬間的に腕を捻って刃を交わすと、膝を入れて相手の体勢を崩した。アスラン兵は驚く間もなく地に伏す。
「いい動きですね」
静かに呟きながらも、その目は笑っていなかった。転移した先では新たな敵兵がすでに武器を構えているが、ライヤンは気にも留めず再び姿を霧のように消す。次に現れたのは、さらに十メートル斜め後方。そのまま手早く周囲の地形を確認すると、前衛に向かって叫んだ。
「盾兵、斜面沿いに後退!機動兵、左から回って囲め!」
鋭い指示と同時に、第一軍の兵士たちが確かな動きで陣を整え、第四軍の若者たちが続く。対するアスラン軍は決して無駄な動きをしない。感覚による統率。そして、戦の匂いに染まった本能。
「……なるほど。押しが強いわけですね」
彼の視線は遠く、森の深部を捉えていた。複数の地点で戦闘が起こっている気配。自軍の動きが見えづらいこの闇の中、どこかで“本物の印”を守る大将が身を潜めている。
だが、フェルディナ軍も劣ってはいない。フーリェンの陽動は機能し、シュアンランの小隊は音すら出さずに敵の背後を探っている。ジンリェンの配下たちは、まるで獣の本能を持つかのように気配を捉え、ランシーの軍は豪快に境界線の防衛と突破を続けている。ライヤンは薄く微笑んだ。
「向こうが牙を剥くって言うのなら、こちらにも考えはあります……」
その声は、闇に溶けたまま誰にも届かない。
――――
夜の森は深く、静かだった。しかしその静寂は戦場における最も危うい兆候であると、ジンリェンは知っていた。焚き火の灯りすら持たぬ暗闇の中で、敵も味方も息を殺し、刃を研ぐ音も消えていた。だがそれが今、わずかに破られた。
「……合図か」
空気の中に、わずかな“揺れ”が走った。事前に決めた、ライヤンからのサイン。
ジンリェンは、右手の指先を軽く上げた。それだけで、彼の周囲にあった静寂が、ふっと揺らぐ。
次の瞬間――
空気を焼き裂くように、森の四方で同時に炎が立ち上がった。ひとつは東の斜面、もうひとつは中央境界線付近、さらに北西の谷間、そして自身の足元から十メートル先――。ジンリェンの“炎”は、ただ燃えるだけのシンプルな能力である。だがそれにライヤンの転移能力を合わせることで、定めた地点に炎を移動させることが可能となる。光が瞬時に立ち上がったことで、漆黒の森に“目”が生まれた。それらがまるで誘いのように夜を彩る。
「これで、どこが“本命”か、多少はわからなくなるだろ」
彼の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。炎は、味方には“照らし”として、敵には“目標”として映る。本来、夜戦において火を使うのは自殺行為に等しい。だが、それを逆手に取れば――それは陽動の刃にもなる。
「――来るぞ」
草を揺らす音。木の陰から姿を現す、アスランの獣人兵。ジンリェンは軽く手を翳した。その瞬間、足元から地を這うように“炎の壁”がせり上がる。立ち上る火の帯が、敵の進路を分断し、動きを一瞬止めた。
「ここを抜けたければ、もう少し踏み込んでみろよ」
炎がちらちらと揺れる中、ジンリェンは静かに歩を進める。獲物は抜かない。今宵、彼の戦いは、敵を“燃やす”ことではない。視線の先――敵の意識が炎へ向いた一瞬を狙って、後方から味方の兵が飛び出す。
「今だ、囲め!」
草陰から飛び出した三人の機動兵が、一気に包囲を狭めた。敵は翻弄され、踏み込むことも、退くこともできない。ジンリェンはその様子を一瞥すると、視線を再び周囲へ向けた。遠くで立ち上がる自らの炎――それを目指し、少しずつ獣が集まりつつある。そしてさらに別の地点――地形的に不自然な開けた空間。敵が“本命の大将”の可能性を感じるであろう一角に、遅れて炎がもうひとつ灯る。
(アンナ……お前が、この作戦の“鍵”だ)
あの日、自分たちが選ばれたように。この戦の要は、一人の少女の肩に。
戦況はより複雑に、より勢いを増していく。
そのすべてを、炎は見ていた。




