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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦(前)

東の空が朱に染まり始めた頃、訓練場には既に重たい空気が満ちていた。第四軍の兵たちが整列し、その前列には今回の野営戦に選抜された二十名が立っている。いずれも若く、だが目に迷いはない。フーリェンは彼らの前に立ち、静かに視線を一人ひとりへと滑らせた。隊服の裾が風に揺れるなか、彼はゆっくりと口を開く。


「……まず、選抜された者たち。自分が選ばれた理由は、戦えるからではない」


風が一瞬止まり、場が息をのむ。


「“守れる”と判断されたからだ。自分を、仲間を、状況を。何を優先し、何を捨てるべきか、判断できる者を僕は選んだ」


誰も動かない。ただ、まっすぐにフーリェンの声を受け止めていた。彼の言葉は鋼のように硬質で、しかし、根底には揺るぎない信頼が宿っていた。


フーリェンは選抜された兵たちの目を再びしっかりと見ると、今度は後列に控える残りの兵たちへと向き直る。


「……参加しない者たちに言う」


少しだけ間を置き、目を細めた。


「お前たちの目が、この場に並んだ者より鈍っていたと思っているなら、違う」


ざわ、と空気が揺れた。


「今の第四軍に求められているのは、ただの力ではない。鍛え、積み重ね、揺るがぬ強さだ。お前たちが、この軍の土台を支えている。誰が欠けても、この第四軍は成立しない」


兵たちの胸に、熱がじわじわと広がっていく。選ばれなかった悔しさが、静かに別のものへと変わっていくのを誰もが感じていた。


「だからこそ、決して怠るな。腕を磨き続けろ」


それは短く、けれど確かに彼らの内に火を灯す言葉だった。


同刻 ――第一軍


石造りの長廊下の奥、第一軍の兵舎前に並ぶ精鋭たち。その中央に、隊長であるジンリェンが腕を組んで立っていた。


「言うまでもねぇが、お前らは見極める側だ」


鋭い目つきで全体を見渡す。


「アスランの兵がどれだけ優れてようが、俺らが下がる理由にはならねぇ。背中を見せた瞬間、戦場じゃ死ぬ。それだけだ」


短い言葉に、部隊が一斉に気を引き締めた。


第二軍の拠点には、朝の光が斜めから差し込んでいた。シュアンランが前に立ち、兵士たちを見渡す。


「昨日の合同訓練、目は覚めたか?」


静かな口調だったが、氷のように冴えた響きを持っていた。


「アスランの連中は強い。だが、俺たちは昨日より強くなる。今日もな」


兵たちの間に、どこか鋭い緊張感と、そして誇りが生まれていく。


「氷は、冷たく静かに、すべてを凍らせる。……だが、焦ったやつから先に砕ける」


その言葉に、兵士たちは背筋を正した。静かに、だが確かに士気が高まっていく。


――第三軍


まだ陽が完全に昇り切らないなか、第三軍の兵たちは既に動き出していた。


「おーい、そこの二列目!朝飯残してんじゃねぇぞ!」


ランシー彼の明るい声に、兵たちが思わず笑みを漏らす。


「今日も熱く行くぞ!……でもな、熱いだけじゃだめだ。アスランは冷静だ。読みも鋭い。だからこそ、俺らは“ぶつかって砕けて覚える”」

「今日は、お前らの“失敗”を俺が見てやる。それが仕事だ。気にせず行け!」


その言葉に、兵たちは笑いながらも気合を込めて拳を握りしめた。


王宮の朝が静かに動き出す。それぞれの軍が、それぞれの色をもって、戦場ではない戦へと向かっていく。



そして――野営戦。三日目の演習が、いよいよ始まろうとしていた。


――――

物語は一夜前へと遡る。


静まり返った回廊を、革靴の音が等間隔で響いていた。高窓の外には月が出ており、白銀の光が床に映っている。フーリェンはルカの執務室の扉を軽く叩いた。


「入っていいよ」


穏やかな声に従って中へ入ると、ルカは机の上の報告書を読みながら顔を上げた。


「フー、お疲れ様。明日の準備はどう?」

「問題ありません。選抜兵は全員、装備と必要な物資を整えています。補給班も予定通り動きます」

「そうか」


ルカは小さく息をつき、机から離れるとぴんと背筋を伸ばす白狐の前まで歩み寄った。


「君がいるから、私は安心して彼らを送り出せる。……でも、無理はしないでね」

「……はい」


フーリェンは一拍おいて、少しだけ声の調子を変えた。


「明日の野営戦。……期待には、応えてみせます」


その言葉に、ルカの目が細められた。


「期待なんて、最初から超えてくるじゃないか。――信じているよ。君を、僕の兵士たちを」


その声に込められた静かな慈しみを、フーリェンは確かに感じていた。


 

シュアンランは無言で扉を開けた。


「来たか、シュアン」


セオドアは椅子に座ったまま、グラスを傾けていた。


「兵たちはどうだ?」

「仕上がっています。明日は、アスランと我が軍、どちらが鋭いか、はっきりさせてみせます」

「……ふん。いい心意気だな」


セオドアは微笑み、グラスを置くと立ち上がった。細身の身体に、夜光石を縫い込んだ上衣が美しく揺れる。二人の間に流れる空気は、どこか張り詰めながらも心地よかった。


「決して手を抜くな。勝ちを持ってこい、シュアンラン」

「御意」



「ランシー…、明日の野営戦は、いつも通り第三軍が前衛を務めるんだってね」


ユリウスが、やや不安そうな顔をしながら、ランシーに問いかける。ランシーは腰に手を当て、いつものように朗らかに笑う。


「うちの兵は、粗っぽいけど、当たって砕けることには慣れています。明日も派手にいきますよ」

「うんうん、君たちらしいね。……でも、あんまり砕けすぎないようにね?」

「本当に、戦に関してユリウス様は心配性すぎますよ」


軽口を交わしながらも、ランシーの目には戦士としての鋭さが宿っていた。


「…そうだね。…だからこそ、僕の護衛には君を選んだんだ」

「そうでしたね」


ランシーは笑いながら、胸に拳を当てて一礼した。


「では、行ってきます。ユリウス様!」



ジンリェンは、積み上げられた軍略書の山の中にいた。そこへ現れたのは、第一王子アルフォンス。無言で一冊、地図を抜き取り、ジンリェンの隣に立つ。


「準備は?」

「抜かりありません」

「お前たちの動きが、全体の流れを作る。明日は、全力でいけ」

「当然です」


ジンリェンは顔を上げると、まっすぐにアルフォンスの目を見た。


「フーも、現地で動きます。あいつの存在も、戦局を左右するでしょうね」

「分かってる。フーリェンは……良い兵士だ」


それだけ言って、アルフォンスは背を向ける。だが扉の前でふと立ち止まり、振り返った。


「ジン。お前が率いる軍は、俺の剣だ。その切っ先が明日、どこを貫くのか――楽しみにしている」

「……必ず、勝ちます」


言葉少なに告げるその声は、揺るぎなかった。


月は静かに、王都の上空を渡っていく。


戦ではなく演習――それでも、誰にとっても、決して“ただの訓練”ではない。それぞれの護衛が、それぞれの主と交わした言葉。それが、彼らを明日へと送り出す確かな灯となっていた。

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