北風を味方につけて
あの華やかな祭りから早くも数日が経っていた。王都の一角では今なお残る提灯が風に乗って揺れ、名残惜しそうに色とりどりの花びらが地面に散っている。
そんな日常を取り戻した王都から少し離れた場所。王宮の、その一室。
南向きの窓から差し込む日に照らされた室内では、王子とその護衛たちが机を囲んでいた。中央に置かれた地図には、南の国境線のその先、隣国オルカの山岳地帯が赤い筆で囲われている。
「……やはり、あの報告は事実のようですね」
赤印を見やりながら、報告書を手にルカは静かに口を開いた。
「オルカ領内のバルハム鉱山周辺で、異形化した個体が発見されました。すでに三件目。今度は村ごと……」
「まったく趣味が悪い」
背凭れにふんぞり返ったセオドアは、指先で器用に羽ペンを転がしながら地図を睨む。
「異形化の技術を軍用に転化しようとしているのは間違いない。しかも、民間人を素材にしている節がある。どうやら連中、正式に兵器化の段階に入ったな」
「オルカはずっと否定しているようですね……」
はぁ、と小さくため息を漏らしたユリウスの言葉に、ルカもまた疲れたように肩を竦めた。
「こちらの情報網では『能力持ちの暴走事故』として処理されているみたいですが……そのうち隠しきれなくなるでしょうね。現に国境沿いでは噂も目立ち始めていますし」
「噂なんてあっという間に広がるだろうな」
ふと、今の今までつまらなそうに窓の外を眺めていたアルフォンスがくすりと笑った。
「……たとえば、第四軍の隊長がどこぞの娘と一緒に踊ったとか、な」
「あぁ、それは私がフーに行ってくるように言ったんですよ」
「……ちょっと待ってください」
さりげなく書類をめくりながら苦笑を漏らしたルカの言葉に反応したのは、狼男だった。
四人の王子たちが揃って彼へと視線を向ける。
「その娘って、まさかユキですか?」
「さあ、そこまでは報告書に書いていなかったな」
眉を上げた主の言葉にシュアンランは口を半開きにしたまま固まるも、次の瞬間にはひとつ息をついて肩を落とした。
「……浮気か?」
不意に零れたその呟きに、ユリウスが耐え切れず吹き出す。ルカの背後で空気のように存在を消していたフーリェンは「何でそうなるんだよ」と小さく呆れ声を漏らした。
セオドアは面白がるばかりで、茶を口に運びながら肩を揺らしつつ、さらに追い打ちをかけるように続けた。
「そんなお前は美女を連れていたらしいな。よかったな。良い休暇になったようで」
「それは……はい。ありがとうございました」
壁に溶け込むように身を引き、分かりやすく視線を逸らしながらも律儀に礼を言う狼男の肩を叩く護衛たちを横目に、アルフォンスはトントン、と爪先で机を叩いた。
「すまない、話がそれたな。問題は向こうが明確な敵意を持ち始めたってことだ」
ようやく本題に戻るように、視線を地図へと戻す。
「戦火はまだ遠い。だが、奴らが“牙”を見せた以上、対処を誤れば--」
「戦争になる」
ユリウスが静かに続ける。弟の言葉にアルフォンスは視線を落とすと、そっと拳を握った。
「その前に、できることは全てやっておきたい」
そのまま彼は、机に置かれていた一枚の封書に手を伸ばした。
「北のアスランから、合同訓練の提案が届いている」
そう言って地図の北端――アスラン王国の文字へと指を滑らせる。
「この機を逃す手はない。防衛線の強化にもなる。なにより“こちら側の覚悟”を見せるのにも、ちょうどいい」
「北風を味方につけるにはまずは肩を並べる、というわけですね」
「……では、その方向で進めよう」
セオドアが静かに立ち上がり、場を締める。
その眼差しはもう祭りの余韻に遊ぶものではなく、確かに次の戦の予兆を見据えていた。
こうして――
年に一度の祝祭の終わりと入れ替わるように、アスラン王国との合同訓練の名のもと、次の幕が静かに上がったのであった。




