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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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情報

グレゴリウスは、薄暗い部屋の机に肘をつき、手元の資料へと鋭い視線を落としていた。蝋燭の火がかすかに揺れ、その影は彼の表情に冷徹な輪郭を与える。


「北の砦……このタイミングで狐を移したか」


彼の指先が古びた地図の上を滑り、北方に位置する堅牢な砦をなぞる。そこはフェルディナの友好国・アスランとの交易の要所。女王ヘラが治める北の大地。


「……問題は、この情報の出処だ」


彼は低く呟き、目を細めた。この情報の出どころは明かされていない。しかしその書式と暗号の書き回しには、かすかに見覚えがある。情報の一片を意図的に漏らし、敵を誘導しようという手口。僅かに信じ難いその可能性に、グレゴリウスは顎に手をやる。目的が分からない。なぜ、こちら側に情報を流しているのか。陽動か、あるいは――。だが、それが偽りであれ真であれ――利用しないわけにはいかない。


「狐が北にいる――それが確実なら狩る。虚偽ならば、混乱を引き起こす口実になる」


彼は報告書を握り、ぐしゃりと紙を歪めた。


「この機を逃す手はない」


グレゴリウスは立ち上がると、書類の山を見下ろした。目撃談、戦場での挙動分析、密告……。それら全てがひとつの結論に収束していた。


「北の砦に大規模な襲撃を仕掛ける」

「先行部隊には偵察と情報の再収集を命じる。警備の巡回、哨戒の死角、兵の疲弊――すべてを洗い出せ」


「狐を“奪取”できれば理想。だが、殺しても構わん。死体からでも《核》は抽出できる」


兵士たちへと命じる彼の声には、確かな決意と残酷な響きがあった。グレゴリウスは窓の外に目を向ける。夜風が帳を撫で、彼の髪をわずかに揺らした。


「奴が動いているなら、それもまた利用する。あの男の思惑など、我々の目的の前では塵に等しい」


闇に沈む北の砦。その輪郭が、グレゴリウスの脳裏に、まるで血塗られた未来のように鮮やかに浮かび上がったのだった。



――――

傾き始めた夕陽が厚いカーテン越しに淡く差し込み、室内を鈍い金色に染める。大きな机には軍地図と報告書が並び、沈黙の中にも緊張が漂う。


「戻った」


重い扉が開かれると、部屋の中へとセオドアが声をかける。その声にアルフォンスは顔を上げると、すぐに立ち上がり、帰還した弟とその護衛へと視線を向けた。


「早かったな。第七地区はどうだった?」

「相変わらず荒れていた。お前は大丈夫か?」


セオドアはアルフォンスとその隣に立つジンリェンに目を向ける。


「俺は問題ない。優秀な護衛と兵士たちがいる」

「そうか」


セオドアは机の上の地図に視線を落とし、北の砦を指先でなぞる。


「“狐の護衛が北へ送られた”――住民の間でそんな噂が囁かれていた。意図的に流されたように思う」

「やはり漏洩があったか…」

「だろうな。でなければ辻褄が合わんからな」


そこへ、尋問を終えたユリウスとランシーが入室する。


「…セオドア兄上、ご無事で何よりです。アルフォンス兄上、例の獣人についてご報告を」

「ご苦労だったな。ユリウス。口は割ったか?」

「……いいえ。背後にいる人物についての情報は、何らかの能力で封じられているようです」

「そうか。お前の話術で無理なのなら、また別の方法を考えんとな」

「そうですね。…次の手を試すまでは、引き続き、揺さぶってみようと思います」

「あぁ、頼む」

「話が逸れたな。つまり、情報漏洩は確実で、それを元に敵は動いているということか?」


セオドアは腕を組み、沈黙の後に言葉を継ぐ。


「そうだ。…思ったんだが、それを利用できないか?」

「……どういう意味だ?」

「北の砦を囮にする。敵がそこに関心を持つ以上、こちらが先手を打って準備を整え、仕掛ける」

「囮……」


ジンリェンが眉をひそめる。


「砦を狙わせれば、敵の戦力や本拠地が把握できる。フーリェンがそこにいる以上、必ず彼を奪いに来るはずだ」


アルフォンスは地図をじっと見つめる。


「策としては大胆だが、確かに敵の出方を探るには有効だな」

「ただし、フーリェンの身は危険に晒される。砦もまた然りだ。体制は万全にせねばならん」


セオドアは力強く言い切る。


「だが、北の砦は王国でも随一の堅牢さを誇る。あそこを守るのは、戦火を何度もくぐり抜けてきた歴戦の兵士たちだ。加えて、フェルディナの女王が統治する台地……一筋縄では崩せん」

「囮にするには十分な強度と信頼がある、というわけだな」


セオドアは地図に手を置いた。


「この機を逃さず、敵が動けば倍の策で迎え撃つ」


セオドアの言葉に、アルフォンスは深く頷く。護衛たちもまた、その目に鋭い光を宿した。北の大地を囮とした作戦。こちらの予想通りに敵が動くとは限らない。しかし確実に、奴らはフーリェンを取りに来るはずだ。奴らが彼を欲しているのであれば、こちらもそのつもりで動く。彼を餌に、彼を武器に、敵をおびき出す。少しでも早く、戦の芽を摘むために。


――――

人気のなくなった会議室。薄暗い灯りの中で、扉が静かに閉まる。セオドアはシュアンランに近づき、低く、囁くように命じる。


「シュアンラン、お前に北の砦への出向を命じる」


名を呼ばれた狼男は僅かに目を見開いたが、すぐに落ち着いた表情で頷く。


「北の大地はお前の独壇場のはずだ。存分にその力を使え。俺が許可する」

「御意」


その言葉に応えるように、燃えるような深紅の瞳に、静かに揺るがぬ覚悟が宿ったのだった。

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