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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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再会

【登場人物】

ベルトラン…元女王ヘラの直属護衛。フーリェンに戦いの基礎を叩きこんだ人物。今は直属護衛を引退し、北の砦の兵士をまとめる北軍の隊長を務める。

北の中堅兵士たち…幼いフーリェンとともに鍛錬を積んだ仲間であり、親のような存在。


【世界】

北軍…元第零軍。女王ヘラが王都から北へと移住した際に共に北へと移動した。



まだ冬の名残を感じる北の空気に、重く引き締まった鉄の匂いが混じる。砦の広場には、厚い毛皮と重装鎧を纏った兵士たちが整列していた。どの顔も精悍で、歴戦の風格をにじませる。若い兵は少なく、ほとんどが半世紀以上もの年月を王国のために捧げてきた屈強な男たちで編成されている――王国最古参の精鋭部隊。


一行の到着に、ざわりと兵たちが反応する。王子たちの滞在については予め知らされていたが、護衛となる人物については名前が伏せられていた。今自分たちの目の前に立つその人物の顔に、兵士たちは見覚えがあった。彼らは幼い頃のフーリェンをよく知っている。かつては能力をうまく制御できず、よく困らせていた子狐だった。北の砦に移動してからというもの、一人王宮へと残してきた子狐のことが頭の隅から離れることは決してなかった。


「……あれは……まさか……」

「本当にフー坊か……? ずいぶん背が伸びやがった」

「嘘だろ、あのちっこかったのが、もうこんな……」


そんなざわつきを前に、ルカはこほんと咳払いをすると、浮足立つ兵士たちにつげた。


「みんな、日々の防衛ご苦労様。しばらく私たちはここ北の砦に滞在する。僕の護衛も置くことになった。よろしく頼むね」

「「はっ」」


歴戦の兵士たちは浮つく心を胸の奥にしまい、王子の御前に礼をする。その様子を見届けたルカは満足そうに微笑むと、フーリェンを残し、オリバーとともに広場を後にした。


王子たちの姿が見えなくなると、兵士たちは一斉に白狐の護衛に駆け寄った。厚い手がフーリェンの肩を何度も叩き、笑顔を浮かべながら声をかける。


「フー!お前のこと、ずっと心配してたんだぜ!」

「前よりも大きくなったな!」

「フー坊! お前、覚えてるか? 居なくなったと思ったら肉くわえて走り回って――あれ、俺の干し肉だったんだぞ!」


突然肩を抱きしめられたフーリェンは、一瞬、目を瞬かせた。が、その表情は――やはりあまり変わらない。ただ、ほんの少し目元が和らいだようにも見える。


「……覚えてる。しょっぱい肉だった」

「ははっ! 言いやがったな! 変わらねえな、まったく!」


笑いが起こる。かつてこの場にいる全員が共に王宮で鍛錬を積んでいた頃。幼く、能力の制御も不安定だった子狐。それでも必死に剣の稽古に励み、震える手で傷をなめていた――そんな“ちびっこ”のような存在だったフーリェンが、今や第四王子の直属護衛として目の前に立っている。


「お前が本当に、ちっちゃかったフーかぁ……こんなに立派になって…」

「折角だ!一緒に訓練するぞ!」

「……分かったから、そんなに撫で回さないで」


照れたように小さく呟いたその声は、氷のように冷たい空気の中で、ほんのりと温かみを帯びていた。


そのとき、列の後ろから重い足音と共に、分厚い外套を纏った一人の男が現れた。


「久しぶりだな、フーリェン」


その声に、フーリェンは黙って一礼する。声をかけた男――ベルトランは、その動作にふっと目を細め、静かに頷いた。


「相変わらず口数は少ないな。だが……背筋が伸びてる。――いい目だ」


その一言が、フーリェンの中に確かな何かを灯す。

“帰る場所”などどこにもないと信じていたかつての獣の子にとって――その言葉は、心の奥底にそっと置かれた、小さな、小さな灯火だった。




――――

からりとした日差しが降り注ぐ昼。

 

北の寒さを纏った訓練場に、乾いた足音が響いた。静けさの中に響くその音は、剣の鍛錬を続ける者の律動だ。


多くの兵士が剣を振るう中で、フーリェンもまた、黙々と動いていた。細身の身体に汗がにじみ、息はわずかに上がっている。だが、その瞳だけは、霧を切るように真っ直ぐ前を見据えていた。


「腰が浮いてるぞ、フーリェン! 重心がぶれる。体幹を固めろ!」


ベルトランの声が鋭く飛ぶ。灰色の髪に混じる白髪、浅黒い肌に刻まれた無数の傷跡。幾多の戦場を生き延びたその男の目は、ごまかしを許さない。フーリェンは無言で頷き、再び構えを取る。足を肩幅よりやや広めに開き、膝を軽く曲げる。剣を正面に掲げると、肩の力を抜いてゆっくりと腰を落とした。重心が下がる感覚と同時に、地に根を張るような安定感が足裏から伝わってくる。


「そうだ。それでいい」


胸の奥で呼吸を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。思考を一度沈めると、不思議と空気の流れや足場のわずかな傾斜まで感じ取れるような気がした。


「動きながら重心を保て。踏み込み、引き、回避。ひとつひとつ確かめながらやれ」


ベルトランの指示に従い、フーリェンは剣を低く構えたまま斜め前に踏み出す。右足、左足。地面を滑らせるようにステップを踏み、反転してすぐに体を沈める。剣を斜めに振り、空中の敵を想定して切り上げ、続けて身体を低く屈めて避けの動作――


戦いの中では、フーリェンは細身を生かした速度と反射神経に頼った戦闘スタイルをとることが多い。だが今は、力をため、解き、戻す。その一連の流れを、ひとつひとつ確実に体に染み込ませている。


訓練場の端に立つ数名の若い兵士たちが、黙ってその動きを見守っていた。


「……前より動きが滑らかになってるな」

「脚の使い方、変わった。ちゃんと芯を意識してる」

「王宮の直属護衛か……さすがだな…なんか悔しいくらいに」


普段は言葉少なな新米の彼らも、真剣に目を凝らしていた。


「次は模擬戦だ。今掴んだ動きを、実戦に繋げろ」


ベルトランの一声で、立ち話をしていた若い兵士たちは慌てて訓練場に散開する。フーリェンは深く息を吸い込み、剣を握り直した。


彼らが一斉に動き出す。フーリェンは重心を低くしたまま、滑るように側面に動き、剣を交わしつつ敵の背後へ踏み込む。攻撃を受け流すたびに足の位置を細かく調整し、斬撃を打ち込みながらも体の軸を保ち続ける。


一人、二人、三人――倒すたびに、呼吸が深くなり、視界が広がっていく。


模擬戦が終わる頃には、昼の日差しももすっかり陰り、西日が訓練場を照らしていた。額の汗を拭いながら、フーリェンは深く息をついた。


「――身体も心も、きちんと鍛えられてきている。……自信を持て、フーリェン」


その言葉に、フーリェンはゆっくりと小さくうなずく。心にある不安がすべて消えたわけではない。だが、確かに一歩ずつ進んでいる実感があった。


訓練場の隅、日陰に立っていた数人の中堅兵士たちが、静かにその様子を見守っていた。


「…あれが、あのフーリェンか。やっぱ信じられんよな」


兵士のひとりが、目を細めてつぶやく。それは戦場に立つ兵士の目ではなく、父親が子どもの背中を見つめるような、どこか誇らしげな眼差しだった。


「前はな、よく俺の後ろに隠れてたんだ。剣の音が怖いって、耳をふさいでな」

「それが今じゃ、若い兵士相手に立ち回りまでやって……時間ってのは残酷でもあり、ありがたいもんだな」

「ベルトラン隊長のもとで、よくここまで来たよ。……親じゃねえけど、なんか泣けてくるな」


その想いを、フーリェンは知らない。だが彼の背中は、確かにその想いを受け取るように、まっすぐ立っていた。


「明日も同じように鍛える。怠けは許さん」


ベルトランが最後に声をかけると、フーリェンは軽く拳を握り返し、静かに応えた。その瞳の奥には、確かに熱が宿っていた。砦の兵士たちもまた、そんな彼の姿に背を押され、静かに闘志を燃やすのだった。

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