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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第2章
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偵察4

夜の空気は、乾いて冷たかった。屋敷の裏手、森の端に身を潜めながら、フーリェンは自身の背に意識を集中させる。背中の皮膚が波立ち、骨が軋みを上げる音とともに、翼が生まれる。音は最小限に抑えられていたが、それでも肉が形を変える感触は、いつだって生理的な不快さを伴う。


歯を食いしばる。大気を掴むに足る、猛禽類の厚くしなやかな翼膜──。その質感まで再現された二枚の翼が、静かに闇の中で広がった。一度、肩甲骨を強く動かす。風を読んで、空気の流れに身を乗せるようにして──


ふわり、とその身体が浮いた。


森の木々の上を掠め、次の瞬間には、フーリェンの身体は大気の海を泳ぎ始めていた。脚を畳み、身体を鋭く矢のように絞る。夜目で朧に見える山々と稜線、その合間をすり抜けながら、彼は南境から王都へと一直線に向かっていく。


この速さなら、数刻もあれば辿り着ける。翼が風を切るたび、少しずつ体温が奪われていく。けれど、寒さも痛みも今のフーリェンには関係なかった。


──この情報は、生きたまま届ける必要がある。


異形の痕跡。実験の痕。消えた若者たちの影。そして、そこに蠢く、何か黒い意思の存在。


早く、殿下に。フーリェンの脳裏には、ルカの顔が浮かんでいた。何気ない会話の端々で見せた、あの優しさと聡明な眼差し。フーリェンがすべてを懸けて守ると誓った、ただ一人の主の姿。翼は疲労を訴えていたが、それを無視して高度を保ち続けた。


眼下に、王都の明かりが滲み始める。光の海に向かって、白銀の髪をなびかせながら、夜空を翔ける一筋の影。それはまるで、静寂の中に舞い降りた神獣のように──どこまでも美しく、どこまでも冷ややかに。

 

王都はすぐそこにある。




――――

静まり返った夜の王都。月は雲に隠れ、辺りは一層の闇に包まれていた。見張り台の上では、二人の兵士が交替の時間を待ちながら、無言で周囲を見回していた。そのうちの一人──夜目に長けた鷲獣人の青年が、ふと、南の空に目を凝らす。


「おい。今、なにか見えたぞ」

「…は? どこだ」

「……あれは──飛んでる。鳥じゃない、あの動きは……」


月がわずかに顔を出した刹那、彼の双眸が空を裂く影を捉えた。警戒の笛を鳴らしかけた瞬間、鷲獣人の瞳がその“飛翔体”の首元でかすかに煌めいた光を捉える。


「──待て」


鋭く、制止する声。彼は視線をさらに絞り込み、人影の首元で揺れる小さな紋章を確認する。


「直属護衛の紋……」

「まさか……!」


もう一人の兵士が息を呑む。


「この時間に、それも空から……普通の任務じゃないな」


兵士はすぐに信号弓を取り出し、空へ向けて矢を放つ。矢は夜空に弧を描き、静かに青白い光を放った。それは「味方の重要人物、空路にて帰還中」の合図。見張り台から塔へ、矢の光が連なり、王宮内へと情報が走った。


事態は動き出す。ひとつの獣人の影が、夜空を裂いて戻ってきたことを合図に。それは、静かな緊張と新たな騒乱の、始まりを告げる狼煙でもあった。





――――

夜の闇が静かに広がる王宮の広間。薄暗い灯火の中、フーリェンは異形の姿でゆっくりと歩みを進めていた。爪は鋭く伸び、赤く光る瞳、身体は所々皮膚が歪に盛りあがっている。疲労の色も濃く、腕を押さえながら、必死に足を運んでいた。その姿は、まるで人の形を保とうともがいているかのようだった。


「……フーリェン?」


ルカでさえ、言葉を失い、ゆっくりと近づく。夜勤の兵士たちの表情には一瞬の恐怖と戸惑いが走り、アルフォンスも眉を深く寄せた。広間の空気は凍りつき、重く緊張した静寂が支配する。


「……一体、南で何があったんだ、フー……」


フーリェンはゆっくりと頭を下げ、その異形の姿でありながらも揺るがぬ決意を滲ませていた。


「報告を………」


だが、その声は徐々に弱まり、体が震えだす。視界がかすみ、足元がふらつく。広間に集まる全員の視線が一斉に彼に注がれる。


身体はみるみるうちに縮み始め、その形が徐々に薄れていく。血を含んだような瞳は柔らかな琥珀色に戻り、鋭い爪もいつもの白い指先へと変わっていった。やがて、完全に元の姿へと戻ったその瞬間、ふっと視界が暗転する。


「フーリェン!」


ルカが慌てて駆け寄り、その肩を支える。


その瞬間、王国の未来を揺るがす闇の深さを、ここにいる者全員が改めて思い知ったのだった。

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