第七話金髪の美少女ティリー 革命的文芸の敗北と「美」という名の反動的潜入「絵」
推敲しました。
一、 身体的弛緩に対する警告と同志的連帯
長征の途上、空の移り変わりに気を取られ、背伸びという「個人的安逸」を求めた瞬間、佐藤太郎は落馬した。これは、革命的警戒心を怠った者に下される客観的現実からの鉄槌である。
「お莫迦さん、手を貸すぜ!」
ディセクター♂のこの言葉には、未熟な同志に対する厳しい批判と、見捨てないというプロレタリア的連帯(相互扶助)の精神が同居している。我々は転落から学び、同志の手を借りて再び立ち上がらねばならない。
二、 文芸は誰のためにあるのか?(芸術における主観主義の誤り)
野宿の夜、佐藤太郎は同志たちの肖像画を描いた。しかし、それは「絶望的に下手糞」と批判された。
毛主席は「私たちの文学芸術は、人民大衆のためのものである」と述べた。太郎の絵が嘲笑されたのは、それが大衆の真の姿を捉えた「社会主義リアリズム」に基づいておらず、自己満足に浸る小ブルジョア的な主観主義の産物だったからである。
デューク♂の批判: 「こんな絵一銭にもなりゃしない。」(芸術を商品価値でしか測れない唯物論的偏重の現れではあるが、太郎の絵が人民の役に立たないという本質を突いている)
佐藤太郎の自己欺瞞: 「仲間の良さを引き出そうとしない周りが間違っている。」
この佐藤太郎の思考は、自らの技術的・思想的欠陥を棚上げし、周囲の環境に責任を転嫁する極端な個人主義であり、精神的勝利法に過ぎない。自らを護るために大衆(同志)を悪者にする行為は、革命家として厳しく自己批判されるべきである。
三、 糖衣を被った砲弾:美貌という名のブルジョア的価値観
飢えを訴え現れた金髪の美少女ティリー。
ティリー
「あの~すみませんが食べ物を恵んでくれませんか?」
彼女の出現に対し、太郎は「泡を吹く(ぷくぷくぷく)」という、およそ革命戦士らしからぬ無様な態勢を露呈した。
「こんなに笑顔が下手な人初めて見ました!」
佐藤太郎の「ぎこちない笑顔」は、内面の実践を伴わない表面的な融和政策の失敗である。この世界において「顔面偏差値」という基準で人民が階層化されている事実は、美醜というものが支配階級によって作られた抑圧的イデオロギーであることを示している。太郎がティリーの「美貌」に圧倒され、自らの糧食を無条件に差し出したことは、敵の「糖衣を被った砲弾」に対する完全な無防備状態を意味する。
四、 組織への無原則な引き入れと潜伏する階級の敵
佐藤太郎は、自らの個人的な感情(好意)を優先し、思想的背景も身分も不明なティリーに「共に旅をしよう」と提案した。
「良いですよ!」
この即答の裏に潜む真実を、我々は直視しなければならない。彼女の真の任務は『シャドウダーク』の団員を暗殺することであった。革命の陣営に潜り込む敵は、往々にして最も同情を誘う姿(飢えた美少女)で現れる。太郎の右傾日和見主義(無警戒な受け入れ)は、前衛組織の内部に時限爆弾を招き入れる結果となった。
「真理はしばしば、美しい外衣をまとった虚偽によって隠蔽される。」
果たして五人となった部隊は、この内部に潜む「甘美なる反動分子」の暗殺計画を看破し、革命の路線を死守できるのか? 闘争の舞台は、魔物との外部戦から、組織内部の思想戦・防諜戦へと移行したのである。




