第二章 河灯 第三十四話
夜風が冷たかった。
宮城へ戻る道を、私は一人で歩いている。
手の中には、あの地図。
何度も見たはずなのに、視線が外れない。
印を、指でなぞる。
北。
西。
南。
そして、昨日の裏路地。
点と点。
それを結んでみる。
頭の中で、何度も。
同じ形になる。
偶然じゃない。
ばらばらに見えたはずの印が。
_____配置されている。
私は足を止めた。
宮城の門が見える。
その前で、もう一度だけ地図を見る。
円。
歪んだ、未完成の円。
その内側。
私はゆっくりと息を吐く。
「.....ここ」
指が止まる。
宮城。
その場所は、確かに未完成の円の内側にある。
囲まれる。
そう思った瞬間、背筋が震えた。
「気づいたか」
声。
振り返る。
斑が立っていた。
暗がりの中、こちらを見ている。
私は地図を持ったまま、頷いた。
「印は.....配置されている」
斑はゆっくりと近づく。
「誰かが.....置いた。河灯は起きているんじゃない。.....作られている」
紙を握る手に、力が入る。
斑は私の手元の地図を見る。
視線が一瞬で全体を捉える。
そして、小さく息を吐いた。
「.....そこまで見たか」
驚きはない。
最初からわかっていたような顔だった。
私は一歩踏みだす。
「これは何?.....ただの事件じゃないよね」
声が少しだけ強くなる。
斑はすぐには答えない。
地図を見る。
その歪んだ形を。
しばらくの沈黙。
風の音だけが通り過ぎる。
やがて、斑が口を開く。
「.....境界だ」
短い言葉。
私は眉を寄せる。
「境界.....?」
斑は視線を上げないまま言う。
「囲っている」
静かに。
はっきりと。
「閉じようとしている」
その言葉が、胸に落ちる。
閉じる。
私は地図を見る。
円の内側。
そこにあるもの。
自然と口に出る。
「.....宮城」
斑は否定しなかった。
その沈黙が、答えだった。
「ここを.....囲っている」
自分でもわかる。
声が少し震えている。
斑はゆっくりと顔を上げた。
「まだ完成していない」
その一言で、空気が変わる。
完成。
その先を、考えてしまう。
もしこれが、完成したら。
私は息を詰める。
「完成したら.....どうなるの」
問いかける。
斑は少しだけ目を細めた。
だが、答えない。
代わりに言う。
「これ以上は踏み込むな」
低い声。
強い言葉。
だが、止まる理由にはならない。
私は首を振る。
「無理」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「ここまで見て、知らないままは.....無理」
斑がこちらを見る。
その目に、ほんのわずかに何かが宿る。
怒りでも、呆れでもない。
その時だった。
「_____そこまで辿り着いたか」
別の声がした。
振り向く。
そこにいたのは、父さんだった。
静かに立っている。
いつからいたのかわからない。
足音も、気配もなかった。
私は息を呑む。
「父さん.....」
父さんはゆっくりと歩いてくる。
視線は地図に向いている。
私の手元。
そして、その形。
父さんは足を止める。
「見せろ」
短く言う。
私は地図を差し出した。
父さんはそれを受け取る。
一目見る。
それだけで、全て理解したようだった。
「.....なるほどな」
小さく呟く。
その顔には、驚きはない。
わかっていた顔。
私は思わず言う。
「これ.....囲ってるよね」
父さんは私を見る。
ほんの一瞬だけ。
それから視線を戻す。
「そう見えるか」
否定でも肯定でもない。
曖昧な言い方。
私は続ける。
「完成したら、どうなるの」
同じ質問。
今度は父さんに。
父さんは少しだけ沈黙した。
そして。
「それを知る必要はない」
静かな声だった。
だが、はっきりと拒絶だった。
私は言葉を失う。
横で、斑がわずかに動く。
「.....止めるんですか」
斑が言う。
低く。
父さんは首を振る。
「いや」
その一言。
そして続ける。
「止めるな」
空気が止まる。
私は思わず父さんを見る。
「.....え」
斑も、わずかに目を細める。
父さんは淡々と言う。
「ここまで見たなら、いずれ気づく。_____なら、遅いか早いかの違いだ」
感情がない。
ただ事実を言っているような声。
父さんは地図を私に返す。
「だが」
一拍置く。
「触れるな」
斑と同じ言葉。
「それだけは守れ」
低い声。
重い。
私は地図を握る。
何もわからない。
私はその夜、眠れなかった。
地図を広げる。
何度も見る。
歪んだ円。
未完成の形。
あと、いくつか。
それで、閉じる。
囲まれる。
宮城が。
_____私たちが。
私はゆっくりと目を閉じる。
浮かぶのは、あの糸。
壁の上。
人の届かない場所。
引かれた痕跡。
そして。
斑と、父さんの言葉。
「触れるな」
同じ言葉。
同じ警告。
それでも。
私は目を閉じる。
地図を見る。
「.....完成したら」
小さく呟く。
答えは、まだない。
だが、確実に、そこへ向かっている。
何かが。




