09.宮殿での服装
アーシャ視点に戻ります。
入浴を終えたアーシャは、オフィーリアの手で服を着せられることになった。着替えくらい自分で出来るけれども、これも侍女の仕事なのだと言われてしまうと、どうにも断り辛かった。
そして、着替えさせられてから、アーシャはなんとも言えない表情になる。用意された服がゆったりとしたネグリジェだったからだ。
「どうかされましたか?」
「なんと言うのか、その……」
これで宮殿内を歩くのかと問うと、オフィーリアは頷いた。公爵家にいた頃には考えられなかった状況にアーシャが困惑すると、オフィーリアが補足説明を入れた。
「これは皇后さまが宮殿内で流行らせようとしているスタイルです。皇太子妃さまや、その他の妃殿下さま方達にもぜひと日頃から仰っておりまして」
「……どうしてネグリジェを流行らせようなんて思われたのかしら」
「それについては、皇后さま自身の経験に基づいた理由があるようです」
「経験……?」
アーシャが問うと、オフィーリアがどこからか移動式の黒板を持って来た。オフィーリアは黒板にチョークを走らせ、12と言う数字を書き込んだ。
「アーシャさま、この数字が何かお分かりになりますでしょうか?」
知らないので首をブンブンと横に振る。
「……これは、皇帝陛下と皇后さまの間に産まれた子女の数です。総勢12名ほどおられます」
妾も含めてならまだ分かるけれど、一人でこの人数を産んだとなると、一人産まれたらそう時間を置かずにまた次の子をお腹に宿し……という状況であったのが伺える。
子沢山と言うにはあまりに多い人数に驚愕しつつも、けれどもアーシャはその情報から、なぜ皇后がネグリジェ姿を宮殿内で流行らせようとしているのかについての察しをつけることが出来た。
「……宮殿内で見かける皇后さまは、長年に渡って常にネグリジェ姿でした。毎年のようにご出産なされては次の子をお腹に宿される状況でしたので、ドレスなど着れる状態では無かったのです。コルセットも使えませんから。
そして、皇后さまはそうしたお姿であった時に色々と受けた視線について、思う所があったようです。お世継ぎが何人も産まれるのは良いことなのですが、”淫乱”などと陰で言われてしまうこともあったようで、随分苦労された話があります。
ですから、いずれ出産を迎える女性がいた場合に同じような苦しみを味合わせたくない、というお考えがあるようです。皇后さま程とはいかなくとも、何人もの子を授かる方もおられるでしょうから。
宮殿内の女性は、皇太子妃さま、各皇子妃さま、その他にも衣類が用意出来るのであれば宮殿内で働く女性も全員がネグリジェ姿を許可されています。……これが定番になれば、妊婦であることが目立つことも減りますし、そういった部分を目ざとく見つけて揶揄する人の目にも止まり辛くなりますから」
つまりこれは、女性に対するある種の配慮として流行らせようとしているスタイルなのだ。ただ、ネグリジェ姿の女性だらけ、というのもそれはそれでどうなのかという感じもあるけれど。
ともあれ、アーシャも理由については理解した。ネグリジェでうろつくのは慣れないけれど、取り合えず、宮殿内ではこの姿でいる方が良いのかも知れないとも思う。郷に入っては郷に従えという言葉もある。
何の気なしにネグリジェの裾をつまみつつ、アーシャはふと、いずれは自分もロメオの子を産むことになるのだということに気づいた。
実感は湧かない。ただ、特別に嫌だという気持ちもない。この身を任せると決めた相手だからと言うのもあるけれど、それ以前にそもそも暖かな家庭を作るという夢を持っていたこともあって、相手が決まっていない時から、出産はアーシャの個人的な人生計画に入っていたものでもあるからだ。
アーシャのこうした考え方は、貴族の令嬢としては変わっていると言える。いずれ嫁ぎ、そして出産する未来については令嬢たちも覚悟はしていることが多いけれど、しかし、厭う者も多いのだ。
華よ蝶よと育てられた子女は、折角美しく自分を飾っているのに飾れているのに、どうしてお腹の膨れた妊婦の姿にならなければいけないのかと葛藤するのである。
なんとなく、アーシャは自分のお腹を撫でた。いつかの未来にここに宿るであろう命は、一体、どのように育つのだろうか。
移動式の黒板をころころと戻しに行ったオフィーリアの背中を見つめながら、そんなことを考えてみたりした。
……ところで、オフィーリアは12という数字を書く為だけに黒板を持って来たのだろうか。