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10.噂話

 オフィーリアが黒板を片付けて戻って来てから、アーシャはひとまず、観察がてらに宮殿内を散策することに決めた。

 アーシャがここに到着したのは昨日のこと。つまり、まだ一日しか経っていなかった。宮殿についても帝国についても分からないことだらけであったのだ。


 傍にオフィーリアを付けながら、宮殿内をてくてく歩く。すると、ネグリジェ姿の給仕や下女をそこそこ見かけた。皇后の流行らせたいスタイルが意外と広まっているのが伺えた。

 と言っても、そこそこはそこそこだ。全員ではない。オフィーリアもネグリジェではなく普通の侍女服を着用していたりする。比率としては7:3くらいだろうか。ネグリジェが3で、その他が7である。


 宮殿のあちこちを回っていると、各所で時折に世間話をする機会にもめぐまれた。世間話であるので、挨拶をして二言三言交わす程度ではある。

 ただ――軽く交わす世間話の最中、アーシャの名前を知った瞬間に、相手の態度が一変することがあった。

 驚き、そして一歩を引く人がいるのだ。


「……どうして私の名前を聞いて驚いて引く人がいるのかしら」


 もしかして、かつて自分がツギハギ公爵令嬢と呼ばれたことを知っている人なのだろうか? でも、見た目は確かに有名だったかも知れないけれど、一歩を引かれるような問題行動を起こしたことは無いのに……。


 態度の理由に見当がつかずアーシャが唸ると、オフィーリアが説明をくれた。


「驚き一歩引く方がいるのは、ロメオさまがアーシャさまのことを良く話題に出していたからだと思われます。アーシャさまがお越しになられる以前から、ロメオさまは口を開けばアーシャさまのことばかりでした。そして、特に男性に対して口調も強く『決して近づいてはいけない』と言っておられまして、その影響ではないかと。……一歩を引いたのは全員が男性であったことにお気づきでしょうか?」


 言われてアーシャを記憶を辿る。そして、名を知って一歩を引いたのが、オフィーリアの言う通りに確かに全員男性であったことに気づく。

 今の話を聞く限りでは、ロメオの『近づくな』という言葉を気にして、男性たちはあのような態度になったらしい。

 ロメオの言葉と言うのは、流れを考えるならばそれはつまり、『俺の女には近づくな』的な意味合いを持っているものである。


「……」


 アーシャは思わず顔を真っ赤にして急いで両手で覆った。

 ロメオは昨夜、アーシャに『君を離すつもりはない』と言った。それは、決してその場限りの雰囲気で言ったものではなく、このように普段の言動にも現れるほどに常日頃に心に抱いていることのようだ。


 恥ずかしいけれど、でも、嬉しいような気もして。アーシャは取り合えず、どう受け止めるべきかに迷って、顔を赤くするしか出来なかった。


 ――というのが、状況から察したアーシャの認識であった。しかし、実際の事実は少し違っていた。


 まず、ロメオがどういう言い方をしていたのかである。これは、『いきなり男の顔を蹴って来る勇ましい女だ。男は決して近づいてはならん。指一本触れてはならん』であった。


 惚れているからこそ、何がなんでも他の男との接触を避けさせたい。焦ると人間は切羽詰まるものであり、けれどもそれが妙に真に迫っていたこともあって、話を聞いた男性たちは皆がロメオの言葉を真に受けてしまっていた。


 要するに、男性たちはロメオを怖がっていたのではなく、アーシャそのものを怖がっていたのである。驚いて一歩引いた本当の理由がそれであった。


 ――下手なことを言ったら蹴られるかも知れない。ロメオさまの真剣な表情を見る限り、多分本当にそういう人なのだ。そのような妻を娶るとはなんと勇敢なロメオさまか。


 実際のアーシャがどういう人物であるか知れ渡るまでの間、人知れずそのような噂が立てられることにもなった。

 この噂話については、幸か不幸かアーシャの耳に入ることは無かった。

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