08 美しいもの
『芸術の神』の神殿では今パイプオルガンの演奏が行われている。
その美しく複雑な音のうねりは深い奥行きを与え、荘厳な響きが聴衆を魅了する。
日課の祈りと鍛錬も済ませ、公衆浴場の温かい湯で身を清めた私は、礼拝堂の会衆席で演奏を聴き心も清められる。清らかな音の奔流に飲まれ、本来の目的を忘れて曲が終わるまで聞き入ってしまった。これが魔神にとっては苦しみになるというのだから不思議なものだ。
私は隣に座っていたJJと共に席を立つと、封印のホールに向かいがてら言葉を交わす。
「万一私たちが失敗したときの準備はできてるんだよね?」
ホールへの通路は屋外を伸びている。西に傾いてきた太陽が私たちを照らし、柱の影を伸ばす。
JJは真っ直ぐに前を見ている。太陽がまぶしそうだ。
「まあそりゃな、こっちの被害だけで済むことじゃないからな」
「DJおじさんが何とかするの? 冒険者の店のマスターが言ってた犠牲ってそのことでしょ」
声に不安な色が入ってしまっただろうか。JJは見上げる私の方を向き、少し身を屈めて、いつも通りの笑顔で言う。
「あまり気にするな。俺たちは全力を尽くせばいいだけさ。親父は命をベットするなら主力を欠いた衛兵より俺たちを選んだってだけだ。まあ最悪の場合に備えて衛兵も待機するけどな。周囲に住居がないのは救いだな」
風が茂る草花の香りを運び、背中を押す。外に目を向ければ庭の筋肉質な彫像のポージングが気になってくる。
適度な緊張は力になるが、過度な緊張は不要だ。肩肘を張ってもしょうがない。
「結局のところ私たちが成功すればいいだけの話か。そのために動いてるんだし」
ホールへの分厚い扉を掴み、体重をかけて強く引く。防音の扉は少し重い。
ホールの中に入ると、多くの神官が集まっていた。指揮者の位置に立つMJが全体を調整している。
そちらから巨大なアフロが私たちの方に近づいてくる。
「やあ、こっちはバッチリだよ、Lちゃん」
DJ司祭は両手の親指を立て満面の笑顔でアピールしてくる。
「こんにちは、DJおじさん。JJから明日のことは聞いてますか?」
「聞いてるよー。オジサンたちは音楽に専念するから戦闘は任せたよ。でもこっちの身はこっちで何とかするから、Lちゃんたちも自分たちのことだけを考えるようにね」
DJ司祭はいつもと変わらぬ調子で私たちを気遣う様子を見せる。
こちらも普段通りに、本来の用事を済ませよう。
「はい、戦術を立てるためにこのホールの正確な大きさと、そちらがどこで演奏するのかを聞きに来ました」
「はいはい。このホールは長径が36m、短径が27m、正確な楕円形というわけではないけれどね。天井までは最も高い地点で9m、ドーム状だから一様な高さではないけど、そんなものかな。私たちは最も音が通るMJが今いる地点で歌ったり、演奏したりするよ」
DJ司祭は軽く言うがここは戦場と化すのだ。その中で音楽を奏でるのは決して容易いことではない。魔神は吹雪を操るのだから、必ず巻き込まれることになる。
だが備えがあると言うのだからDJ司祭やMJ、『芸術の神』の神官たちを信じよう。魔法楽器もいくつか持ち込まれているようだ。
JJがホールの図を描き、そこに具体的な寸法を記入していく。私は歩いて距離を確かめながら、床の状態も確認する。タイルが敷き詰められた床は足を取られたりすることはなさそうだ。窓もないのでもし飛ばれてもそのまま逃げられることはない。
どんなことでも得られる情報は得ておいて損はない。
私たちはDJ司祭に礼を言うと、今日も冒険者の店へと向かった。
私たちが〈古代遺産への道〉亭へと着くと、夕食の時間帯のため冒険者以外の客も多くにぎわっていた。ここは食事も美味いのだ。料理の匂いが鼻をくすぐる。仲間たちはいつもの席で既に夕食を取っていた。
シェーラはいつものように豪快な肉料理、ロイゼルは焼き魚を食べ、ティントは蒸し鶏の入ったサラダをつついている。
ティントはエルフの森から戻ってきたようだ。少し高い椅子に座り不機嫌そうな顔をしている。頭には白い花飾りがついていて、床に足がついていないのが、子供みたいで面白い。サラダをもしゃもしゃと食べ、柔らかな頬を少し膨らせたまま話している。
「ホントにジジババの話は長いったらないわね。変なお菓子食べさせようとしてくるし、頭に花飾り挿してくるし、中々こっちの話が進まないのよね。あっ、LとJJは来たのなら、早く夕飯食べちゃいなさいよ。色々報告することあるからね」
捲し立てるティントが微笑ましい。
席に座り、私は鶏と野菜の炒め物、JJは卵とチーズとトマトのトーストを、看板娘のティナちゃんに注文した。ティナちゃんは今日も軽やかに身を翻しながら客たちの間を通り、料理を運んでいる。
「ティントおつかれ、ご両親と長老様は何か言ってた?」
「Lに来てもいいって言ってたわよ。研究のために自然を破壊するような真似をしなければ、ってね」
ティントはそう言うとさらにサラダを口に運び、頬張る、もしゃもしゃと。小動物みたいで可愛い。ちっこいからなー。
体力がものを言う冒険者にとって体格は重要な要素だ。冒険者にはでかい奴が多い。JJとシェーラは圧倒的な巨躯を誇っているし、私もその辺の成人男性よりは大きい。ロイゼルも私と同じくらい。それにひきかえティントは自称150cmだが、明らかにそれより小さい、10cmくらい。身長を測ろうとすると背伸びして妨害してくるのが面白い。
思い出して私は目を細めニヤリとする。
しかしティントの発言は失敬だな、『知識の神』の神官は破壊を許さない側だぞ。
「そんなことしないよ、何か必要だったらティントに採っていいか聞くから大丈夫」
「いや、基本的に採っちゃダメだから。それは置いといて、仕事の件についてはここで話さない方がいいわよね」
「わたしみたいな一般人にも聞こえちゃいますよー。はい、鶏野菜炒めとトーストね」
ティナちゃんが料理を運んできた。彼女はロイゼルと同じような出自なので一般人かは微妙なラインだ。盗賊としての技術も持っているので、あまり危険な依頼でなければ臨時で冒険者のパーティーに加わったりもする。
「どこが一般人だよ」ロイゼルが片肘をついてぼそりと言う。
ティナちゃんはニヤニヤと「ロイゼルに不満があれば、わたしがパーティーに加わってあげるよー」と言って、他の料理を取りに行った。
「あいつは余計なことばかり言う。まったく、僕ぐらいの技術を身につけてから言えよな」
ロイゼルは鼻で笑う。
大した自信だが腕前は確かだからな、自信がない奴よりずっといい。
「もっと謙虚で常識があって優秀な冒険者たちとパーティーを組みたかったわ。性格がまともな人たちとね」
ティントがくすくすと笑いながら、フォークでロイゼルを指して言う。お行儀が悪い。
ロイゼルは魚をきれいに食べている。ナイフとフォークもきちんと皿に置き、食事の行儀はいい。
「常識があってまともな性格の奴は冒険者なんてやらねーよ」
ロイゼルは声を出して笑いながら言う。その弁の通り一般的に冒険者はそう思われている、私のような例外もいるが。
もぐもぐ、鶏野菜炒めがおいしい。
「……(そうなのか?)」と目で尋ねるシェーラ。
「まあ、そうでしょ」と答えるティント。
食事が終わって飽きた彼女は、早く食べろと急かしてくる。言われなくても私もJJも食事は早い。冒険者の必須スキルだ。
「はーい、さっさと行くよー」
ティントはすたすたと奥の部屋へ行く。ティナちゃんにお代を払い、私たちも食後の体をほぐしながら奥の部屋に入った。