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第13話「四百万の大妖怪、幽狸」


 極東の島国に、幽狸(ゆうり)と呼ばれる一匹の化け狸がいた。

 齢100歳、尾はいつしか二又に分かれ、人間にも化けられた。

 長く生きた動物は化生となる。

 例に漏れず、彼女もまたその身に超常の力を宿していたのだ。


 しかし、彼女にできることといえばせいぜい簡単な神通力と変化ぐらいのもの。

 その国に存在する由緒正しき魑魅魍魎の者どもや、八百万の神々と比べれば取るに足らない妖怪変化の一つである。


 だが彼女は他の超自然的な存在にはないものを二つ、持ち合わせていた。

 一つ、彼女は他の者がないがしろにする人間社会の風俗や文化に対して強い関心を持ち、なおかつ勉強熱心であった。

 そして二つ、彼女は並外れて狡猾であった。


 この二つの要素と化け狸としての深い智慧が合わさった時、彼女はソレの発生を予見したのだ。

 その国ではおおよそ200年後に発芽するだろうとされている、怪異の種子。

 ――名を、ドッペルゲンガーという。


「ああ、やっと見つけたぁ〜! 30年も探しちゃったよもう! ――じゃあいただきます☆」


 そして未だ形すら成していないソレを、幽狸は文字通り指でつまんで、食らった。

 これにより幽狸はドッペルゲンガーの持つ異能を自らの中に取り込んだのだ。


 ご存知の通りドッペルゲンガーの異能とは

 “対象と全く同一の存在に変質する”

 “そして変質後の姿を対象の人物に視認された際、対象を無条件に殺害する”

 この二つである。

 これは幽狸の計画の要となる能力だった。


「――ねぇ“一つ目入道”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


 単眼の大男が珍客の訪問に振り返る。

 幽狸と男の目が合う――これが異能発動の合図。

 彼女の身体が液体のようにとろけ出して、身体を再構成する。

 ――そこに現れたのは、目の前のソレと全く同じ単眼の大男。

 一つ目入道と呼ばれた彼は、目の前のソレが何者なのかを認識する間もなく、黒い泥となって溶け落ちた。


 かくして幽狸は、その日を境に一つ目入道になり替わった。

 いや、なり替わったのではない、兼任した。

 彼は化け狸であると同時に一つ目入道でもある――そういった存在と化した。


 幽狸は実に長い年月をかけ、人知れず次々と超常の存在を殺して回った。


「ねぇ“牛鬼”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


「ねぇ“雪女郎”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


「ねぇ“ダイダラボッチ”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


 いかに強大な霊力を持った国造りの巨人でさえ、ドッペルゲンガーの異能の前には無力であった。

 なべて黒い泥となり、シミにさえならず消えてゆく。

 そして――全てが幽狸となった。

 これにより、幽狸は数えきれないほどの異能を身に着けることが叶ったが、本当の狙いはそこではない。


 超常は人間からの畏れや信仰を力と変える。

 幽狸はドッペルゲンガーの異能を取り込み、他の妖になり替わることで、彼らが溜め込んできたそれらを根こそぎ奪ってしまったのだ。

 単なる化け狸に過ぎなかった彼女は数多の超常を殺し、急速に力をつけていった。


「ねぇ“鞍馬天狗”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


「ねぇ“ぬらりひょん”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


「ねぇ“茨木童子”さん! YU-RIの目をよく見てね☆」


 殺して、殺して、なり替わり尽くした。

 時折「あの妖怪の正体は実は狸なのだ!」と騒ぐ人間がいたが、果たして彼らは知っていたのか知らずにいたのか。

 八百万の神々――実にその半分にも上る四百万の正体が、幽狸であることに。


 妖の常と言うべきか、結局彼女は志半ばにしてとある神話級(ミソロジー)の陰陽師によって正体を暴かれ、あえなく封印されてしまったが、間違いなく彼女は世界を手中に収める一歩手前まで来ていた。

 古き神々さえ平伏させるほどの強大な霊力を得た化け狸。

 人々は、彼女をこう呼ぶ。


 神話級(ミソロジー)

 ――四百万の大妖怪、幽狸。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「ケル オ アルイ クラナ スパラシーア!」


 考えるよりも先に口が動いていました。

 超短縮詠唱により空気中の水分を一点に集中、これをユウリと名乗る彼女めがけて、放ちます。

 高速で射出される圧縮した水の塊、当たれば怪我どころでは済まないはずです。

 でも、彼女は構えもしませんでした。


「あ、YU-RIそれ知ってるよぉ~、魔法ってやつでしょ? でも残念、ぽんぽこりん☆」


 ユウリが再び指揮棒のように指を一振り。

 するとどうでしょう、水塊が空気中で弾け飛んでしまいました。


「っ……!?」


 やはり、やはりです。

 彼女は詠唱をしていません。

 無詠唱での魔法の発現なんて、伝説級(レジェンド)にだってできることではありません。

 思うだけで事象を捻じ曲げる、それはまさしく神の御業で――


「け、ケル オ ナリカ プロニエ……!!」


「私もうそれ飽きちゃった、ぽんぽこりん☆」


 私がすぐさま次の超短縮詠唱を開始すると、彼女はおもむろに言って自らの口にチャックをするような仕草を見せます。

 直後、私の詠唱は強制的に中断させられることとなりました。

 まるで本当に自らの口にチャックがかかってしまったかのように固く閉ざされて、開かなくなってしまったのです。


「……っ!? ……っ!」


「いきなり攻撃してくるなんてひどいなぁシェスカちゃん、YU-RIはただ質問しただけだよ? ガールズトーク、しよ?」


 私はただ恐怖に震える瞳で、彼女を見つめ返すことしかできません。

 そんな私を見て、彼女は心底楽しそうに微笑むのです。


「んん? シェスカちゃんはシャイなのかな? 心配しないで、さあYU-RIに全部話してね? ぽんぽこりんっ☆」


『わ、たし……は……』


 まただ、私の意思に反して口が勝手に動き出す。


『大家さ、んが……好きで……』


「うんうん、大家さんって人が好きなんだぁ〜、それでそれで?」


『で、も……わ、たし、はっ……! 素直じゃ、ないから……』


「うんうん、気持ちが伝えられなくてもどかしいんだね〜〜かわいいね〜〜」


 やめて、やめてください……!

 私が胸に秘めていたソレを、暴かないで……!


 抵抗しました。しかし無意味です。

 私の口は、こちらの意思とは無関係に言葉を紡ぎ、私の中の醜くて、矮小で、弱い心を吐き出してしまうのです。

 口は止まらないのに、瞳からぽろぽろと涙がこぼれました。


 そんな様を見て、ユウリと名乗る邪悪の化身はにっこりと微笑みました。


「そっかぁ、それは辛いことだねぇ、大家さんの鈍感も考えものだねぇ、――じゃあ分かった! シェスカちゃんが信者第1号になってくれるようYU-RIが一肌脱いであげる!」


 ユウリはぽんと手を打ち、そしてそれがなんでもないことのように言うのです。


「――女泣かせの大家さんはさくっと殺っちゃってぇ、YU-RIがシェスカちゃんの理想の大家さんになってあげるよ!」


 ぞわり――と悪寒が走りました。

 彼女が何を言っているのか、まるで理解ができません。

 しかし、それがとてもおぞましい何かだということは理解できました。


「あれれ? シェスカちゃん、なんか不満げ? そんなことないよね? だって大好きな大家さんとあんなことやこんなことができるんだよ? 嬉しいよね?」


『は……い……』


 違う……違う!

 私はそんなこと望んでいない!


「シェスカちゃんが憧れの大家さんとしたかったこと、私ならぜーーんぶしてあげられるよ! もちろんえっちぃこともね☆ 嬉しいでしょ?」


『はっ…………いぃぃ……!』


 口端から血の雫がこぼれ落ちます。

 嫌だ、違う、私は、私は……!


「あらら、血を流すぐらい喜んじゃった? シェスカちゃんったらおませさん! じゃ、さくっと大家さん殺してきちゃうけど、いいよね?」


『は………ぁっ…………!』


 私は、私は――


 ――自分の言葉で、喋るんだ!!


「――嫌だっ!!!」


 私は、私の身体を支配していた呪縛を跳ね除け、そして叫びました。


「あなたなんかの力を借りるまでもありません!! 私は……私は! 世界で一番大家さんを好きでいる自信があります!! なら、ならば大家さんの心が私に傾くのも時間の問題と言えましょう!!」


 そして、そう宣言しました。

 それは私の心からの言葉、心の叫び。


 これを受けてユウリは一転、まるで虫ケラでも見るような、ひどくつまらなさそうな表情で言うのです。


「ふうん……私の神通力を精神力だけで弾き返しちゃうんだ……そっかそっか」


 そして、彼女はふうと溜息を一つ。


「――YU-RI、目先の欲に流れない女の子ってきら〜い、頭ぱーんってなって死んじゃえ☆」


 直後、私の頭に立っているのもままならなくなるほどの激痛が走りました。


「あっ――――!?」


 まるで、頭の中に直接電流を流し込まれるかのような、脳味噌をフライパンで焦がされるような。

 いえ、いえ! それはとても形容できるものではありません!。

 なんせ痛みは徐々に強くなっていくのです!


「あああああああああっ!!」


「アッハ、いい声〜、きっと頭の弾け飛ぶ時は、もっといい音がするんだろうね〜〜」


「あ、ああ、あああああああ……!」


 頭が割れそうになる、とは決して比喩の表現ではありません。

 感覚で分かるのです。

 私の頭は、間もなく水分をたっぷり含んだスイカかなにかのように弾け飛んでしまうでしょう。


 でも、私にはなにもできません。

 鼻血を流しながらも、痛みに耐えるだけしか……


「そーだ! YU-RIいいこと考えちゃった! シェスカちゃんが死んだら、次は私がシェスカちゃんになってあげる! そしてシェスカちゃんが死ぬほどしたくてもできなかったこと、代わりに私がぜーんぶ大家さんにしてあげるね? 嬉しい?」


「ふ、ぐっ……あ、あああああああ!!」


 怒りさえも、それを遥かに上回る痛みが塗り潰してしまいます。

 ユウリは笑いました。

 恐ろしく邪悪に、恐ろしく歪んだ笑みを浮かべて。


「じゃあ、そろそろバイバイだねシェスカちゃん、次はもうちょっと強くなって生まれ変わろうね☆」


「あ、あああ……」


 終わる、終わってしまう。

 シェスカ・ネリデルタ20年の人生に幕が降りてしまう。


 これも全て自分が弱いせい。

 そのせいで私は死ぬ、大好きなあの人に気持ちを伝えることもできないまま、無念の内に。

 私は最期の瞬間、生まれて初めて神に祈りました。


 ――これが私の弱さの招いた結果だとするなら、私は今よりももっと強くなります。

 夜練だけで足りないと言うのなら、朝練もします。

 バトルアックスの素振りは一万回に増やしましょう。

 山のような黒パンだって、笑顔で平らげて見せます。


 だから、だから、お願いします。

 ここ一度、ここ一度だけでいいんです。

 私を、助けてください――


「大、家……さん……っ」


「――呼んだ? シェスカちゃん」


 ――その時、どこか気の抜けた声に、一瞬世界が止まりました。

 私は今まさに頭を襲う激痛さえ忘れ、ゆっくりと顔を見上げます。

 そこには……ああ、これは死の際に見る夢幻か何かなのでしょうか。

 いえ、そんなことはどうでもよいのです。

 間違いなく、彼の姿がそこにありました。


 痛みに悶える私を守るように、邪悪の化身の前に立ちはだかって、ちくちくと編み物をする彼の姿。

 すなわち――大家さんの姿が。


 気が付くと頭の痛みが止んでいました。

 ユウリがターゲットを変えたのです。


「あれ? あれあれ? もしかして貴方が噂の大家さん!? きゃー☆ すごい! ロマンチックぅ!」


 ユウリがわざとらしくはしゃぎます。

 しかし、私は見ました。

 彼女の瞳の中に宿ったどす黒い輝きを。

 それはまるで、新しい獲物を見つけた肉食獣のような……


「――きーめた! 大家さんの顔ちょっとタイプだしぃ、せっかくだからシェスカちゃんが見ている前で大家さんとえっちいことしちゃおっかな!」


「なっ――!?」


 私は驚愕の声をあげました。

 しかし止めようにも全身を不可視の力で押さえつけられていて、指先一つ満足に動かせません。

 ユウリが、そんな私を横目に見て嘲ります。


「アッハ、シェスカちゃん邪魔しないの~、じゃ大家さんお願いします! ぽんぽこりん☆」


 例の掛け声とともに、未知の力が辺り一帯に充満するのを感じました。

 まただ、またこれだ。

 思っただけで人を意のままに操る、神の力。


 ややあって、大家さんが一歩、また一歩とユウリに歩み寄っていきます。

 い、嫌だ……大家さん、そんな……

 胸の奥がずきりと痛んで、瞳から大粒の涙が流れました。

 しかし、弱い私は声を発することすらできません。


 とうとう大家さんがユウリの前に立ちました。

 ユウリは、まるでそんな私を嘲笑うかのように、わざとらしく扇情的なポーズをとります。


「――大家さん、YU-RI初めてだから優しくしてね☆」


 そしてユウリが大きく腕を広げ、大家さんを受け容れるポーズをとりました。

 その瞳は、蠱惑的な輝きを宿しています。

 大家さんがゆっくり、ゆっくりと彼女に近付いていきました。


 嫌だ! 大家さん――!

 抵抗もむなしく、私は目を覆うことすら許されず、その光景を目の当たりにすることとなります。


 ――大家さんが、振りかぶった拳を思い切りユウリの顔面に叩き込む、その瞬間を。


「えっ――ぶしゅべえっ!!?」


 それは、まさしく“閃光”でした。

 放たれた拳は一瞬の内に光速に達し、傍目には激しい閃光が一度迸ったようにしか見えなかったのです。


 そして激しい破裂音ののち、ユウリは吹き飛びました。

 それこそ、まるで激流に揉まれる木の葉のごとく。

 仰け反って、打ち付けて、跳んで、回って、また跳んで――そして激突。

 この衝撃で大岩が粉々に砕け散り、凄まじい量の砂塵が、あたり一帯を吹き抜けました。


 私は、すでにユウリの呪縛から解き放たれたというのに、息をすることさえ忘れていました。

 目の前で何が起こっているのか、まるで理解できないのです。

 信じがたいことに彼は――空白級(ブランク)である彼は、御伽噺級(フェアリーテイル)の私が手も足も出なかったあのユウリを、殴り飛ばしてしまったのです。


 呆然とする私の傍らで、大家さんはぱんぱんと手を払いました。

 そして一言。


「――シェスカに変な言葉教えんな、色ボケ狸」


 一粒の雫が、頬を伝いました。

 これは悔しさからくるものでも、悲しさからくるものでもありません。

 どうしようもなく温かい、安堵の涙でした。


 ああ、彼はどんな時だって、いつもの調子で、私を一番に心配してくれるのです。


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