第12話「この世ならざる者」
その日を境に、私は生まれて初めて父の教えに逆らい、毎日欠かすことのなかった朝練をやめました。
代わりに、大家さんの提案通り夜練を始めたのです。
朝、日の高いうちはベッドで過ごし、日が傾き始めた頃に目覚めます。
そして夜半ようやく家を出て、魔法の鍛錬に勤しみました。
きっと父が今の私を見たら「なんと自堕落な!」と憤慨することでしょう。
しかし、これまたどうして――ひどく効率が良いのです。
今までは朝練の度に、頭の中に薄い靄がかかっているような、そんな感覚がありました。
父はこれを私の甘えと評していましたが、どうもそういうわけでは無いらしいのです。
なんせ、頭が冴え渡って仕方がありません。
魔法の冴えはもちろんのこと。
夜の私には、数々の高難易度魔法を発現することが叶いました。
更に私は――実家にいた頃は夢にさえ見ることのなかった、独自言語による超短縮詠唱さえ編み出してしまったのです!
鍛錬が楽しいと思ったのは生まれて初めてです。
時にはつい興が乗りすぎてしまって、明け方へとへとになって帰宅することもありました。
しかし、そういう時決まって大家さんは
「おはようございま……うわっ!? シェスカお前こんな時間まで夜練してたのか!? もう朝だぞ! ……まったく、ちょっと待ってろ! ハーブティー入れるから!」
そう言って、早朝の庭先掃除を中断してまで、私のためにハーブティーを淹れてくれるのです。
この時のハーブティーの温かさときたら。
朝の冷え込みにあてられた身体が、芯からほんのりと温められました。
それにどんなに辛い鍛錬の後でも、大家さんがにっこり笑って挨拶をしてくれるだけで、疲れなんか吹き飛んでしまうのです。
イナリ荘に帰れば、いつだってそこには大好きな大家さんがいて、「おかえり」と私を出迎えてくれる。
それだけで私は頑張れました。
このようにして私は大学生活の二年間を過ごし、そして等級認定試験の日がやってきました。
「――落ち着いてやりゃあ大丈夫、シェスカは強いからな、じゃあいってらっしゃい!」
彼に笑顔で送り出されると、私の些末な緊張なんかどこかへ飛んで行ってしまいました。
しかし肝心の認定試験では……正直に言って、あまり実力を発揮できませんでした。
試験自体がまだ日の高い内に行われたからです。
独自言語による超短縮詠唱が試験官たちに評価され、御伽噺級の等級が与えられましたが、もし試験が真夜中に行われていたらと思うと……いえ、やめましょう。
だって、
「――御伽噺級!? スゲーじゃんシェスカ! よっしゃ今日はお祝いだ! 肉食おう肉!」
大家さんがまるで自分のことのように喜んでくれたのですから。
それだけで、十分なのです。
でも……
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「私は大家さんに何も返せていません……」
再び、深い溜息を吐き出します。
こんなにも星の綺麗な夜なのに、憂鬱でした。
大家さんは私に新しい可能性を。
そして初めて“帰りたいと思う”家を与えてくれました。
なのに私とくれば大家さんに何も返せていません。愛想の一つだって振りまくことができないのです。
あまつさえ今日の一件――私は、お世話になった大家さんになんてことを……
バケツの中にある月の輪郭を、人差し指でなぞります。
「……」
新しくイナリ荘へやって来たルシルさんのことを思い出しました。
彼女はとても美人で、凛々しく、それに私よりもずっと素直に感情を伝えられるのでしょう。
翻って笑顔すら満足に作れない、可愛げのない私……
自己嫌悪に押し潰されそうになります。
ああ、私は一体何をやっているのでしょう。
私は今二年生、すなわちあと二年したら大学を卒業して、イナリ荘を出るのです。
こんな調子じゃ、あと二年でどうこうなんて……
……堂々巡りの思考を打ち切ります。
人の気配を感じました。
複数人が、坂道を上ってここへ向かってきています。
「あぁー……この坂道だっる、めっちゃ膝痛いんけど」
「これでお化け出なかったらマジ無駄足だな」
「おっ、スゲー廃墟だ、雰囲気それっぽくね?」
廃墟跡に姿を現したのは、若い男の三人組でした。
私は見覚えがありませんが、おそらくベルンハルト勇者大学の学生でしょう。
面倒そうなのが来たな、と内心思っていると、男の内一人がこちらを指さしてきました。
「って、待って待って待って! アレ幽霊じゃね!?」
「うわ、マジかよ!」
「いやお前ら目腐ってんのか、どー見ても生きてんだろうがあの子、もしもーーーし!」
更に内一人が、こんな夜更けにも関わらず、大声でこちらに呼び掛けてきました。
……正直、物思いに耽っているところを邪魔された挙句、幽霊扱いされて指をさされた時点で、彼らにはあまり良い印象は持っておりませんでした。
せめてもの礼儀としてぺこりと会釈だけはします。
ですが彼らはこの会釈で、一体何を勘違いしたのか、揃ってこちらへ駆け寄ってきました。
「おお! めっちゃ可愛いじゃん!? 魔女!? 魔女っ子!?」
「ち-っす! 俺ら大学生でーっす! 肝試しにきましたぁ!」
「おねーさんも肝試し? 一人だと怖くない? 俺らとどう?」
そして矢継ぎ早に声をかけられます。
私は、一つ小さく溜息を吐きました。
どうして、大学生というのはこうなのでしょう。
「すみませんが、私別に用事がありますゆえ、肝試しならどうぞお好きに」
「はは、どうぞお好きにだってさ、声もかわい~~」
「つれないこと言わないでよ、なっ、幽霊怖いっしょ、幽霊」
こちらの言葉など意にも介さず、ひゃひゃひゃ、と知性を感じさせない甲高い声で笑う三人組。
彼らの吐息に混じって、つんと刺すようなアルコール臭。
……もう付き合いきれません。
場所を移動することにしましょう。
これだったらカップルまみれの星見の丘の方がまだマシというものです。
そう思って踵を返すと――ふと、男の一人が私の腕を掴みました。
「待てって言ってんじゃんさぁ、俺らと遊ぼうって」
――我慢の限界でした。
「――ケル オ アルイ クラナ スパラシーア!」
超短縮詠唱。
これにより水のたっぷり詰まったバケツが、「バンッ!」と音を立てて吹き飛びました。
吹き飛んだ先には、男の伸ばした腕が――
「うおっ、危なっ!?」
男は咄嗟に腕を引っ込めて、かろうじてこれを躱しました。
まぁ、躱せるように速度を調整したのですが。
「まだ警告だけにしておきます、これ以上は正当防衛ですからね」
「このアマ……」
本当に、ただの警告のつもりだったのです。
しかし私の物言いが癪に障ったのか、男はこめかみに青筋を浮かべました。
「もーいいわ、まだるっこしいわ、さっさとヤッちまおうぜ、肝なんか試すより、別んとこの具合試す方が好きだろお前ら」
男がそう言うと、他の二人が下卑た笑みを浮かべながら、構えをとりました。
……では、ここからは正当防衛ですね。
「おねーさん、喧嘩売る相手間違えたね、俺ら三人とも語り草級の拳士なんだわ、もうさっきみたいに詠唱してる暇なんてないよ、多分」
「そうですか、ご忠告ありがとうございます、あまり興味がありません」
「このクソアマ!」
男が拳を振りかぶって、飛び掛かかる。
確かに拳士相手にこの間合いでは、詠唱している暇なんてないでしょう。
もっともそれは同等級の場合に限るので、彼らよりひとつ上の等級、御伽噺級である私は、そんなこと関係なく魔法でねじ伏せることができるのですが……
まぁどちらにせよ詠唱なんてしません。
彼ら程度に魔法を使うなんて、もったいない。
私は突き出された拳を、ぱんと払いました。
「えっ?」
そして間抜け面を晒す彼の鳩尾へ、すかさず肘鉄。
ぶっ、と汚い声をもらして、男がその場に蹲ります。
「な、なんだ今の身のこなし!? コイツ魔法使いじゃねえのかよ!?」
「ええ、魔法使いですよ、ただそちらも少し齧ったことがあるので」
戦士である父から教わった護身術。
どうやら、私の身体はあの地獄のような特訓の日々をまだ覚えていたようです。
「く……そ、舐めやがって……! もう許さねえ! まずはその生意気な顔からボコボコにしてやるよ!」
男はすでに怒り心頭といった具合で、目を真っ赤に充血させながら、こちらを睨みつけています。
さすがに大の男、それも拳士である彼らに純粋な腕力では敵いません。
こうなっては少々手荒な魔法を使ってでも、気絶させるしかありませんか……
頭の中で新たな超短縮詠唱のフレーズを組み立てます。
……よし、できた。
体術でいなし、僅かな隙を突いての超短縮詠唱。
さあ、かかってきてください。
私は構えをとり、迎撃の態勢をとります。
……しかしいつまで経っても彼らはかかってきません。
その場に立ち止まって、そのまま動かなくなってしまったのです。
「……?」
何か様子がおかしい……?
私はぎゅっと目を凝らしました。
そしてしばらくしてソレに気付き、声にならない悲鳴をあげました。
「なっ――!?」
なんと――三人の男が“石”になっているのです!
比喩ではありません、文字通りの石像に。
さっきまで喋って、動いていた彼らが、どういうわけか突如石になってしまったのです!
「――アッハ、きったないお地蔵様だね~~、YU-RIチャラい男って嫌~~い☆」
「っ!?」
背後から声が聞こえて、私は咄嗟に飛び退きました。
ほとんど反射的な回避行動です。
そこには、私が今までに一度も見たことのない――珍妙としか言えない出で立ちの女性が立っていました。
明るい茶髪に、頭頂部から生えた丸い獣耳。
恐らくは獣人でしょうが、なにより目を引くのは彼女の服装。
首に下げているのは……金属でできた耳当てでしょうか? 細長い紐のようなものが伸びています。
そしてあの真っ白で、大きめのフードが付いた上衣はなんでしょう?
スカートとシューズはかろうじて分かります。
しかし彼女が身に纏うそれらは、一つとして材質が不明でした。
いえ、いえ、そんなことを言っている場合ではありません。
もっと驚くべきは――彼女の五体から発散される無尽蔵の魔力です!
とぼけた口調ですが、彼女のソレと私のソレを比べるのは、いわば大海と水たまりを比するようなもの!
「誰ですか……あなたは……?」
恐る恐る尋ねかけました。
彼女は「ん~~?」とまるで童女のように首を傾げて、こちらを覗きこんできます。
「まず自分から名乗るのが礼儀だと思うな、はい、ぽんぽこりん☆」
彼女が、ひらりと指揮棒のように指を振ります。
すると――
『シェスカ・ネリデルタです、よろしくお願いします』
――私の口が、私の意思に反して自らの名前を紡ぎました。
な、なんですか今のは……!? 魔法!?
でも、彼女は詠唱なんてしてなかった……!
「シェスカちゃんって言うんだねぇ~~うん、耳慣れない名前、もしかすると私、別の世界で封印が解かれちゃったみたい? めんどいなぁ、また信者を集めなおさないとじゃ~~ん」
「な、なにを……」
彼女が何を言っているのかは、少しも理解できません。
しかし、これだけは分かりました。
彼女は人間を一瞬で石に変え、指先一つで人間の行動すら操ることができる。
すなわち――神話の域に達した者なのだと!
彼女は私の中の緊張を見て取ってか、にやりと笑って言いました。
「じゃあ期待にお応えして自己紹介! 私は神話級アイドルの、YU-RIちゃんだよ☆ ――早速だけどシェスカちゃん、私の信者にならない?」
妖しく輝く彼女の瞳を見て、私は確信しました。
――アレは、この世に在ってはいけないものだ。
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