第10話「大家さんの一日」
「よし、こんなもんか」
ここは102号室、すなわち今日からルシルの住居となる場所。
数時間の奮闘の成果もあって、がらんのどうから見事躍進。
生活感が匂い立つ、とまではいかないが、人の住む場所、というのが分かる程度には仕上がった。
「……すまんな大家殿、引っ越しの荷解きまで手伝ってもらうとは」
「いいよ、どうせ暇だったし」
嘘である。
貧乏暇なし、日はすっかり暮れてしまったが、今日も今日とてやることは山積みだった。
それどころか何か忘れているような気もするが……
だがまあ、なによりも住人優先、それが大家の鉄則だ。
「前大家さんが手伝ってくれりゃ、もう少し早く終わったのに、茶と油揚げ食べたらすぐまたどっか行っちゃったし、何しに来たんだよ、ホント」
「……あの狐耳の御仁は、よく来るのか……?」
「ん? いや、俺にこのアパートを譲ってからはほとんど見ないかなぁ、たまにお土産を持って遊びに来るけど、どこに行ってるんだか」
「そ、そうか……」
心なしか、ルシルは少しばかり安堵したような様子だ。
その真意は分からない。
「まあとりあえず住める状態にはなったな」
「重ね重ねすまないな、大家殿」
「お互い様だよ、じゃあ良い頃合いだし一服しよっか、いや、その前に暗くなってきたし照明を……」
俺は天井に取り付けられた照明魔具に手を伸ばす。
そして、ふと思い出した。
「あっ!」
俺が声を上げると直後、頭上からがちゃりと聞こえて、そして
ばたん! どん! ごどどどど! だん!
と、音が落ちてきた。
「な、何事だ!?」
ルシルが身構える。
俺はまさかの予感に顔を青ざめさせて、弾かれたように部屋から飛び出した。
すると、そこには
「――あああああ! ごめんシェスカ!」
そこには、二階へと続く階段の直下で、逆さまになった状態からじとっとこちらをにらみつける銀髪の魔女の姿があった。
「……嘘つき」
――シェスカの部屋の前の照明魔具を買い換えるのをすっかり忘れてしまっていた!
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「――えーと、改めて紹介する、彼女はシェスカ・ネリデルタ、ベルンハルト勇者大学の三年生で……」
「よく騙される都合のいい女、というのも付け足してください」
「ごめんて! 本当にごめん!!」
俺とシェスカとルシル、この三人で照明魔具を買いに行く道すがらのこと。
俺はぱんと両手を合わせて頭を下げる。
シェスカはいつも通りの無表情だが、やはりその態度はいつにも増してツンケンしている!
「別に、気にしておりませんよ、大家さんが新しい女性にうつつを抜かして、昔の女との約束はすっかり忘れてしまっていたことなんて」
「ごめん! 本当にごめん! だからその語弊のある言い方やめて!?」
「か、彼女が大家殿の、昔の女……?」
「ほらもうルシルさん真面目なんだからがっつり真に受けてるじゃん!」
「お初にお目にかかりますルシルさん、オルゴの前妻です」
「それはもう語弊とかじゃなくて虚偽だよ虚偽!!」
「ぜ、前妻……!」
「ルシルさんも真に受けないで!」
無表情でさらりと嘘八百を並び立てる悪戯好きのシェスカ。
そしてそれをいちいち信じてしまう素直なルシル。
この二人の間に挟まれた俺はというと――憔悴していた。
シェスカの機嫌が悪いのは、まあ理解できる。
ひとえに俺の職務怠慢のせいだ。
しかし何故――
「おらおらー、このでかい胸でおーやどのをゆーわくしたのかー?」
「しぇ、シェスカ殿!? む、胸を叩かないでくれ!」
「それともこっちかー、この引き締まった腹筋でゆーわくしたのかー、マニアックだなー」
「シェスカ殿! 腹を叩かないでくれ!」
――何故、シェスカはルシルにばかり絡むのだ。
さっきからずっとこんな調子だ。
シェスカは彼女の何が気に食わないのか、ルシルの胸を叩いて揺らしたり、かと思えばルシルの見事な腹筋をぺちぺちと鳴らしてみたり。
この子、確かに不思議ちゃんの素質はあったが、こんなにだっけ……?
がっくりと肩を落とす。
ああ、慣れない土地だろうし案内も兼ねてとルシルまで買い物に誘ったのは失敗だったか……
ほら近所の奥様方がこちらに生暖かい視線を送ってくるじゃないか……
「あらあら大家さん、そちらの可愛らしい彼女は新しい学生さん?」
そう思っていたら、生暖かい視線を送る内一人が声をかけてきた。
可愛らしい、と評されあたふたするルシルのことは一旦置いておいて。
「こんばんは、ミルカおばさん、足の具合どう?」
「大家さんがくれたハーブティーのおかげで、ほらこの通り! 今朝から畑仕事もできるようになったのよぉ!」
「そりゃよかった、いくらでも余ってるから欲しけりゃ言ってな」
「いつもありがとねぇ、はいこれお礼」
そう言って、ミルカおばさんが小包を渡して来る。
おそらく、例によって中身は油揚げだ。
前大家さんの大好物だったので、皆なにかにつけてこれをくれる。
「で、そこのお嬢さんは?」
「る、ルシル・シルイットと言う、今日からイナリ荘に御世話になる者だ、よろしく頼む」
「あら勇ましい、おばさんの若い頃にそっくりだわ」
……冗談なのか、本気なのかイマイチ分からない。
「大家さん、ちゃんと面倒見てあげるのよ、春先で変な人も多いんだから」
「なんかあったんですか?」
「いやねえ、最近このへんをいかにも怪しい男がうろついてるらしくてね、変質者かもしれないから」
「それは物騒だな」
確かに用心が必要だ。
ルシルとシェスカにも気をつけてもらわないと。
「分かった、ありがとなミルカおばさん」
「いえいえ、じゃあね〜」
ミルカおばさんに別れを告げ、俺たちは再び歩き始めようとした、……のだが。
ミルカおばさんが先陣を切ったのを見て、好機ととったのか。
俺たちを取り囲んでいたおじちゃんおばちゃん集団が一斉にこちらへ押し寄せてきたではないか!
「――大家さん! こないだは屋根の修理手伝ってくれてありがとうね! はいこれ油揚げ!」
「――よう大将! 景気はどうだい!? この間はウチの娘が世話になったな! これつまらねえもんだけどよ、“砂喰い鮟鱇”の肝だ! 酒のアテになるぜ! あとこれ油揚げ!」
「――あら大家さん、あなたの言う通りに水をやる時間帯を変えてみましたら、お花がとっても元気になりましたの、はいこれ油揚げ、足りないと思うけど、ひと箱分」
かくして、俺は山のようにうずたかく積まれた油揚げ(あと酒のツマミ)を抱えながら、よろよろと歩く羽目になる。
ま、前が見えない……
「……大家殿は顔が広いのだな」
「そうでしょう」
「なんでお前が自慢げなんだシェスカ、……ま、大家業なんかやってると嫌でも顔も広くなるさ」
俺はそう答えて、にこりと微笑んだ。
ちなみに行きつけの魔具店で替えの照明魔具を購入した帰り道、またおばちゃん集団に囲まれて、今度こそ一人では持ちきれない量の油揚げを押し付けられたことについては、割愛しよう。
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夜も深まった頃、数分の格闘の末にかちり、と照明魔具の上手くはまった音がする。
よし、これで設置は完了、あとは魔具の側面に記された魔術式へ、エンドマークを打って……と。
「よし、できたぞ」
ぴかりと、照明魔具があたたかな光を放ち、薄暗かった203号室前を照らし上げた。
うむ、照明ひとつで変わるものだ。
以前まではちかちかと点滅する照明が、いかにもお化け屋敷と言った風情だったのだが。
よっ、と俺は踏み台代わりの木箱から着地する。
「おお、これで私も二つ目のたんこぶを作らずに済みます」
「……ごめんて」
意外に根に持つタイプだなシェスカ……
「ではひと段落したところで、私はいつも通り出かけてまいりますので、ありがとうございます大家さん」
そう言って、シェスカはぺこりと頭を下げ、踵を返す。
「またいつものアレか?」
「そうです、一日とて欠かしてはならないのです」
「シェスカ殿、こんな時間にいずこへ?」
ルシルが不思議そうな顔で問いかける。
ああ、そうかルシルは知らないんだもんな。
シェスカの代わりに、俺が答えた。
「夜練だよ」
「夜練?」
「シェスカは見ての通りの魔法使いなんだけど、いつもこれぐらいの時間になると、決まって魔法の鍛錬をしにいくんだ」
「それはまた……熱心なことだ」
シェスカが階段を下りながら、こちらに向けてブイサインを作っている。
おい、余所見してるとまた落ちるぞ。
「魔法の鍛錬は夜に限ります、集中力も高まりますし、心なしか魔力も充実します」
「それはお前が低血圧だからだろ」
「まあ、簡単に言ってしまえばそうですね、ではいってまいります、……大家さん、そこの胸の大きな彼女とくれぐれも間違いのないように」
「言ってろ」
冗談だか本気だか、そんなよく分からない言葉を残して、シェスカはそそくさとイナリ荘を後にする。
「あ、近頃変質者が出るらしいからな! 十分に気をつけろよ!」
「私はそこらへんの変質者ごときには負けませんよ」
ブイサインとともに残したその言葉を最後に、シェスカの背中は見えなくなった。
……まぁ確かに、午後の魔法使いこと御伽噺級のシェスカを、この夜更けに倒せるやつなんてそうそういないだろう。
「じゃあ、俺たちも解散するか」
「……大家殿、一つ聞きたいのだが」
「なんだ?」
「私は、シェスカ殿に嫌われているのか……?」
恐る恐ると言った風に、問いかけてくるルシル。
それがあまりに深刻そうな表情だったから、俺は思わず吹き出してしまった。
「な、なぜ笑う!?」
「ああ、ごめんごめん、でもそんな心配は無用だと思うよ」
シェスカは確かに愛想がない。
しかし同時に、悪いヤツではないのだ。
彼女は、ただ感情を表現する術を知らないだけ。
「これから仲良くなれば、それが勘違いだったってすぐに分かるさ」
「そういうものか……」
考え込むようにルシル。
はぁ、ルシルは真面目だなあ。
ま、いいさ。
ともかくこれで今日の大家業も終了、あとは部屋に戻って、家計簿とにらめっこをするだけ……
そう思って、俺もまた階段を降りようとすると――部屋の前に、ある物を見つけた。
「あちゃあ、やっちまったなぁ」
「どうした?」
「……ああ、いやなんでもないよ」
俺は自らの部屋の前まで駆け寄って行って、地面に転がったそれを拾い上げた。
ソレは――小さな、鈴。
裏山にモンスターが出現したことを報せるベルだ。
普段は俺の部屋の天井に取り付けてある。
「さっき、シェスカが階段から転げ落ちたときの衝撃でとれたみたいだな……」
恐らく先刻ドアを開けた時に、気付かず部屋の外へ蹴り出してしまったのだろう。
危ない危ない、これではモンスターの出現が分からないではないか、すぐに取り付けなおさなくては。
俺はこのベルを握りしめて、ルシルに微笑みかけた。
「――じゃあ、おやすみルシルさん、また明日ね」
「ああ、おやすみ大家殿、今日はありがとう」
そうして、俺たちの一日が終わる。
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