渇愛→
「うあああああああああああああッア、ぐ、あああああああああああああッッッッッ!!!!」
痛い、痛い、死にそうに痛い。
今は夜。
場所はまた礼拝堂。
ステンドグラス越しに月が堂内を蒼く照らしている。
その蒼い光を、白い光が断続的に切り裂いていた。
僕は、今までに無いほどの電撃を食らってた。
きっかけはなんだっけ。
いつになくこの女が酒を飲んだことだっけ?
最近聖水の汲み上げがうまくいってないからだっけ?
いつの間にかみんな聖水を汲めなくなってたんだ。
汲んでも汲んでもただの水になる。
そりゃそうか。
みんなもう“汚れなき子ども”じゃない。
もちろん僕も。
僕を汚したのは“絶望”。
命を断ちたいと思ったことだろう。
……どうでもいいことか。
どうやら今死ぬっぽいし。
あの女を見る。
赤ら顔なまま顔を青ざめさせる、なんていう器用な真似をしつつ感情を爆発させる彼女は、酷く醜く、見るに耐えなかった。
「あぁもう!! あああああもぉおおッッ!!!!! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!! 何なの?!! 何なのアンタ?! 何でそんな目でこっち見るの?! 何でそんな気持ち悪いの?! 何で死なないの何で生きてるの何で存在してるの?!! そしてなにより、何でアタシこんなことしてるのよおおおお?!!!!」
僕に聞かれても……。
「死ねぇ……死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇええええええ!!!!!!」
あの女が何度も胸の十字架をかざす。
その度に電撃が僕を撃つ。
あ、知ってる? あれ十字架を媒介にした神聖魔法なんだぜ?
神の奇跡を借り受ける魔法。
でもあれだけ連発したら信仰以外にも対価が……寿命でも捧げてるのかな。
あ、やばい。意識が朦朧としたり激痛に覚醒したりで身体の感覚が無くなってきた。
……ていうか、これってアレだよね。
間接的に神様に殺されてるってこと?
え? じゃあ神様は、僕を助けてくれないってこと?
僕は、死んでも天国には行けないの?
……こいつらは行けるのに?
この、信仰なんて生活の片手間の、それも困った時しか祈らないような奴らを救って、僕を汚した元凶どもを助けて、僕は救わないって、助けないってこと?!
神は、僕を愛さないどころか殺そうというの?!!
……ふざけるな。
ふざけるなよ!!!
憎い。
憎い!!
あぁ憎い!!!
殺してやろうか。
こんな風に僕を殺す女も、僕を愛さない神も、神の愛する世界も!!
そうだ殺してやる。
先ずは、この撫でるだけで弾け飛ぶ脆弱な女。
次はガキども。
果ては神が愛する全てを!
僕が殺してやる!!!
「なんて……できるわけないか」
教壇に背を預けて、力の入らない四肢をだらりと伸ばして呟いた。
そう。
できるなら、とっくに殺してる。
確かに撫でるだけで弾け飛ぶよ、彼らは。
でも僕は、そんなことをしたくない。
人を殺す?
自分が助かるために誰かを殺す?
ましてや愛されなかった復讐に無関係の人々を殺してまわる?
正気の沙汰じゃないでしょ、常識的に考えて。
この女も明らかに正気じゃないし。
あ……僕の呟きに反応して支離滅裂なこと言ってる。
しかも、
「アアアアアアアアアアッッッッッ『神よッ! この者に 無慈悲で 冷徹な……」
詠唱始めた。
さすがに死ぬよこれは。
……あぁ、死ぬのか。
この胸に空いた“飢餓”と胸を引っ掻く“炎”を抱えて僕は死ぬのか。
満たされないまま死ぬのか。
……別にいっか。
遅かれ早かれこうなるのはわかってたし。
誰も、僕を愛してくれないってわかったし。
じゃあもう、死んでいいだろう?
かなり疲れたし。
感覚もおぼろ。
痛みも無い。
天国には行けないだろうけど。
地獄には行けるかな?
あの世には、僕を愛してくれる誰かはいるのかな?
「……裁きの 光を 今! ここに!!』」
詠唱が終わった。
僕の真上に現れた、バチバチと光る雷の、神鳴りの塊が眩く礼拝堂を照らす。
「『断罪の鉄槌ィ!!!』」
妙にゆっくりになった世界で、視界が白く染まってく。
すごく、キレイだな……。
僕が今感じれるのは、視界を染める光と、バチバチと弾ける神鳴りの音と、ステンドグラスが叩き割れた音と、パッと真っ暗になった視界と――――――
「え?」
獣の臭い。
「アオォオオオオオーーーーーーーーン!!!!!!」
何かに包まれた感覚。
聞こえた遠吠え。
消し飛ぶ神鳴り。
懐かしい、涙が出そうなほど優しい温もり。
呆然と、僕は彼の名を口にした。
「あ、ぬび、す?」
「ヴォフ!!」
元気いっぱいな返事と一緒にべろべろと顔を舐めてくる。
夜の闇のように黒くて艶やかで長い毛並み。
金色の瞳は優しい光を灯していた。
尻尾を思いきり振って僕に会えた嬉しさを伝えてきた。
「なんか、おおきくなってない?」
いや、こんなこと言うつもりじゃなかったけどあまりの嬉しさに混乱した。
でもそうなのだ。
前は僕の腰くらいだったのに、(僕が寝転がってることを差し引いても)三倍くらい大きくなってる。
手足から黒い炎がメラメラと燃え上がってるのにちっとも熱くない。
瞳の色も黒だったのに今は金色だ。
魔法みたいなものも使ったし。
「ケ、ケルベロス?! 三級魔獣(専門家じゃなきゃ勝てないクラス)が何故こんなとこに?!!」
あの女がやたら焦った声を出してたけど、僕はそれどころじゃなかった。
「グルルルル…………」
アヌビスが女の方に向きなおって威嚇したけど気にならない。
だって僕は、今までの人生を全部振り返って考えて考えて考えて考えて、考えていたから。
何を?
愛を。
母の、父の、伯父の、伯父の秘書の、取引先の人の、聖書の、道行くの人の、あの女の、5人の子どもの、そして今までの僕の。
それら全ての愛を考えた。
みんな言っていることはバラバラだった。
でもみんな何かを愛していた。
……それに比べて僕は?
カチリ。
何か、大切なことに気づいた気がする。
今まで合わなかったピースが全部嵌まった感じ。
うまく言葉に出来なくて、支離滅裂で、ちぐはぐなグッチャグチャの矛盾だらけだけど。
でも、それが答えだと確信した。
ふいと、上を見る。
十字架に磔にされた人が僕を見下ろしていた。
割れたステンドグラスの向こうから、月に照らされたその顔は、僕を祝福するように微笑んで見えた。
……この答えはいずれまた変わるかもしれないけど、でも根底は絶対に正解だ。
「ぎゃあああああああああああああアアアアア!!!」
不意に聞こえた悲鳴。
見たらアヌビスがあの女の右腕の、肘から先を噛み千切って持ってきた。
ボトンと腕を渡された。
食べろってことかな?
ホントにアヌビスはいい奴だ。
僕は彼の頭を撫でながらお礼を言った。
「ありがとうアヌビス。僕は君に謝らないといけない」
「クゥ?」
コテンと首をかしげるアヌビスはとても可愛い。
だからこそ僕は、こんな簡単で大切なことに気づかなかった僕が情けないやら悲しいやら、申し訳なくって涙が流れた。
「グル?! クゥクゥ!」
いきなりボロボロと涙をこぼしだした僕にびっくりしたのかアヌビスは、慌てて僕の涙を舐め取っていった。
くすぐったくて両手でアヌビスの頭を離して固定する。
「僕は君のことをペットだと思っていた、調教された動物だと思っていた、君に愛されてるとは思わなかった」
僕の真剣な声を聞いてアヌビスも真剣な眼を返してくれた。
本当にいい奴だよアヌビスは。
「でも違った。君は僕を愛してくれてた。僕を守ってくれてた。僕の、家族だった」
「ごめんねアヌビス。君の愛に気づかなくて」
「ありがとうアヌビス。僕の家族でいてくれて」
「ありがとうアヌビス。僕を愛してくれて!」
そっと頭を掴んで、万感の想いを込めて。
「だからアヌビス、 愛 し て ま す」
固定した頭を360度回した。
首の骨が砕けた音と、筋肉繊維と皮が千切れる音。
ゴトリと僕の胸の中に落ちるアヌビスの頭。
それをぎゅっと、ギュギュッと力一杯抱き締める。
トマトかスイカのように腕の中で弾けた。
あったかい。
あぁ何てあったかいんだ……。
それに。
満たされる。
飢えが、渇きが、痛みが癒される。
我慢できなくてまだ立ったままのアヌビスの身体に喰らいつく。
僕の体に付着した脳を舐めとりながら毛皮を爪で引き裂いて肉を内臓を心臓を喰らっていく。
びしゃびしゃと辺りに血が飛ぶけど構ってられない。
「ひっ、ひっ、いや、いやいやなにこれなにがなにがおきてるの??」
シスターが飛んでくる飛沫に怯えてる。
今までは声を聞くだけで不快だった。
けど今は違う。
今は、ただただ愛しい。
シスターが、アヌビスが、5人の子供たちが、血の薫りが礼拝堂の空気が月明かりが町の人たちが草木が動物が虫が大地が海が空が太陽が星が月が不幸が幸福が今までの人生がこれからの未来が他者が自分が隣人が―――何もかもが。
愛おしい。
「そう思いませんかシスター?」
ぐるりと頭を回してシスターを見る。
「ひっ! な、何?!」
彼女は無くなった右手を必死で押さえて血を止めようとしていた。
可愛い、可愛いなぁ命が死にたくないともがく様は!
ゆっくりと、僕は警戒させないようにゆらゆらと近づく。
レッドカーペッドを一歩一歩と踏みしめて。
「僕は今ようやく気づいたのです。この世の全ては愛に包まれている、と…………なのに」
あぁなのに。
「僕はそのことに気がつかなかった」
「ただひたすら他者から愛を求めなにもしなかった」
「誰かを、一度として愛そうとしなかった!」
「なんて愚かだったんだろう!」
「それじゃあ神様も見捨てるよ!」
「だからシスター……」
真っ青に青ざめたシスターの顔を両手で包む。
手についた血がぴちゃりと彼女の顔にも付着する。
「や、やめて!! 近寄らないで!!!」
「うぐっ!!!」
また電流!
無い右手と左手で祈るように十字架を掲げるシスター。
……なんだろう。
すごく、そそる。
それにとっても、
「……痛いなぁ、あぁ痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛い……キャハハァ……」
愛を感じた。
「あぁシスター!! 貴女の愛を感じます!」
「あ、愛? 何言ってんのよアンタ! 頭おかしいわよ!!」
ぐいと眼を覗き込んで言えばシスターも叫び返してくる。
「いいえシスター! この痛みは、貴女との繋がりです! 憎悪も嫌悪も怒りも嫉妬も殺意も全てが! ……愛の類義語なのです」
「あ、あ……」
ぱくぱくと口を明け閉めするシスターは愛嬌があるなぁ!
でもどうやらシスターはわかってないらしい。
無意識で愛を実践するなんてすごいな!
じゃあ語ろうか、愛の話を。
「月並みな言葉ですが愛の反対は“嫌い”ではなく“無視”なのです」
「つまり貴女と僕の関係は愛の一歩手前です!」
「今まで僕と貴女は悲しいすれ違いで良好な関係は築けていませんでした……」
「でも大丈夫!」
「今から二人っきりでお喋りして、話し合って愛し合って理解を深めればきっと!」
「とても、仲良くなれますよ」
「ねぇ、シスター?」
ぎゅっと、でも優しく彼女から十字架をもぎ取る。
それを目の前でひん曲げる。
出来るだけわかりやすく、ゆっくりと。
十字架としての意味を成さない銀の塊になったガラクタを彼女に渡す。
「? 泣いてるんですか?」
見ればシスターは手の中のガラクタを見つめてボロボロと涙している。
それにガタガタと震えてる。
「大丈夫……何も怖いことはありませんよ」
「その怪我も治療しなきゃいけません」
「今の僕ならあの聖水を汲めますから!」
ガシリと足を掴んでズルズルと引き摺る。
背負ってあげたかったけど身長的に無理なんだ。
シスターも無理な姿勢を何とかしようとカーペットに手をついて踏ん張ってる。
引っ張りにくいけど仕方ないか。
途中でアヌビスの残りを回収した。
「それに、この教会には秘密の地下室があるんです!」
教壇の後ろ、大きな十字架の前にシスターを引き摺る。
十字架の台座の一部を押し込むと、スルスルと音もなく台座が動いて地下への階段が姿を現した。
「みんなには内緒ですよ?」
しーっと人さし指を立ててウインクする。
まぁもちろん、
「しばらく出しませんけどね」
そのままシスターを引き摺って階段を降りていく。
真っ暗だけど僕って割りと夜目が効くんだよね。
あぁそれにしても楽しいな、嬉しいな。
僕は今、満たされていってる。
飢えが、渇きが、痛みが癒されていってる。
「……キャハハハハ」
思わず笑いが溢れた。
闇の中、ついつい高らかに笑ってしまう。
「キャハハハハ、キャアハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」
あぁ世界は、愛に満ちている。
でも求めても与えられない。
求めるのではなく与えなきゃ。
与えれば、愛には愛が返ってくる。
それに、返ってこなくたっていい。
「ねえシスター? 僕の父さんと母さんがずっと言ってたんです」
「『愛しなさい』って」
「他者を愛し、他者に愛を刻み込み、他者の愛とひとつになれって」
「父さんと母さんは、『神愛』を実践していたんです」
誰かを愛するというのは、それだけで尊い。
ただ誰かを愛するだけで心が満たされる。
ただ愛するだけで誰かが救われる。
あぁだからもっと、もっともっともっともっともっともっともっともっと!!!
誰かを、みんなを、世界を――――――
愛さなきゃ。
渇愛→『神愛』
・無条件にして万人に平等な、一切の見返りを求めない愛。