第二話 ヤタ国と念石
二人が結界を抜けた先には、いくつもの木造の建物が立ち並び、その奥に大きく高い社殿が見えていた。
足元では、狛犬極みが短い尻尾を振りながらついてきている。
「イヨ、狛犬極みを消さないと」
「そうだ、それっ」
イヨが念石を差し出すと、狛犬極みの身体が淡い光に包まれた。石の獣は小さくほどけるように、その中へ吸い込まれていった。
「それにしてもイヨは昨日もだしたのに、よくこんな長い間召喚できるね」
「うーん、昨日はちゃんと積念したからね」
「一日だけでしょ、そうだ、それよりも同じ念妖を召喚する方法教えてよ」
「こいつ、でろって思うとでるよ、そうだヤヤクも部屋でやってみようよ」
「そんな簡単に出ないんだよなー」
「それじゃー私の部屋で特訓ね」
「うん」
「ただいまー」
イヨは声を上げ、ヤヤクとともに建物へ入った。
外の石畳から板張りの廊下へ上がると、足音が軽く響いた。二人は両側に襖の並ぶ廊下を、奥へと歩いていった。
二人が大きな襖の前を通り過ぎようとしていたとき。
「イヨ、ヤヤク」
すぐ後ろから声がした。
二人が振り返ると、ヒナモリが立っていた。
「お帰り」
「ヒナモリ様!」
「お前たち、今日はよく集積念の日だと覚えていたな。感心、感心」
「あっ」
ヤヤクが声を漏らした。イヨは慌てて口を開く。
「も、もちろんですよ」
「嘘つけ。そのまま部屋に帰るつもりだっただろう」
ヒナモリがイヨの肩を軽く叩いた。すると、その肩口から小さな狐がひょいと顔を出した。
「あー、またつけたな」
イヨが顔をしかめる。
小さな狐はイヨの肩からヒナモリの肩へするりと移り、その中へ溶け込むように消えていった。
「ばかもんが。集積念の日は、逃げ出さぬようつけると言っておるだろうが」
ヒナモリは、ヤヤクへ顔を向けた。
「ヤヤクは中に入って始めなさい」
「はい」
ヤヤクが襖を開けると、部屋の中央には木製の三方が置かれていた。その上で、大きな念石が光を放っている。
念石を挟んで両側に数人ずつが一列に並び、座禅を組んで祈っていた。ヤヤクは静かに中へ入っていった。
術者が念石に念を蓄えることを「積念」と呼ぶ。精神を集中させ、気力と体力を使うため、一日に行えるのは一時間ほどが限度だった。
一方、大きな念石に複数の術者が同時に念を蓄える儀式を「集積念」と呼んだ。
その集積念の儀式に参加する間隔は、ここ数年で次第に短くなっていた。
「イヨ、お前はミミ様のもとへ行け」
「はい」
イヨは素直に返事をした。
廊下を進み始めると、背後からヒナモリの声が追ってきた。
「三日間の積念の約束を破ったな。罰は考えておく」
イヨの足が止まった。
「それと、明日にでもタモ婆のところへ団子代を払いに行って、謝ってくること」
「ちなみにタモ婆は元術者だ」
「えっ!」
ぎくりとして振り返ったが、ヒナモリはもう部屋の中へ消えていた。
イヨは肩を落とし、社殿の廊下をとぼとぼと歩いた。
階段をいくつも上り、長く延びる一本道の廊下を進むと、金色の襖が見えてきた。
ようやくたどり着いた金色の襖の前で足を止める。
「ミミ様、イヨです」
中から声が返った。
「よし、入れ」
イヨが金色の襖を開けると、部屋の奥には神を祀る祭壇が設けられていた。灯明の小さな炎が、磨かれた木の柱を淡く照らしている。
祭壇の両脇には、少しつり目の小さな兎が二本足で立ち、顔だけをイヨに向けて見ていた。短く丸い尻尾が淡い光を放っている。
祭壇の手前には、一人の女が背筋を伸ばして座っていた。
白地に淡い桃色の花が咲く豪奢な着物をまとい、真っ白な髪が肩から背へ流れている。その頭には、兎を思わせる長い耳が伸びていた。
イヨが膝をつくと、その耳がぴくりと動いた。
ミミはイヨへ目を向けた。わずかに身じろぎしても姿勢は崩れず、凛とした佇まいのまま口を開いた。
「イヨよ。おぬしの父上と母上の話じゃ」
「はい」
「すまんのう。ナシメもツツもまだ当分帰ってこられぬそうじゃ」
「そうですか」
イヨは少しうつむいた。
「こちらから行くことはできないんですか」
「うむ。あやつらも大事な任務で行っておるからのう、危険なこともあると思っておぬしを残していったのじゃ、分かってやれ」
イヨは口を尖らせた。
「私も役に立てるよ」
「そうか、イヨ。おぬしは、術者と念のことをどれほど知っておる」
「ヒナモリ様から教わっているし、ヤタの国を守る大事な力だよ」
「まあ、早い話がそうなるのう」
ミミは静かにうなずいた。
「おぬしも術者じゃ。ヒナモリたちからも、もうそろそろ詳しく聞かされるであろう」
「異国もずっと探してるんでしょ」
「うむ。異国というより新しい土地よのう。わしらの船ではとても行けん場所にあるかもしれんのう」
「ミミ様すごいのに行けないの?」
「わしは別にすごいわけでもない。長いこと、この国にいるだけだからのう」
ミミは膝の上で袖を整えた。
「すまんかったのう、イヨ。また連絡が来たら伝えるからのう」
「さあ、もうヤヤクたちの所へ戻って、集積念に参加するがよい」
「うーん、あれ、こないだもやったし、ぴりぴりするからなー」
イヨは頭の後ろで手を組んだ。
「ヤヤクも、一人で頑張っているし、まだ二人に会えなくても別にいいや」
ミミは少し同情するように、悲しげな顔をした。
「イヨもだいぶ大人になったのう」
「だけど、この部屋まで来るの、遠いんだよなー」
ミミの耳がぴくりと動いた。
イヨはその耳を見上げ、ふと思いついたように言った。
「ミミ様、人参食べる?」
耳についた鈴が、ちりんと鳴った。
傍らの兎たちが、イヨを睨んだ。
「わしは何も食べん。さっさと行かんかー!」
「ごめんなさーい」
イヨは慌てて立ち上がり、襖を開けて廊下へ駆け出した。
廊下を走りながら、イヨは小さく笑ってつぶやいた。
「あの怒り方、タモ婆そっくりだ。やっぱりミミ様は、タモ婆の呪いにかかってるな。ヤヤクに教えてやろう」
最後の階段を下りかけたところで、上ってきたヒナモリとすれ違った。
「イヨ、走るな」
「はい」
イヨはぴたりと足を止める。ヒナモリはその顔をじろりと見たが、それ以上は何も言わなかった。
「よし。それでは、お前も集積念に参加しなさい」
ヒナモリは続けた。
「それと、来月からは町への念石配達も、新しく加わった術者に引き継ぐ。そろそろお前たちも本格的に術者としての修行や立ち回りを教えていく。いいな」
「はーい」
ヒナモリはその返事を聞くと、階段を上っていった。
イヨは集積念の部屋の前までやってきて、足を止めた。襖の向こうからは、静かな祈りの気配が漂っている。
襖に手をかけたまま、しばらく立っていた。
そして手を下ろすと、部屋には入らず、そのまま廊下を歩いていった。
イヨと別れたヒナモリは、社殿の奥へと進み、やがて先ほどイヨが訪れた金色の襖の前で足を止めた。
「ミミ様、ヒナモリでございます」
「うむ、入れ」
「失礼します」
襖を開けて中へ入り、ミミの前で膝をついた。
「イヨの方は、いかがでしたか」
「いつもどおりよのう」
「申し訳ございません」
ミミは小さく笑った。
「ははは、よいのじゃ」
ミミはふっと目元をゆるめた。
「しかし、さすがナシメたちの子よのう。あの年でしっかり術者となっておる」
その目が、先ほどイヨの座っていた場所へ向いた。
「術者の誕生も少なくなってきたこの時代に、二人も子供の術者が現れるとはのう。わしは可愛くてしょうがないのじゃ。最近では、おぬしたち大人しかおらんかったからのう」
「はい。少々、聞かん坊ではありますが」
ヒナモリの口元にも、わずかな笑みが浮かんだ。
「ナシメは、おぬしよりも年上じゃったかのう」
「はい」
ミミは目を細め、ヒナモリの顔を眺めた。
「おぬしの子も、早く見てみたいのう」
「は、はあ……」
ヒナモリは返事に詰まり、わずかに視線を落とした。ミミはその様子に小さく笑うと、話を切り替えた。
「それで、新しい大陸調査の準備は問題ないかの」
「はい。ミマシの天淵龍は、一日ほどの召喚は問題なく維持できています」
「そうか」
「しかし、念石のほうはその一日で限界に近いかもしれないと」
ミミは、膝の上の袖に視線を落とした。
「そうか、召喚時間がもつまでは念石も持たせたいがのう」
「はい、ミマシの体力と気力が持てば、約一日半は召喚できるかと思います。念石もそこまで持つ物を準備し、できる限り広い範囲を調査して、大陸発見を目指すつもりです」
ミミは小さくうなずき、問いを重ねた。
「一日分の召喚を支える念石の準備には、どのくらいかかったのかのう」
「十名ほどを交代で、その日の各々の積念時間を集積念に当てさせ、約三十日かかっています」
ミミは指先で袖をなぞった。
「それ以上に念の力を込めて、念石が耐えきれねば砕けて、また念石探しに戻ってしまうのう」
ミミは首をかしげた。
「せっかくそこまで力を溜められる石があったのだから、それが持つところまでの調査とはいかんかのう」
ヒナモリは静かに首を振った。
「未知の海域は危険です。新たな大陸が見つからなければ、また一から準備を繰り返すことになります。同じような危険にさらす者を減らすためにも、できる限りの距離を調査したいというのがクナ様のお考えです」
ミミは小さく息をついた。
「困ったものじゃのう。そのくせ、国の頭領が一番の危険好きとは。ヒナモリ、おぬしも大変じゃのう」
「いえ、そんなことはございません」
ヒナモリは穏やかに微笑み、話を続けた。
「今回使用した念石の力は、初めから溜め直さなければなりませんので。まだまだ時間はかかるかと思います」
「そうじゃのう。皆には、本当にご苦労であると伝えておくれ」
ヒナモリは深く頭を下げた。
「すべては私たちと、国の将来のためです。しかし、そのお言葉だけでも皆、喜ぶでしょう。しっかりと伝えさせていただきます」
「そうかえ」
ミミはうなずき、すぐに表情を引き締めた。
「して、クナたちのほうはどうじゃ」
ヒナモリの表情から笑みが消えた。
「大陸調査の準備もあるので、反乱の調査にはクナ様とツツ、それに七式将からナシメの三人だけが向かっております。ツツからの連絡によると、やはり予測どおりのようです」
ミミは静かに息をついた。
「なぜあやつが反乱なんぞをするんかのう」
ミミの耳が、わずかに伏せられた。
「確かにそれではまだ帰ってこられんのう」
ヒナモリは頭を下げて答えた。
「はい、一応緊急時の応援体制も整えております」
ミミは目を伏せた。
「ナシメはクナの護衛もあり仕方ないとして、ツツまで行くことになるとは、イヨは両親ともおらずかわいそうよのう」
ヒナモリは唇を噛んだ。
「私のコガネもある程度の距離までしか届きません。八雲のような遠くの情報を伝達できる念妖はツツしか召喚できず……」
そこで一度言葉を切り、ミミへ頭を下げた。
「それでも私がお供をするべきでした」
ヒナモリが顔を上げると、ミミはその目を見据えた。
「おぬしがおれば心配ないからクナは自ら行ったのであろう。そして、あやつの裏切りも自分の目で確認したかったのであろう」
ミミは声を和らげた。
「でなければおぬしを行かせたのかもしれんが、クナはヒナモリ、おぬしの気持ちも分かってのことよ」
ヒナモリは答えなかった。
「それにおぬしがおらねば、その間、誰がヤタ国を守り、誰が術者をまとめるというのじゃ」
「七式将が――」
ミミの耳が動き、鈴がちりんと鳴った。
「ならん。あやつらも、おぬしだからこそまとまっておるのじゃ」
ヒナモリは頭を下げた。
「申し訳ございません」
ミミはしばらく黙っていた。傍らの兎たちも身じろぎせず、二人を見ている。
「クナたちのことも心配じゃ。調査についてもわしは何の役にも立てん」
白い指が、着物の花模様をそっとなぞった。
「わしのお役目も、そろそろ終わりかもしれんのう」
「何をおっしゃいます、ミミ様」
ヒナモリは顔を上げた。
「モチ様たちとともに、ずっとヤタ国を見守ってくださっていることに、皆がどれほど感謝しているか」
「ずっと、か……本当に長かったのう、モチ」
ミミが傍らへ目を向けると、兎たちは揃ってうなずいた。
「わしらが今は亡き若に仕えてから、三百年近くになる。若が亡くなったというのに、なぜわしらは消えんのか。ほんに、よう分からん」
灯明の炎が揺れた。ミミはその明かりをしばらく眺め、ヒナモリへ視線を戻した。
「ヒナモリよ。ヤタはいい国じゃ。皆、何百年もわしらをこうして祀り、大事にしてくれておる。そして、おぬしたち国の上に立つ者も、代々わしらの言いつけを守ってくれた」
ミミの耳が、ゆっくりと傾いた。
「わしも、いつ消えるか分からんが……術者同士、そして民とも仲良うするんじゃぞ」
「は、はい。ミミ様、もうお眠いのではありませんか」
「違うわい」
「わ、分かりました」
ヒナモリは姿勢を正した。
「この後、七式将と話す予定です。大陸調査の件とクナ様たちのことも含め、改めて説明いたします」
「そうか。よきにせい」
ミミは小さくうなずいた。そのまままぶたが下がり、ほどなく静かな寝息が聞こえ始めた。
「あ……お休みになられた」
ヒナモリは声を落とし、傍らの兎たちへ頭を下げた。
「モチ様方、それでは失礼いたします」
兎たちはまた揃ってうなずいた。
ヒナモリはミミを起こさぬよう静かに立ち上がり、部屋を出た。襖をそっと閉めてから、肩口へ声をかける。
「コガネ。ミマシ以外の残る七式将のもとへ行ってくれ」
肩口から五匹の小さな狐が姿を現した。四匹はひらりと廊下へ降り立ち、それぞれ別の方角へ駆けていく。
一匹だけが肩に残った。ヒナモリはその耳元へ口を寄せた。
「ミマシ、異常はないか」
「はい。問題ありません。日暮れ前には今日の検証は終える予定です」
「そうか、今から国に残っている七式将に、クナ様たちの件も含めて話をする。お前には後ほど詳しく説明する」
「はい」
ヒナモリは廊下を歩きながら続けた。
「お前は続く召喚による疲れもあるだろう、今後の方針が決まるまで体を休めてくれ。ひとまず、コガネは外しておく」
「分かりました、ご配慮ありがとうございます」
ヒナモリは廊下の途中で足を止め、中庭に面した開口部へ目を向けた。庭の中央には、長い年月を重ねたことが一目で分かるほど、巨大なクスノキがそびえていた。
幹は太く、天へ伸びた枝葉は高い位置で大きく広がり、社殿を囲う廊下の上を屋根のように覆っていた。その枝葉に日の光が遮られ、中庭には昼なお淡い薄闇が満ちていた。
幹の前には、地の底へ吸い込まれるように続く石段があった。巨木の根に沿うように伸びたその道の両脇には、小さな灯りが等間隔にともされ、巨木のまわりの淡い灯りと静かに呼応し、その場だけが現実から切り離された、美しくも神秘的な空気に包まれていた。
ヒナモリは、何かを思い出すようにクスノキを見つめていた。
「アマギリよ、なぜ国を裏切る……」
そのつぶやきは、枝葉のざわめきに紛れて消えた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。感想や、気になった点、分かりにくかった点などがあれば、ぜひ教えてください。厳しいご意見も今後の参考にさせていただきます。




