↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅楼夢  作者: 翡翠
翻案意図(第一回~第十三回)
264/349

第十回

 まず第十回の考察(こうさつ)に入る前に第九回の状況(じょうきょう)を整理(せいり)したい。宝玉たちが来るまえ、すでに義塾(ぎじゅく)は混乱(こんらん)をきわめていた。代儒は自分の孫(まご)であるということで、能力(のうりょく)の足りない賈瑞を代理(だいり)に立て、秦鐘と金栄のいざこざが起き、賈薔(かしょう)が一計を講じるが、宝玉が儒学(じゅがく)、礼(れい)の論理(ろんり)にしたがって金栄を屈服(くっぷく)させる。しかし、これは一方的な支配(しはい)であって、金栄側(きんえいがわ)の義(ぎ)を考慮(こうりょ)していない。当人(とうにん)に自覚(じかく)はないのだろうが、その儒(じゅ)の手法(しゅほう)を用(もち)いるのがそれにもっとも反発(はんぱつ)する宝玉であるのが面白(おもしろ)い。

 すなわち権勢(けんせい)、権力(けんりょく)に依存(いぞん)する儒(じゅ)が十分(じゅうぶん)な理解(りかい)もないままそれを振(ふ)り回(まわ)せば、それは暴(ぼう)に近(ちか)づく、という理(ことわり)がおぼろげに見えてくる。

 それを前提(ぜんてい)として第十回では張友士(ちょうゆうし)という権力(けんりょく)の構造(こうぞう)から離(はな)れた儒(じゅ)の姿(すがた)が描(えが)かれる。


 では、冒頭(ぼうとう)からみていこう。

 まず、金栄の家庭状況(かていじょうきょう)がつぶさに描(えが)かれる。彼の家は貧(まず)しく、金栄は義塾(ぎじゅく)の不満(ふまん)を述(の)べるけれども、母親(ははおや)は飯代(めしだい)のために義塾(ぎじゅく)に行くように懇願(こんがん)する。前回(ぜんかい)、義塾(ぎじゅく)という狭(せま)い儒(じゅ)の社会(しゃかい)の隷属者(れいぞくしゃ)であった彼がその構造(こうぞう)に助(たす)けられていることが明(あき)らかにされる。

だが、その埒外(らちがい)にある賈璜(かこう)の妻(つま)は甥(おい)の扱いに憤(いきどお)を覚(おぼ)える。


 彼女の登場(とうじょう)の前に、私は秦氏と秦鐘、宝珠のエピソードを置(お)いた。尤氏からこのあたりのことは語られるが、せりふの中ではどうしても説明的(せつめいてき)になってしまう。

 宝珠を先に出しておきたい都合(つごう)もあり、秦氏と秦鐘の場面を描(えが)いた。秦氏の秦鐘に対する態度(たいど)は、姉と弟というには強すぎる。“情(じょう)”の権化(ごんげ)のような彼女からすれば弟の秦鐘に”理(り)“を説(と)くのは不自然(ふしぜん)だ。だが、もし親子(おやこ)なら……というのが私の秦氏・秦鐘親子説(しんしょうおやこせつ)の根拠(こんきょ)の一つになっている。ここに賈蓉も陪席(ばいせき)させ、後の軋轢(あつれき)の伏線(ふくせん)とした。


 賈璜(かこう)の妻(つま)は秦鐘や秦氏に憤(いきどお)りながら寧府に赴(おもむ)く。彼女は夫が嫡派(ちゃくは)だ、ということに誇(ほこ)りをもっており、根底(こんてい)に秦氏たちに対する蔑(さげす)みがあったのだろう。原文ではそこからどうやって秦氏への思いが変質(へんしつ)したのか明らかにされていない。翻案(ほんあん)では「おめでた、あるいは病(やまい)」と聞かされた賈璜(かこう)の妻(つま)が秦氏と自分を重ねたことにした。

 ここから名医の呼(よ)び声(ごえ)高(たか)い張友士(ちょうゆうし)を呼ぶ運びとなるのだが、友士も紹介者(しょうかいしゃ)であり、侠客(きょうかく)の風(ふう)がある馮紫英(ふうしえい)も権力(けんりょく)、権勢(けんせい)の外にいる。だからこそ張友士は寧府の名帖(めいじょう)を拒否(きょひ)し、馮紫英の方も賈珍の個人的(こじんてき)なお願(ねが)いとしてとどめるのだ。

 また、ここでは賈珍と賈敬の父子(ふし)の確執(かくしつ)も描(えが)かれる。あくまで俗世(ぞくせ)に染(そ)まろうとしない賈敬と、どうしても彼の誕生日(たんじょうび)を祝(いわ)いたい賈珍とでせめぎあいが行われる。ただ、ここで賈珍は虚栄(きょえい)のためだけに賈敬を祝(いわ)おうとしているとは思えない。情(じょう)と非情(ひじょう)の対立(たいりつ)が寧府の禍根(かこん)の根源(こんげん)にあるとここでまず示(しめ)される。

 張友士は源(みなもと)を窮(きゅう)すという表題(ひょうだい)の通り、張友士は秦氏の診察(しんさつ)にかこつけて、寧府の病巣(びょうそう)をあきらかにしていく。その彼の問いに応(こた)えることができるのは賈蓉であり、一人のお付きの者だけだった。

 第十回では前回の流(なが)れを引(ひ)き継(つ)いで、権力(けんりょく)の埒外(らちがい)にいる儒者(じゅしゃ)であれば、権力(けんりょく)の腐敗(ふはい)を解消(かいしょう)できるのかという問(と)いが示(しめ)され、権力側(けんりょくがわ)にも、市井(しせい)の側(がわ)にも理解(りかい)してもらえる人々がいたとしても、権力構造(けんりょくこうぞう)を変えるのは困難(こんなん)であるという現実(げんじつ)が提示(ていじ)された。それならば情(じょう)であればどうか? それこそが次回のテーマとなってくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。