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紅楼夢  作者: 翡翠
第一回 甄士隠(しんしいん) 夢幻(むげん)に通霊(つうれい)を識(し)り 賈雨村(かうそん) 閨秀(けいしゅう)に風塵(ふうじん)を懐(おも)う
2/57

第一回 2

それから幾世幾劫いくせいいくごうが経ったろうか。仙術をきわめんと修行する仙道道人という者が大荒山、青埂峯を通りかかった。そこに大きな石があり、はっきりと文字が記されているのを見つけた。いわく、私はもともと才無き人間であったが茫茫大士ぼうぼうだいし渺渺真人びょうびょうしんじんの手によって人とり、紅塵せけんへと連れ込まれ、家庭のこまごましたこと、女性が住まうねやのこと、詩歌しいかに含まれた謎の玄妙さなどは漏らすことなく、書きつらねられていたけれど、天下のこと、朝廷のことにかんすることがらだけがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 仙道道人は自分の身体がだんだんと震えていくのが分かった。この大石に自らの修行では得られなかった何らかの真理しんり神髄しんずいのようなものが、あるいはその一端いったんが描かれているような気がしたからである。だが、人の営みにとって当然あるべきもの、すなわちまつりごとの部分がないというのはいかなことであろうか? 仙道道人は首をかしげながら、末尾のへとたどり着いた。


 いて蒼天そうてんおぎなうべき材なく

 げて紅塵こうじんに入る若許そこばくの年ぞ

 此の身前身後しんぜんしんごに係る事

 誰にうて奇伝きでんとなさん


 また、この詩に続けてこの石の来歴、落ちたところ、生まれ変わったところ、経験したいろいろな出来事、こと細かく書いてあったが、いつの時代の、どこの出来事かがまったく分からなかった。

「石さん、あなたに記されたできごとは隅から隅まで拝見しました。大変興味深い。私はこれを書き写して世に示そうと思います」

 仙道道人はそうめたが、大石の方もまんざらではなさそうだった。

「だがね、欠点もある。まず時代が書かれていない。天子や大臣が徳政とくせいをしいたという記事も出てこない。あるのは一風変わった女性たちの痴情ちじょうのようす、ささいな才能やささいな善行しか記されていない。こんなものを世間の人々が読んでくれるかどうか不安もある」

 それを聞いて大石は大声で笑った。

「先生ともあろう人が何をばかなことをおっしゃるのです。年代が分からないと言うのなら、漢なり唐なり適当な王朝や年代をあてはめてもらえばいいですよ。考えるだに些末さまつなことです。それよりこれまでの小説ときたらどれも似たり寄ったりじゃありませんか。これまでの小説の描かなかったところが面白いとは思われませんか? 君主くんしゅ大臣だいじんをやりこめる。人の妻や娘をけなす。もうあきあきじゃないですか。それに風月いろこいの書は良家りょうけ子弟してい堕落だらくさせるもとでしょう? 作者自身の恋詩こいしの才能をひけらかすためにわざわざ男女の仲をもつれさせる。型にはまった美文麗文びぶんれいぶん。もううんざりでしょう。先生、私はね。このお話で面白く思ってもらおうなんて思っていませんよ。ただ世の人が酒色しゅしょくに飽き、煩悩ぼんのうをうち捨てたときに読んでもらえばいいのです。これを読み、つまらぬことを考えず、寿命を延ばしてもらえばいいのです。それとね、これはお決まりの引っ付いたり離れたり、曹子建そうしけん卓文君たくぶんくん紅娘こうじょう小玉しょうぎょくの物語とも違うでしょう?」

 ふぅむと思う。たしかに邪悪じゃあくやからをおとしめたりする場面もあるが、説教めいたところはなく、つねに人の徳をたたえていて、その内容の大部分は情事のことではあるもののそこには事実しか書かれておらず、人の目を引くようないやしい作り事も当世とうせいの出来事も書かれていない。

 仙道道人はおおいに納得し、この石に刻まれた文字を最初から最後まで写し取り、この小さく壮大な物語を世の人々に示した。さらに仙道道人自身はくうによってしきを見、色よりじょうを生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟って、名を情僧じょうそうと改めた。それに応じて「石頭記」を「情僧録じょうそうろく」とし、呉玉峯ごぎょくほうにいたって「紅楼夢」と題し、東魯とうろ孔梅渓こうばいけいは「風月宝鑑ふうげつほうかん」としたが、曹雪芹という人が悼紅軒とうこうけんにて、この書を被閲ひえつすること十年、改柵かいざんすること五たびをもって、目録もくろくを編み、題して「金陵十二釵きんりょうじゅうにさ」とし、「石頭記」の起こりとなる下の絶句を記したのだった。


 満紙荒唐まんしこうとうげん

 一把辛酸いっぱしんさんの涙

 みな言う作者痴なりと

 誰かその中の味をかいせん


 さて、多くの題を持つこの物語の縁起えんぎは明らかになった。それではおいおい大石に記された話を語るとしよう。


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