第一回 2
それから幾世幾劫が経ったろうか。仙術を究めんと修行する仙道道人という者が大荒山、青埂峯を通りかかった。そこに大きな石があり、はっきりと文字が記されているのを見つけた。曰く、私はもともと才無き人間であったが茫茫大士と渺渺真人の手によって人と為り、紅塵へと連れ込まれ、家庭のこまごましたこと、女性が住まう閨のこと、詩歌に含まれた謎の玄妙さなどは漏らすことなく、書きつらねられていたけれど、天下のこと、朝廷のことにかんすることがらだけがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
仙道道人は自分の身体がだんだんと震えていくのが分かった。この大石に自らの修行では得られなかった何らかの真理、神髄のようなものが、あるいはその一端が描かれているような気がしたからである。だが、人の営みにとって当然あるべきもの、すなわち政の部分がないというのはいかなことであろうか? 仙道道人は首をかしげながら、末尾の偈へとたどり着いた。
去いて蒼天を補うべき材なく
枉げて紅塵に入る若許の年ぞ
此の身前身後に係る事
誰に請うて記し去り奇伝となさん
また、この詩に続けてこの石の来歴、落ちたところ、生まれ変わったところ、経験したいろいろな出来事、こと細かく書いてあったが、いつの時代の、どこの出来事かがまったく分からなかった。
「石さん、あなたに記されたできごとは隅から隅まで拝見しました。大変興味深い。私はこれを書き写して世に示そうと思います」
仙道道人はそう誉めたが、大石の方もまんざらではなさそうだった。
「だがね、欠点もある。まず時代が書かれていない。天子や大臣が徳政をしいたという記事も出てこない。あるのは一風変わった女性たちの痴情のようす、ささいな才能やささいな善行しか記されていない。こんなものを世間の人々が読んでくれるかどうか不安もある」
それを聞いて大石は大声で笑った。
「先生ともあろう人が何をばかなことをおっしゃるのです。年代が分からないと言うのなら、漢なり唐なり適当な王朝や年代をあてはめてもらえばいいですよ。考えるだに些末なことです。それよりこれまでの小説ときたらどれも似たり寄ったりじゃありませんか。これまでの小説の描かなかったところが面白いとは思われませんか? 君主や大臣をやりこめる。人の妻や娘をけなす。もうあきあきじゃないですか。それに風月の書は良家の子弟を堕落させるもとでしょう? 作者自身の恋詩の才能をひけらかすためにわざわざ男女の仲をもつれさせる。型にはまった美文麗文。もううんざりでしょう。先生、私はね。このお話で面白く思ってもらおうなんて思っていませんよ。ただ世の人が酒色に飽き、煩悩をうち捨てたときに読んでもらえばいいのです。これを読み、つまらぬことを考えず、寿命を延ばしてもらえばいいのです。それとね、これはお決まりの引っ付いたり離れたり、曹子建や卓文君、紅娘、小玉の物語とも違うでしょう?」
ふぅむと思う。たしかに邪悪な輩をおとしめたりする場面もあるが、説教めいたところはなく、つねに人の徳をたたえていて、その内容の大部分は情事のことではあるもののそこには事実しか書かれておらず、人の目を引くようないやしい作り事も当世の出来事も書かれていない。
仙道道人はおおいに納得し、この石に刻まれた文字を最初から最後まで写し取り、この小さく壮大な物語を世の人々に示した。さらに仙道道人自身は空によって色を見、色より情を生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟って、名を情僧と改めた。それに応じて「石頭記」を「情僧録」とし、呉玉峯にいたって「紅楼夢」と題し、東魯の孔梅渓は「風月宝鑑」としたが、曹雪芹という人が悼紅軒にて、この書を被閲すること十年、改柵すること五たびをもって、目録を編み、題して「金陵十二釵」とし、「石頭記」の起こりとなる下の絶句を記したのだった。
満紙荒唐の言
一把辛酸の涙
みな言う作者痴なりと
誰かその中の味を解せん
さて、多くの題を持つこの物語の縁起は明らかになった。それではおいおい大石に記された話を語るとしよう。