はじめに
この序文は本来であれば必要のない部分なので、とりあえず読み飛ばしていただき、読むことがしんどくなったときに再び戻ってきていただきたい。
★ ★ ★
さて、この箇所が読まれているということは紅楼夢の初読のしんどさに行き当たられたからではないかと思う。もしそうでなければいったん本文を読んでいただくことをお勧めする。
前提として中華圏の人々であっても紅楼夢を読破したという人はそれほど多くないようだ。
それは紅楼夢を読むにあたって一番の試練が序盤も序盤、第一回と第二回を読み終えることができるかどうかにかかっているからだろう。第三回、第四回と読み進んでいけば、賈宝玉、王熙鳳、林黛玉、薛宝釵と主となる人々が登場してき、物語も発展していく。どうかそこまで読み進めていただきたい、もし私の翻案が合わなかったとしたら、図書館でも、あるいは買ってでも別訳を読んでご判断いただきたい。少なくとも心理劇が好きな人であれば紅楼夢はきっとお気に召すだろうからだ。
だが、紅楼夢を読み進めると恋愛小説と聞かされて読み始めたのに、違和感を覚えた人も出てくることと思う。もしそんな疑問を抱かれたのなら、次をお目通し願いたい。
★★ ★
紅楼夢は恋愛小説として人口に膾炙されていながら、恋愛小説としては致命的な欠陥がある。
それは恋愛関係となる人々の思いが、それぞれがそれぞれにずれていることだ。そのためその恋愛関係も微妙にすれちがい、恋愛小説としては片手落ちの感がある。
たとえば一般的に主人公とヒロインとされる賈宝玉と林黛玉の場合を見ていこう。
前提として彼らは愛し合っている。だが、賈宝玉は林黛玉を「林妹妹」と呼び、林黛玉は賈宝玉を「你」と呼ぶ。賈宝玉は微妙に家族愛が混じっているが、林黛玉は宝玉に対する純粋な愛情である。それは賈宝玉が栄国府の御曹司であり、林黛玉は身を寄せるよすがのない孤児同然の身であることとも関係している。
またもう一人のヒロインと言われる薛宝釵は宝玉のことが好き(これは紅楼夢の理解のうえで大事な点だと思う)なのだが、彼女が「拙きを守る」女性であるため、それは隠して明らかにしない。そして賈宝玉は薛宝釵に愛情は抱いていない。ここにもずれが生じている。
このように恋愛関係のみならず紅楼夢の登場人物にはそれぞれ微妙なずれがあり、それがそれぞれの孤独へとつながっている。
ただ、紅楼夢は表面に見える関係性や事象だけでなく、さまざまな含意が隠されている。
もし、その含意が気になったのなら、次に進んでいただきたい。
★★ ★
紅楼夢は複数回タイトルが変わっている。それは情僧録、風月宝鑑、金陵十二釵、石頭記であり、私の推測ではそれぞれ、自伝的小説、恋愛小説、歴史小説、哲学(禅機)的小説と変遷していると考えている。
現行の前八十回ではそれはすべて排除されることなく、溶けこむように含まれている。それは高尚な試みであるとともに、紅楼夢をいたずらに晦渋にした面もあることは否めない。だが、紅楼夢は階級闘争を描いた小説である、などといった単一のテーマだけで構成されているわけではないということだけは確かである。
最後に、この翻案は「私が読みたい」から書き始めた。紅楼夢は「書き手でないと理解できない小説」だと思うからだ。作者の才能は私の千倍以上に大きい。それでもどうにか縋りつき、紅楼夢を読みたいという一心で書き続けたい所存だ。




