記録師
記録師の仕事場は研療院から舟で1時間ほどの、街の北西部の外れに位置していた。船着場を降りると、そこには『史録院』と書かれた看板がかかっていた。建物は木製で、研究棟に比べると年季が入っていた。
キネリは一人で建物に入ると受付とおぼしき男に何やら話していた。
建物の周囲には畑が作られ、軒先には釣った魚や野菜が干されていた。のどかな雰囲気である。畑の傍には一人の老人が座って本を読んでいた。背は比較的高く、かなり細い。面長な顔が印象的な人物で、穏和な雰囲気が滲み出ていた。
「こういうの、『釣月耕雲』っていうんですかね?」
菊池は老人に話しかけた。
「道元ですね。お若いのに良くご存知だ。そんな大それたことではありません。夜釣りはしますけどね。はて、貴方は見知らぬ顔だが、『記録師』なんですかな?」
『記録師』という言葉を発した時、わずかに眼つきが変わったようだった。
「まさか、滅相もありません」
菊池は大袈裟に否定しながら言葉を続けた。
「私は菊池。彼女はレイヨと言います。失礼ですが、あなたは?」
「ああ、イヤイヤ、これはすまん。私は久延といいます。ご存知の通り記録師です」
老人は背を丸めながら、頭を掻いた。
「えーと、仏押から連絡は受けたが、貴方がたですかな」
老人の案内で奥の部屋に通された。そこは大きな円形の部屋で、壁一面に色とりどりで、大小様々な背表紙が並んでいた。置き切れない資料は至る所に積まれており、埃とカビの匂いに満ちていた。建物の内部は蜘蛛の巣や埃が溜まり、お世辞にも片付いているとは言い難い。
「こちらへお座り下さい」
老人が示した場所は物置と化した机の前のソファーだったが、座る所などなかった。
「あ、邪魔ならその辺にうっちゃって下さい。すみませんね。片付ける暇もなくて」
老人は頭をかきかき言った。
「おお、お茶、お茶。えーと、どこだったかな?」
老人は机の上の山と積まれた書物を崩しながら探していた。
「ああ、あったあった」
机の脇のゴミ箱から茶筒が出てきたようだ。菊池とレイヨは顔を見合わせて苦笑した。暫く後に、怪しいお茶がテーブルの上で湯気を立てていた。
「とても良いお住いですね」
「いやはや、お恥ずかしい。見ての通り整理が追いつかなくて」
久延はにこやかに対応した。
「いいか、今回の面談は、仏押さまの特別なご配慮で実現したことを忘れるな。面談時間は1時間だ」
キネリは、菊池達を圧するような態度で話した。
「なによ、偉そうに」
レイヨがボソリと呟いたが、彼女は眼鏡の奥から睨んだだけで、何も言わなかった。
「コホン、それでは、何をお知りになりたいのですか?」
「記録師とはどのような仕事なのですか?」
「ははは。まあ、何もしないのが仕事ですかな。世の流れに干渉せず、事実を記録するのです」
「でも、房の国は絶対君主制ですよね?そんな中立主義が成り立つのですか?」
久延の顔が一瞬固まったように見えた。
「菊池!お前は尋ねたいことがあるのだろう?時間はないぞ」
キネリはすぐに横槍を出してきた。しかし、老人は笑顔で彼女を制すると話し始めた。
「随分と難しい言葉をご存知ですな。それにかなり危険思想の持ち主の様ですね。まあ、いいでしょう。正確には立憲君主制です。そして、あなたの質問には、是であり非である、と答えるしかありません」
久延はお茶をすすった。ズズズと大きな音が図書室に響く。
「すみません。気を悪くされたなら謝ります。ところで、あなたは西暦をご存知ですか?」
「ええ。王国歴の前の暦ですね」
「王国歴と西暦は換算可能でしょうか?」
「つまり、今が西暦なら何年かを知りたいと?」
「ええ!そ、その通りです!どうですか?」
菊地は老人に詰め寄った。




