毒の湖
翌朝、一行は日の出と共に出発した。
昼近くになると急に川幅が広がってきた。川面は静かであり、周囲は海が近いためか、急に木々がまばらになってきたが、不思議と潮の香りはしなかった。
「海が近そうですね」
菊池は黄持に尋ねた。
「いや、まだ少しあります。ここは正確には湖になりますかね。30年前の戦でできたものです。一度また川幅は狭くなりますよ。それから海に出ます。今日は河口から少し海に入った所の交易所に泊まります」
黄持は船頭がガサガサと何かを取り出すのを見ると、レイヨに話しかけた。
「そうだ、お嬢さん。あなたは適応者ですから、海に出るまでは気を付けて下さい。もう大丈夫だとは思いますが、念のために船頭に防護服を借りて下さい」
レイヨは船頭に、フード付きのレインコートのような灰色の服を着せられた。
「やだなあ、暑いしかっこ悪いし」
彼女はブツブツと文句を言っていた。菊池はレイヨを見て笑っている黄持に質問した。
「湖ができるなんて、そんなに強力な兵器が存在するのですか?」
「我々の兵器ではないそうです。私も見たわけではありませんが、どうも遺物のようで、古代文明の技術らしいと言われてます。川は以前はもっと北を流れていましたが、この兵器によって大きな湖ができてしまい、そこに川の水が流れ込んで流路が変わってしまったのです。その後の洪水と毒水のためにかなりの民が亡くなりました」
「毒水?放射能ですか?」
「さあ、呼び名はわかりませんが、氾濫後の土壌汚染でこの辺りは20年以上死の森でした。川の水は流れますが、土はいけません。この辺りから5~6キロメートルは未だに人は住んでいません。ですので、我々の宿も海にでなければならないのです」
「その毒は共生者には影響ないのですか?」
「いえ、影響はありますが、急性中毒を起こさなければ回術で治癒可能です。岸についたら一応調べてみましょう」
核か化学兵器に違いないと菊池は思った。20年以上となると、核兵器だろう。しかし核分裂を起こすためにはプルトニウムの爆縮が必要だ。プルトニウムは別としても、火薬が数百年も持つのだろうか。何者かが整備したのか。
「その兵器は誰が誰に用いたのですか?」
「匙の国が、我が房の国に独立戦争を挑んだ時の話です。その戦いで、我が軍の一個師団が消滅しました」
黄持は苦々しげに答えた。『匙』と呼ばれる国は、30年経った今も、敵性国家なのかもしれない。
匙の国・・・。菊池は一度訪れなければならないと 心に決めていた。
湖を超えると川幅は一度狭くなったが、すぐにゆっくり拡大していき、遂には海に出た。
「わー、海だ!海、海!タカヨシ、すごーく綺麗!」
レイヨは興奮して沖を指差しながら、船縁から身を乗り出していた。
「おい、危ないぞ」
菊池が注意したが、彼女はまるで遠足の小学生のようにはしゃいでいた。
海に出ると船頭は、船縁に備え付けられていた艪を取り出し、船尾の穴に取り付けた。そして艪の先端を持つと、唄いながら練り始めた。艪の動きに合わせ、舟はやや捻れるように揺れながら、波をかき分けて陸に沿って進んでいったが、この舟は平水用であるため少しの波でもかなり揺れて心もとなかった。後ろを見ると、エナタは失神したように船べりにもたれかかって動かなくなっていた。
日が沈みかけた頃、海岸線に堤防と大きな倉庫が見えてきた。倉庫のそばには沢山の家があり、海側には崩れた防波堤が長く連なり、壊れた所を上手く利用して船着場に改造していた。崩れてなければ防波堤が高すぎて、舟から降りられないだろう。黄持は交易所と言っていたが、波止場には大小様々な船が係留されていた。
船着場には数名の男達が張り番をしていて、こちらに気が付くと舟の係留を手伝ってくれた。黄持の部下が話しをつけると、男達の案内で黄持は村長の所に、他の者は倉庫に向かった。
菊池たちが向かった先には大きな倉庫がポツンと建ち、周囲は小さな小屋が数十は並んでいた。倉庫は予想以上に保存状態がよく、西暦世界の面影を残していた。正面のシャッターは外され、骨組みや壁は木や鉄板などで補強されていたが、支柱やセラミックのような壁の一部はまだ綺麗に残り、菊池に郷愁を呼び起こさせた。
倉庫の中には十数戸のバラックが並び、様々な店や施設が作られていた。彼らは交易所として倉庫跡を利用しているのだ。菊地達はバラックの1つに通された。薄汚れた外見に比べ、中は綺麗に清掃されていて、10床ほどのベッドが用意されていた。宿泊施設のようだ。
「私、ここ!タカヨシはここね!」
レイヨは真っ先に中に入ると、ベッドに飛び込んでいった。




