おそるべき提案
「獣の血管を利用するのだ」
シコーには男が何を言っているのか理解できなかった。
「獣?」
「そうだ。幸いここに一体持ってきている」
仮面の男は床にある墮人鬼の死骸を親指で指差した。
「墮人鬼の死骸は簡単には腐らん。ある意味、こいつらはまだ生きているのだよ。いや、生かされているのかな。そしてその臓器を人に移植しても拒絶反応は起きない」
「なぜそんなことが分か・・・まさか・・・」
シコーは唖然とし、血液で真っ赤になった手を挙げたまま半歩後ろに下がった。
「ああ。既に何例も試されている。このことは、王宮では古くから知られていて、公然の秘密だ。王室では王の病において度々行われている」
「ですが、それはアエルのためではないですか?」
「いいや。アエルは組織の生着とは関係ない。過去に適応者に施術された例も実在するんだよ」
シコーには何が何だかわからなかった。だが、人として侵してはならない一線を超えているような感覚、嫌悪が先に立ってしまった。確かに昔、自分も似たようなことをやったことはあった。獣の血液を死にかけた兵士に輸血したのだ。しかしあの時は、それしか兵士を助ける術がなかったのだ。だがこの少年は違う。移植などしなくても命は助けられるのだ。それなのになぜそんなことをしなければならないのか?
「そんな冒涜だ・・・」
「良いのか?他にこの少年を真に助ける手立てがあるのか?貴様はさっき、『どんなことでも厭わない』と言っていたと思うが?」
「確かに言いました。ですが、それとこれとでは話が違う。第一・・・」
仮面の男はシコーの発言を中断させた。
「同じだ。同じだよ。君は妙な道徳観で、この患者を殺そうとしているのだ」
「ち、違います!命は助けられます!助けてみせます!」
「片腕を失ってだろ?それでは彼は死んだのと同じことだよ。それに、君には興味がないのか?この移植の医術的な意義に」
「・・・」
シコーは嫌悪感を感じながらも、墮人鬼の臓器を移植するという医療行為の結果に、大いに興味を感じていたのは事実だった。拒絶反応のないドナーが手にはいれば、多くの患者を救える可能性がある。しかし少年を人体実験には使うなど、犯してはならない行為だ。
「や、やってください」
その時、シコーの下から少年の、細くかすれた声が聞こえてきた。シコーは少年の顔をまじまじと見つめた。
「腕が無くなったら・・・猟りができない。僕には養う家族がいるんだ。僕を待っているんだ。僕は猟りができなければ・・・死んだのと一緒なんだ」
人間とは思えないほど蒼白になった少年は、唇を震わせながら懸命に訴えていた。シコーは少年の瞳を見た。強い意志を示すかのように、そこには複雑な色が蓄えられていた。シコーは力強く頷くと仮面の男と対峙した。その顔にはもう迷いはなかった。
「・・・わかりました。貴方に助手をしてもらいます。獣を隣のベッドに乗せて下さい」
「わかった。だが少し待ってくれないか」
そう言うと、男は扉の外に出て行った。そしてすぐに帰ってくると、後ろ手に扉の閂を降ろした。
「部下は帰らせた。このことは外部に漏れてはまずい。私も君もな」
男は仮面越しにくぐもった笑い声をたてた。
シコーは理解していた。この男は最初から全て分かっていたのだ。自分がこの冒涜的な手術を受けることを。そうでなければ、わざわざ墮人鬼の死体持参でこんな辺鄙な医術所まで来るはずがない。この男は悪魔なのかもしれないが、自分は自分のやるべきことをやるだけである。今自分が考えるべき唯一のことは、少年を必ず助けること、それだけだった。




