赤頭巾と狼の墓参り その八
最後の墓の前に立つ。
何も置かれていない墓は、周りの墓すべてが花で飾られているせいか物寂しく見えた。文字が刻まれているだけの簡素な墓だ。刻まれた名前以外に他の墓と異なる個所はない。けれど、その墓に刻まれた名前こそがソニアの目を引いた。
この墓が最後だったのは偶然か、それともクロードの意思か。
――クラリス・ルーガルー
――ラウル・ルーガルー
二つの名前が刻まれている。普段意識することは少ないが、クロードの家名はルーガルーだ。この村跡に他にルーガルーと刻まれた墓はない。
だから、すぐにわかった。きっと“クラリス・ルーガルー”はクロードの母親で、“ラウル・ルーガルー”は彼の父親なのだろう。
確認しようとしたが、墓を見ていて気づいたことがあったソニアは咄嗟に口を噤んだ。
“ラウル・ルーガルー”の文字だけなんだか歪だ。“ルーガルー”の辺りに変な傷がいくつか残っていて、まるでそう刻むことを躊躇ったように見える。堂々と刻まれた“クラリス・ルーガルー”の名と並んでいるからこそ、その違いが際立っていた。
何かあるのだろうと察せられて、疑問をぶつけることはもちろん両親の墓なのか確認することすら憚られる。
「おおかみさんのお母さんのお墓?」
敢えて父親のことには触れなかった。
沈黙が続いて、ソニアは質問したことを後悔し始める。簡単に触れていいことではないかもしれないという考えが頭にあったにも関わらず尋ねてしまった自分がひどく不躾な人間に思えた。
クロードの黒い瞳が問いかけたソニアに向くことはない。彼はただ墓を眺めていて、ソニアはただ彼の横顔を見つめていた。
「そうだ」
ややあって返された答えが一瞬なんのことだかわからず、ソニアは目を瞬かせる。自分の質問に肯定を返したのだと気づいたのは少し経ってからだった。
「クラリスは俺の母の名だ。ラウルは……俺の、父だ」
言い辛そうに告げられた言葉に、やはり何かあるのだとわかってソニアは彼の父親について尋ねるのは止めておこうと思う。いつか話してくれるかもしれないという期待だけが心に残った。
「おおかみさんのお母さん……喜んでくれるかな?」
そっと手に持っていた花を墓前に供える。いつしか握り込んでしまっていたらしい一輪だけの花束は、綺麗な赤い花に反してぐちゃっとした包装が不恰好だ。
変な意地を張らないでクロードの知り合いの魔術師に保存の魔術をかけてもらえば良かったと少しだけ思ってしまった。
「喜ぶさ。母さんが好きだった花だ」
口調は柔らかく、墓石を見つめる横顔には愛情が滲んでいる。ソニアのなかには見つからない親への愛情が。
もしクロードの母親が目の前にいたら、彼女も同じ顔で同じ眼差しを息子に向けていたのかもしれない。それを見られなくて残念だなんて考えて、そう思えた自分に驚いた。羨ましさや妬ましさを感じなかったことが不思議だ。
「――さて。そろそろ帰るか」
墓の前で手を組んで冥福を祈った後、クロードはそう声をかけてきた。……手を組んで祈っていたのはソニアだけで、クロードは墓を前に佇んでいただけだが。こっそり隣をうかがったとき目を閉じていたから、彼も両親の安らかな眠りを祈っていたとは思う。
「もういいの?」
他に何かすることはないのだろうか。墓参りは初めてだが、これで終わりなら思っていたより呆気ない。
「十分だ」
“ありがとう”と優しく頭を撫でられるが、何に礼を言われているのかはわからない。墓参りについてきたことだろうか。それなら、ここに来たかったのはソニアの方だから礼を言われることではないのだけれど。
わかりやすく不思議そうな顔をしていたようで、ソニアが理由をわかっていないことはクロードも察したらしい。くっと喉奥で笑う。
「お前のおかげで墓参りができたからな」
「……?」
「わかってないならいい」
そう言って、今度はぐしゃぐしゃに髪を掻き回された。
結局、感謝の理由もわからず、クロードの父親についても訊けずに墓参りが終わってしまう。でも、ソニアは満足していた。
来年もあると期待している。いつか彼自身の口から聞けると信じている。絶望に塗れた手はそれでもまだわずかに希望を握っていて――期待しても裏切られるだけだと知っているのに、無意識にソニアは未来に期待していた。
彼女がそれに気づくのは、裏切られないとわかったあと。
◇◇◇
クロードの両親の墓に背を向けてさあ帰ろうと一歩踏み出したとき、誰かの視線を感じてソニアは振り返った。
「!?」
墓石の後ろに誰かが立っている。さっきまでいなかったのに。ここにはソニアとクロードしかいなかったはずなのに、確かに視線の先に誰かがいた。
日が陰ってもう暗くなってきているから顔はよく見えないけれど、たぶん男のひとだ。よく見るとなんだか透けている――まさか、これが噂の幽霊ではないか。
「ひっ」
そうと気づいたソニアは、思わず声を上げてクロードの後ろに隠れた。
「どうした?」
訝しげに尋ねるクロードには男が見えていないらしい。ますます幽霊だという思いが強くなって、ソニアは恐怖におののいた。学校で聞いた数々の怪談話が頭をよぎって血の気が引いていく。
「ソニア?」
クロードが反応しないのだから彼には見えていないに決まっているのに、もしかしたらという思いを込めてソニアは墓の裏に立つ半透明の男を指差した。恐怖で声が出なくて説明できなかったというのもあるが。
やはりクロードには男が見えないらしく、困惑した空気を傍で感じる。ソニアは人生で初対面した幽霊に視線が釘付けなので彼の表情まではわからなかったが、さぞや困った顔をしていることだろう。
「……お、お、お」
「お?」
「お、オバケ!!」
ソニアは叫んだ。
恐怖小説の登場人物たちのごとく気絶でもしてしまいたかったが、ソニアが考えていたより己の精神は強靭だったようで、不幸にも意識ははっきりしていた。
怯えるソニアの背を宥めるように撫でてくれるクロードの手だけが安心材料だが、彼の目には見えていないという事実が恐ろしすぎる。なんでソニアにだけ見えるのだ。この村の幽霊なのだとしたらクロードの目に映った方がどちらにとってもいいだろう。むしろクロードにだけ見えるべきだ。別に見えていてもなんでもいいから早く成仏してください。
「ソニア? そこには何もいないぞ?」
「………………」
「何かを見間違えたんじゃないか?」
クロードの言葉に我に返った。
そうだ、見間違いだ。そうに違いない。
じっと見ているけど。向こうもソニアをじっと見つめているけど。ばっちり目が合っているけど。
「おおかみさん、だれか……」
“墓の後ろに誰か男のひとが立ってる”と伝えようとした言葉が途切れる。
さっきまで佇んでいただけの幽霊が動いたからだ。内緒にしてほしいというように人差し指を唇に当てている。
よくよく見ると、辺りは暗いし相手も透けているが、顔の判別くらいはできた。穏やかで優しそうな風貌の男性だ。困ったような、でもどこか悲しそうな表情をしている。年齢は三十代くらいだろうか。
男性がクロードに向ける眼差しで、彼がクロードの知り合いだとわかる。
マルセルのような年上の友人だろうか――と考えて、彼が立っている場所を思い出した。クロードの両親の墓の近く。今のクロードと見比べると家族だとしても兄弟にしか見えないが、恐ろしいことに目の前の男性は幽霊だ。彼が亡くなったのが村が滅んだ日なら、クロードは今のソニアと同じくらいの年だったはずで。
ラウル・ルーガルー……さん?
ソニアの心を読んだように、男性が頷く。
おおかみさんのお父さん?
今度の問いには、男性は何も応えずに黙ったまま泣きそうな顔で微笑んだ。
その容姿はどこをどう見てもクロードにまったく似ていない。それなのに、彼がクロードの父だろうと確信できたのは、クロードがラウルを父だと言ったからではなく、今日の朝に聞いたばかりの台詞を思い出したからだ。
――俺の母親は優しいひとだったが……父親は悪党だったよ。
情けなくも見える顔で墓の後ろに立つひとは、幽霊だが悪党には見えない。でも、悪いひとはみんな悪い顔をしているわけではないとソニアは知っていて、クロードの言う“悪党”が本当の意味での悪党とは少し違うのだろうとも思っていた。
「おおかみさん」
「ん?」
いつの間にか身体の震えは止まっている。あんなに恐ろしかった幽霊が今はただ悲しい存在に見えた。
「おおかみさんのお父さんは悪党だったって言ってたよね?」
「…………ソニアには何か見えてるのか?」
唐突な問いには答えず、クロードはじっと目を凝らしてソニアの視線の先を探るが、どうやっても彼には見えないようで諦めたように息を吐く。黒い瞳がソニアを捉えた。
「そうだな。俺の父親は悪党だったよ。あいつのしたことを話せば誰もが悪党だと言うだろう」
その悪党らしき幽霊は静かにクロードの言葉を聞いている。
「ラウルは弱くて情けなくてどうしようもない男だった」
母親を“母さん”と呼ぶクロードはラウルを“父さん”とは一度も呼んでいない。父だと言いつつその父親を名前で呼ぶ理由は何なのだろう。
クロードの話を聞いていると、ラウルが彼の父親だとは思えない。親しかったのだろうとわかる口調だが、父ではなく仲の良い友人について語っているようだ。
しかし、次の一言でその印象ががらりと変わる。
「でも、尊敬してた。俺はその弱くて情けない男に憧れてたんだ」
ああ、ラウル・ルーガルーは確かにクロードの父だったのだ――そう思える口ぶりだった。まるで自慢げに自分の父親を語る少年のように、多くの尊敬を集める騎士は憧れを語る。
ちらりと視線を向けると、幽霊の男性――ラウルはこちらに背を向けていた。墓の後ろにいたはずだが、気づけば前に移動していて、墓に刻まれた自分の名前を指でなぞっている。
墓前にしゃがみ込んだ背中は泣いているように見えたけれど、真相はわからない。彼の感情がわかるほどにソニアは彼を知らない。
「今考えてみりゃ騎士になったのもあいつの影響かもな」
独りごちるようなクロードの言葉にうっすらと透けた背中が揺れた。
ラウルが見えていないはずのクロードの言葉は確かにラウルに届いている。
「もし……もし、目の前にお父さんがいたらどうする?」
「ラウルが?」
クロードは少し考える素振りを見せた。驚く様子はない。
墓の前の背中は振り向きそうで振り向かなかった。だが、自分のことを話してほしくないのか、慌てたように首を横に振っている。そんな後ろ姿がちょっと情けなくて面白い。
「それは……恥ずかしいな」
「恥ずかしい?」
「いい歳して父親を尊敬してるなんて素面で言えるか。もしラウルが……父さんがここにいたら恥ずかしくて仕方ないだろう」
クロードはなんでもないことのように話すが、夕闇でもわかるくらいに彼の耳は赤かった。
ソニアに見られていることに気づいたのか、クロードは不機嫌そうに眉間に皺を寄せてさっさと歩き出してしまう。慌てて追いかけると、隣に並んだところで手を差し出された。
「帰るぞ」
「うん」
ぶっきらぼうな言葉に笑顔で返して、差し出された手をぎゅっと握る。当たり前のように手を差し出されることが、握り返してくれることが嬉しい。
重ねた手の温かさは自分たちが生きていることを教えてくれる。
村を去る前に最後に一度だけ振り向くと、ラウルがこちらに向かって……いや、クロードに向かって頭を下げていた。深く、深く、いつまでもずっと――きっとソニアが前を向いてもそれは続いているだろう。許されないことをした罪人のように。
あなたがあなたを許せますように。
ソニアが心のなかで唱えた祈りの言葉は彼に届いただろうか。
はじめは似ていない親子だと思ったけれど、自分を許すのが下手なところは似ているようだ。彼がどんな罪を犯したのかはわからない。でも、彼が許しを請うひとはとっくに彼を許しているから、あとは彼自身が彼を許すだけ。
苦しみとともに地をさまよう罪深い魂は、その罪を贖えば永久の眠りに就ける。
どうか彼にも安らかな眠りを与えてくださいと、この地を見守る神様に祈った。神なんて信じてないと嘯くひともきっと心のなかではそう願っているだろうから。




