04100.里帰り
『元の世界』の都会の夜は、思い出以上に騒がしく感じた。
奇妙な懐かしさに包まれながらも、ラグネやティアラが『石の町』と評した高い建築物の合間を歩いていく。
雨の日だからだろうか、コンクリートの匂いが濃い。
ふと見上げると、夜空は電灯の明かりに挟まれて、星が淡くぼやけていた。
しかし代わりに、降り注ぐ雨は無数の細く短い白い線となって、よく見える。
たくさんの雨粒が、道脇にある街路樹の葉に当たっていた。街並みを行く人々の傘にも当たって、足下のアスファルトで跳ねては、道路を走る車のヘッドライトに照らされながら散っていく。
どれも『元の世界』では当たり前の光景だ。だが、長らく『異世界』で生活していた僕にとっては一つ一つが感慨深くて、フラッシュバックもする。
街の匂いのおかげで、幼少の頃に『演技』の稽古を必死にしていた記憶を思い出す。
街の雨音のおかげで、全て諦めた僕がマンションの窓ばかりを眺めていた記憶を思い出す。
街の喧騒のおかげで、あの死んだように生きていた学生時代の記憶を思い出す――
と感慨深いのは、僕だけではないようだ。
いま隣には、僕とお揃いの傘を差した少女が歩いていた。
その髪と目も、魔法で僕とお揃い。
街の群衆に紛れられるように、寒色系の大きなコートなどの現代日本衣装に身を包み、変装したラスティアラ・フーズヤーズだ。
ラスティアラもビルの光、街路樹、人混み、走る車を足下も見ずに楽しそうに眺めながら歩いている。
なので、彼女には長靴を履かせていた。でないと、その落ち着きのなさ過ぎる足取りで、靴下までビショビショになってしまうからだ。
つまり、いま手を繋いでいるのは、別にバカップルを演じて潜入しているからではない。単純に、彼女が初めての『異世界』に大興奮して、迷子になりかねないからだった。
そんな僕たちが二人で、揃って落ち着きなく、この都会の街並みを歩いて行く。
二人だけなのは、ぞろぞろと『異邦人』を連れてくるのは危険だからというのもあるが、単純に用事が用事だからだった。
きょろきょろと田舎者丸出しなラスティアラは、その用事について話す。
「――ねえねえっ。カナミの両親って、どんな人?」
「どんなって言われても……。父さんも母さんも、凄く強い人だよ」
《リプレイス・コネクション》を成功させた僕は、まず両親との再会に向かっていた。
陽滝のことを含めて、色々と報告するつもりだ。
その上で、ラスティアラのことも紹介したい。
「つ、強い?」
「うん。変な言い方だけど、そうとしか言えない人たちなんだ」
「へー、強い人なんだぁ……。やっぱり、親子だからカナミと似てるの?」
「似てると思ったことは、余りないかな。顔が似てるって言われていたのは、いつも陽滝のほうだったよ」
「それじゃあ、格好良いとかじゃなくて、可愛い系のご両親さんなのかな」
僕に似てる=格好良いと思ってくれるのは、少し嬉しかった。だが、その解釈は少し違うと首を振る。
「いや、二人とも凄く格好良いよ。こっちだとトップレベルの芸能人だったからね。子供の頃は漠然と「綺麗な顔してるなー」くらいにしか思ってなかったけど、二人とも絶世の美男美女で、最高の俳優だった。はっきり言って、世界に誇るレベルだね」
まるでファンのように、僕は両親の凄さを自慢していく。
家族コンプレックスという抑えが消えた僕の早口に、ラスティアラは少し引いていたが、そのまま聞き続けてくれる。
「そ、そう……。じゃあ、性格のほうが似てないってこと?」
「性格は、どっちもクズだよ。卑怯者とか嘘つきとか色々あるけど、人間のクズって言葉が一番似合う。そんな人たちだった。……もちろん、それだけじゃないし、格好いいところも一杯あるよ」
「んーむ。やっぱり、カナミと似てるんじゃない?」
クズ=僕に似てると思われているのは、少し悲しかった。
けれど、第三者から見て、僕と両親に明確な共通点があると言われるのは、悲しさよりも嬉しさが勝った。
僕は『いないもの』ではなく、確かに息子だったと確認しながら、答える。
「本当に似てるなら……、嬉しいかな。正直、子供の頃の記憶がほとんどだから、ちょっと自信がないんだ。だから、これから会って、似てるかどうかしっかりと確かめてみるよ」
「きっと似てると思うよ。だって、血の繋がった親子だもん。私とティアラお母様くらいは似てるはずだよ」
「……いや、おまえとティアラは似てないんじゃないか?」
「似てる似てる! だってもう魂からして瓜二つだったし」
「いーや、似てないね。おまえにはティアラのクズさが圧倒的に足りてない」
「いやいや、そんなことないよ。ラグネちゃんに怒られた通り、私も結構自己中でクズなところあったからさ」
「ティアラのやつは、自己中とかクズとかいうレベルを軽く超えてたろ。ああいうのは邪悪って言うんだ、邪悪って」
「私も結構邪悪だったと思うけどなー。つい最近なんて、ほんと酷い方法で、好きな人の為に好きな人を追い詰めちゃってたし」
「…………。じゃあ、少し似てるか。本当にほんの少しだけど」
「やったね!」
共通点があることの嬉しさは、いま僕も分かったところだ。なので、余り納得はできなかったが、そのラスティアラの言い分を認めた。
――と、こうして僕たちは堂々と『異世界』の話もしながら、街の人混みの中を進んでいく。
もし魔法や異世界などの単語を道行く人に聞かれても、ゲームか漫画の話をしていると思われるだけだろう。
魔法の使用さえ見られなければ、この『元の世界』で危険はないはずだ。
もちろん、もしものときを考えて、スノウの振動魔法を込めた連絡用魔法道具を懐に忍ばせている。リーパーとの『繋がり』も新たに作っておいたので、僕が強い危険を感じたときは必ず気づいてくれるだろう。
ただ、その強い危険からの救出の際には、ディアやマリアたちも含めて総出でやって来てしまう。この『元の世界』の為にも、迂闊に危険は感じられないなと思いつつ、僕はラスティアラと歩き続ける。
そして、その足取りに迷いはない。
両親の居場所は、もう分かっているからだ。
一度、こちらでセルドラと戦ったときに、僕は『紫の糸』で地球全土を覆った。
そのとき、両親の居住地とおおよその事情は把握している。
連絡先である携帯番号もゲット済みだ。
しかし、再会が電話というのも味気ないと思った。
変にアポイントメントを取るのも、ドラマやロマンがない。
なので、とりあえずラスティアラと二人で散策を楽しみながら、両親の住む高級マンションに歩いて向かっているところだった。
『紫の糸』の情報を分析して、両親が帰ってくるであろう時間帯を狙っている――が、そう運良く時間は合わないだろう。
マンション前で待つつもりだが、何かのセキュリティに引っかかって警備員さんが出てきても困るので、どこか最寄りのお店でも入って様子を見た方がいいかもしれない。そう僕は再会の予定を立てていたのだが――
歩くこと数十分後。
目的のマンション前までやってきたとき、僕は声を漏らす。
「あ……」
運が良かった。
時間も合った。
だから、僕たちがやってきた道の反対側から、覚えのある男女が歩いて来ているのを見つけた。
雨の中、どちらも大きめの傘を差している。なので、顔が見えにくい。その上、夜だというのに暗色のサングラスまでかけていた。僕たちと同じく、変装をしているようだ――が、僕は見間違えない。
見間違えるわけがない。
陽滝のときもだったが、多少姿が変わっていても、家族ならば直感的に通じ合えるものがあった。
あと正直、二人とも、所謂芸能人特有の雰囲気のような威圧感があって目立つ。
たとえサングラスをかけていても、下半分の整った顔だけで目を奪われてしまう。
ちなみに、男のほう――父は、黒色が中心のジャケットとブランドシャツだった。何かの仕事帰りのようで、非常にフォーマルな装いをしている。最後の記憶と比べると「少し小さくなった?」と僕は思った――が、単純に身長が近づいただけだと、すぐに気づく。まだ数センチほど僕より高い父を見ながら、少し視線をずらしていく。
母のほうは僕と同じくらいの背丈だ。そして、父と比べると色鮮やかなパンツドレスファッションで身を包んでいる。髪型も含めて、やはり陽滝に似ている。だが、その立ち振る舞いは少しラグネの母親も思い出す。口元だけでも、自信に満ち溢れているのが伝わってくるからだ。
家族としての贔屓目なく、やはり美男美女だと思った。
ただ当たり前だが、いま僕が呆然としているのは、その美しさや雰囲気が理由ではない。
「あぁ……」
本当に、懐かしい。
もうどれだけ会っていなかっただろうか。
最後の別れは、確か――
千年前、『異世界』に訪れたときよりも前。
さらに、『元の世界』で陽滝と極貧生活をしていたときよりも前。
――最後に姿を確認したのは、捕まった両親のテレビニュースだったっけ。
僕が『魔法』に失敗したせいで、妹が両親の命を守るために遠ざけてくれたとき以来だ。
ずっと『元の世界』で感じていた懐かしさがピークを迎えて、思わず僕は涙腺を緩ませてしまう。
それを見たラスティアラは、すぐさま距離を取る。
「……ちょっとの間、私は離れてた方がいいね」
感動の親子再会を邪魔しまいと、気を遣ってくれた。
僕は感謝しながら、一人だけで前に歩いて行く。
正面から歩いてくる両親に近づく。
雨に濡れたコンクリートを踏みながら、傘を少しずつ高く持ち上げて、僕の顔が見えるようにしていく。
ただ、前を歩く両親はまだ息子に気づいておらず、こちらとぶつからないように少し横に逸れていき――
その途中、視線が合った。
僕の顔を見た父が、まず反応を示してくれる。
「…………、――――っ!?」
もし気づかれなくても、仕方ないと思っていた。
なにせ、大人だった両親と違って、子供の成長と変化は著しく、ほぼ別人だ。
しかし、父も僕と同じだったようで、家族ゆえに直感的に通じ合えるものがあって、その足を止めてくれた。
それに母も釣られて立ち止まり、前方にいる僕の顔を見る。
大体1016年ぶりくらいか。
もちろん、体感では数年ぶり程度だけど……。
それでも、感動の再会であることは間違いなかった。
だから、僕は言葉を選ぶ。
ドラマやロマンだけの話ではない。感極まって変なことを言うと、両親に息子だと信用されないかもしれない。なので、とてもシンプルに――
「ただいま」
そう声をかけてみた。
その挨拶に、父は心底驚く。
ただ、その隣の母は怪しんでいた。
眉を顰めながら、自らの伴侶に聞く。
「……あなた、分かる?」
流石に「誰?」とまでは言わない。だが、まだ僕だと気づいていない様子だった。
母は同性の陽滝に入れ込んで可愛がっていたので、これこそ仕方ないことだと思う。
逆に同性の父は、かつて入れ込んでいた息子に向かって、呟く。
「い、いや……、これは……。あ、ありえない……」
僕だと気づいているからこその反応だ。
すぐに僕は「本当だよ」と言うように、静かに苦笑して返していく。
子供の頃を思い出して、できるだけ卑屈っぽさを出した苦笑を心がけた。
その『演技』のおかげか、父は確信していく。
「か、渦波……。本当に渦波なのか?」
名前を呼んでくれた。
それを聞いて、母も少し遅れて心底驚いた表情となる。
続いて、父と同じく「ありえない」という顔で、呟く。
「渦波……?」
良かった。
二人から僕の名前が出てきてくれたことに、心底安堵する。
僕は『いないもの』ではないし、『なかったこと』にもなっていなかった。
つまり、あれは僕の弱い心が生み出した被害妄想が大部分だったのだ。
「うん、僕だよ。……色々あったけど、ただいま。父さん、母さん」
その嬉しさのままに、ずっとしたかった大事な挨拶をした。
ただ、それを聞く母は絶句する。
「…………っ」
ただ、父は違った。
その類い稀な頭の回転の速さで、この状況を理解して、一つの答えを出してくれる。
「あ、あぁ……。俺は、おまえの父だ。渦波、よく帰ったな……」
「……もしかしたら、行方不明の息子を騙った悪い人かもしれないけど、大丈夫? テレビやネットの情報を聞いてた誰かが、なりすましてるかもしれないよ?」
二人の資産から考えると、ありえない話ではない。
空気を和ます為にも、一応息子として心配してみたが、父は大きく深呼吸を入れてから言い切る。
「馬鹿を言うな。息子くらい、俺でも分かる。おまえは、俺たちの渦波だ」
……ああ、本当に。
帰って来られて、良かった。
そう思える親たちからの言葉は、さらに母からも出てくる。
「私たちは仕事柄、人を見る目だけはあるわ……。あなたは間違いなく、渦波よ。ただ、とても成長したわね。背もだけど、目つきと喋り方がまるで違う。少し……、あの陽滝ちゃんに似てるわ」
父に遅れて冷静となった母だが、より核心を突いた評価を出す。
やはり、二人とも普通ではない。その「人を見る目」とやらが、『異世界』ならば何かのスキルに達しているのは間違いないだろう。
ただ、その普通でない二人でも、いますぐ状況の全てを受け入れることはできないようだ。困惑しつつ、息子の僕を目の前にして、相談する。
「確かに、陽滝のやつに似た雰囲気があるな……。いや、おまえたちは兄妹だから、別に似てるのはおかしくはないことなんだが」
「兄妹だものね。でも、あの陽滝ちゃんと似てるというのは、とても……、……とても凄いことだわ」
「ああ、本当に凄いことだ……。そうだ、その陽滝もここに来てるのか? 俺の叔母を頼って、田舎の方で二人暮らしをしていて……。しかし、揃って行方不明になったと、俺は聞いていたが」
妹のことを聞かれる。
僕よりも妹との思い出が多いので仕方ないことだが、やはり両親は陽滝を中心にして話す。
ただ僕も陽滝を中心に話を進めたかったので、それは好都合だった。
「うん。その陽滝の説明を、まずしたいんだ……。ただ、その説明は少し長くなると思う。二人とも忙しいと思うけど、いま時間はある?」
陽滝だけに絞っても、話は長くなるだろう。
なので、そう前置きをしたが両親は即答する。
「大丈夫に決まっているだろう? 息子との再会だぞ? どんな予定があっても、キャンセルだ」
「ええ。どんな話でも、どんなに長くとも、必ず私たちは最後まで聞くわ」
嬉しいことに、あの両親がとても両親らしいことを言っている。
――正直、何かしらの打算や違和感を覚えなくもない。
しかし、それでも僕のやることは変わらない。
そう心に決めてやってきたのだから、この里帰りで――たとえ、どのような結末が待っていても、全て受け入れる準備は出来ている。
「父さん母さん、ありがとう……。最後まで、辛抱強く聞いてくれると嬉しいな。どんな話でもって言っても、絶対途中で荒唐無稽だって思うだろうから……。ということで、ラスティアラ。もう出てきていいよ」
そして、先んじて荒唐無稽の代表である相方を、僕は呼ぶ。
後ろで距離を取って控えていたラスティアラが、「ど、どうもー」と低姿勢で挨拶しつつ、僕の隣まで歩いてくる。
日本人めいた登場をしてくれたが、その『作りもの』として綺麗すぎる顔を見た両親は動揺する。
「…………っ! そ、その美しい女性は……」
「……どなた? とても綺麗な女性ね」
髪を染めていても、すぐに異国の者だと気づいただろう。
そして、ラスティアラが普通でないことも。
しかし、両親は「綺麗」という言葉に抑えてくれた。
それに僕は感謝して、嘘偽りなく直球に、ラスティアラとの関係性を答える。
「……彼女です。結婚を前提に付き合ってます」
ただ、なんだかちょっと気恥ずかしかったので、敬語で少し冗談めかした。
それにラスティアラも「付き合わせて貰ってます……!」と小声ながらも敬語で、同調してくれる。
当然ながら、その唐突な恋人紹介に、両親は戸惑う。
「…………っ! ま、まあ、そこまでおかしいことではないな。離れて暮らすようになってから、もう何年も経つ」
「渦波も立派な大人になったものね。……ただ、お客様がいるのなら、まずは家の中に入りましょう? こんなところで立ち話は、危険だわ」
困惑することばかりなので、休憩を入れたいというのもあるだろう。
母はマンションに入ることを、目で促した。
しかし、「危険」というのは、夜遅いからという意味だろうか? 週刊誌などの困った記者を芸能人として気にしているからか。それとも――
母は早足で、マンションに先導し始める。
その後ろに父が続き、僕が続き、最後にラスティアラが「お邪魔しまーす」と付いてくる。
その途中、自然と僕と父は隣り合う。
幼い頃と違って、もう僕は父の大きな背中を追っていなかった。
ただ、近い背丈で並んでいる事実が、どこか落ち着かない。
その感覚は、どうやら父も同じだったようだ。
二人で並んで歩いているときに、ぼそりと呟く。
「しかし、渦波……。大きくなったな」
目を細めながら、父が僕の顔をジッと見ていた。
それに僕は頷いて、呟き返す。
「うん……」
そのやりとりが、今日一番嬉しかった。
本当に今日まで色々な苦難があった。
しかし、ちゃんと成長して大きくなって、こうして父と並び歩いている。
家族と再会できたことを、心から感謝したかった。
とりあえず導入です。『世界』君についてと両親の名前は、次の話あたりで。
 




