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家を飛び出してはや数ヶ月。かつては高校一年生だった貴砂(きさ)の今の身分は、りっぱな家出娘だ。育った家から遠く離れた県に流れ、誰も寄りつかない廃屋(はいおく)に勝手に住みついて三日が経った。

一階の和室の荒れた(たたみ)の上に大の字になり、貴砂はぼんやりと天井を見上げている。自分以外に誰もいない、静かで居心地の良い家だった。旅の疲れを(いや)す休憩所にはちょうどいい。

普通人にとっては幽霊でも出そうな不気味な家だろう。しかし、貴砂にとってはそれが良いのだ。普通の人間ではない貴砂の体質に合っている。深く静かな森の中に居るかのように、心と身体の疲れがじわじわと癒される。

貴砂はひまをもてあましていた。何か目的があって家出娘をしているのではなく、自分を取りまく状況が嫌でたまらないから逃げ出したのだ。だから当てのない旅を続ける以外にやることがない。意味もなく天井を見上げるくらいしかひまをつぶす手段がない。最終目標も、お金も、希望もない、空しい放浪(ほうろう)だった。

眠気のせいでまぶたが重くなってきたころ、貴砂は不意の足音にハッとした。

上半身を起こし、廊下から届く小さな足音に耳を澄ます。侵入者はどうやら一人らしい。貴砂は心強い防衛装置を持っているので、たとえ相手が変態親父だろうと襲われる心配はない。しかし、どうしようかと迷っているうちに侵入者は貴砂の前にやって来た。

ふすまが取り払われた広い出入り口に立つのは、小学生と思しき少年だった。

畳の上に堂々とあぐらをかいた貴砂と少年の視線が交錯する。そのまま十数秒の沈黙が流れた。


「何の用?」


「…………!」


けんか腰の貴砂の声色に、少年の肩がびくりと震えた。明らかにおびえている。見た目は少女と見間違うような顔だが、中身まで女っぽい。


「お姉ちゃん、ここで何、してるの?」


「住み家にしてるの。文句(もんく)ある?」


貴砂の態度は少々荒っぽい。おどおどしていた少年の表情に恐怖の色が混じり始めた。

家出生活が長いと、自然と警戒心が強くなってしまう。他人が皆敵に見える。だまされまい、食われまいとつい身がまえてしまう。


「で、あなたは何でここに来たのよ?」


「ぼ、僕はこの幽霊屋敷がどうなってるか

気になって来てみたんだけど」


「幽霊屋敷?」


「うん。周りの家の人はみんなそう言ってる。

ここはお化けが出るって。恐い家だって」


「そりゃそうでしょ。ここは記憶のたまり場だし」


少年は首をかしげている。分からないのも無理は無かった。この廃屋に宿る秘密を理解するには特別な貴砂でなければ不可能だ。

困った様子の少年を貴砂はけわしい目つきでにらむ。「用がないならさっさと出てけ」と視線にこめているのだが、それも通じない。だんだん怒りといらだちが貴砂の胸にたまってゆく。

そんな貴砂の心情を察知し、勝手に防衛装置が作動した。首にさげ服の内側に隠してあるペンダントがわずかに発熱する。

次の瞬間、貴砂の隣に一人の女性が浮かび上がった。純白のエプロンドレス姿の女性だ。ふわりと着地するとともに、半透明だった身体が実体化する。作りものの人形のように表情がない。


「敵ですか、キサ。排除しますか?」


「いいよ、セイ。だまってて」


セイと呼ばれたメイドのような女は、貴砂に命じられた通りに口をつぐむ。それでも感情のない目でじっと少年を見つめていた。貴砂を危険にさらすような動きを見せれば、貴砂の命令を待たずにしとめにかかるだろう。セイは刃物も鈍器(どんき)も何も持っていない細身の女性だが、ボディガードとしては過剰なほどの戦闘能力を有している。

防衛装置のセイが腕を振るう必要はなかった。少年は短い悲鳴を上げた後、貴砂とセイに背を向けて逃げ出したからだ。突然出現したセイのことを亡霊か何かと勘違(かんちが)いしたにちがいない。

あわただしい足音が遠ざかり家の中から少年の気配が消えると、セイは無言のまま消えてペンダントの中に戻った。危険は去ったと自分で判断したのだ。


「なんだあいつ……」


少年が立っていた出入り口を見つめたまま、貴砂は記憶をたどる。顔も声も態度も女みたいな男の子だったなと思う。

畳にごろりと寝直しながら、大したトラブルにならずに良かったと貴砂は考えた。

豊かな社会基盤をもつ日本では、子どもはちゃんとした家に住むのが当たり前だ。だから貴砂のような家出娘は少年の目には奇妙に映るだろう。セイだけでなく、貴砂も幽霊屋敷に巣食う化け物のように見えたのかも知れない。

少年にどう思われようと、貴砂はかまわなかった。どうせもう会うことなどないのだから。貴砂は目を閉じ、それきり名前も知らない少年のことは意識の外へ追い出した。



翌日の同じ頃、また誰かが貴砂の根城にやってきた。


「こ、こんにちは。お姉ちゃん」


「……こんにちは」


せいいっぱいの笑顔で挨拶をする少年に、貴砂はため息をつきながら応える。


「で、今日は何の用?」


「お姉ちゃんに会いに来たんだ」


「早くお家に帰りな。本当に

お化けが出ても知らないよ」


いじわるに笑う貴砂に少年はおびえた顔を見せた。意気地(いくじ)の無さに貴砂はいらだったが、少年の素直な反応がどこか可愛らしく思えた。

()ちた壁に寄りかかる貴砂の斜め前に少年がちょこんと正座する。今日は腰をすえて話し合うつもりらしい。


「お姉ちゃんは何でここに住んでるの?」


「家出中なんだよ。住む場所がないから

ここを使わせてもらってる」


「どうして家出なんかしてるの?」


「…………」


貴砂は目を閉じて不機嫌に押し黙った。

子どもは聞きづらいことを平然と聞く。貴砂は大人とはいいがたい年齢だが、それでも気軽に聞いていいことと悪いことの区別くらいはつく。


「私のこの髪、目に入らないの?」


「青いね。きれいだよ」


「だーーっ! 分かってないなあ、もう!」


物分かりの悪い少年に、貴砂は瑠璃色(るりいろ)のショートカットを両手でばりばりとかきむしる。


「私は"記憶呑(きおくの)み"なの!

あなたみたいな普通の人間じゃないの!

記憶呑みの髪は青い! 常識でしょ!」


「お姉ちゃんが、記憶呑み……。

記憶呑みって、初めて見たよ」


少年は「はぁー、へぇー」と感心した様子で右から左から貴砂の髪や顔を見る。まるで珍獣扱いだった。

事実、記憶呑みという種族は珍獣に近い。世界に存在する人類よりも圧倒的に数が少なく、姿形は普通の人とほとんど同じだが髪の色が瑠璃色。そして、記憶呑みは人の記憶を喰うという特別な能力をもっている。体の代謝が遅くて、人間側というよりも化け物に近いような存在だった。


「記憶呑みは数が少ないから一族の

結束が異常に強い。

私の将来……結婚相手も、仕事も、

全部親と親戚に決められてた。

私はそんなの嫌だった。だから家出した」


「ふぅん……」


目をぱちくりさせながらあいまいにうなずく少年は、貴砂が抱える問題の大きさをほとんど理解していない。貴砂の胸にわだかまる思いはため息となって口からはき出された。


「お姉ちゃんが記憶呑み……。

お姉ちゃんって、すごかったんだねぇ」


「別にすごくないよ。ただそういう

種族に生まれついてるってだけ」


「……昨日、お姉ちゃんの横に出て

来た人は……幽霊なの……?」


「……セイ、出ておいで」


即座にセイが貴砂の前に具現化する。それを間近(まぢか)で見た少年の肩がびくりと震えた。少年はすがるようにして貴砂の肩に抱きつく。


「ご用ですか、キサ」


「別に用は無いんだけどさ、この子に

セイを見せてあげようと思って」


「私の名前はセイです。お見知りおきを」


セイは少年を見おろし、表情の無い顔のままぺこりと頭を下げる。長くつややかな黒髪が頭の動きに沿ってさらりと揺れる。

パニック寸前の少年が口を開く前にセイは消え、貴砂の胸元のペンダントに戻る。


「今の、セイって人は……何……?

人間じゃ、ないの?」


「記憶呑みの一族が作った、記憶の結晶体。

家出するときに家から持ち出してきた。

持ち運びができるお手伝いさんみたいなもん」


「す、すごい……。もう一回出してみて!」


「ヤだよ。用も無いのに何度も出したら

セイに悪いでしょ。

うっとうしいなぁ、いいかげんに手を離せ!」


肩を揺する少年に、貴砂は腕を振りはらってそっけなくあしらう。少年は「もっと見たいなあ」と赤ちゃんのように人差し指をくわえている。見た目よりも精神年齢が幼いようだった。


「ねえお姉ちゃん、名前、なんて言うの?」


「人に名前を聞くときはまず自分から

名乗りましょうって幼稚園で習わなかった?」


「僕の名前は里音(りおん)だよ。小学五年生。

少し前に近所に引っ越してきたんだ」


「私は貴砂。高校中退。現在家出少女」


「高校……チュータイ? チュータイって何?」


「知らなくていい。どうでもいいことだから」


家の呪縛から逃げるには高校を退学するしかなかった。それでも学校を途中で辞めたことは、いまだに貴砂の中で負い目となっていた。気軽にペラペラ話しすぎたと貴砂は少し後悔する。


「お姉ちゃん、僕、明日も来ていいかな?

お姉ちゃんと話すの、楽しいから」


「……来たければ好きにしなよ。

この家は私の持ち物じゃないんだし」

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