造船と航海記録
享禄五年(天文元年)の春に転移してきて、最初は竹で船を作りはじめる。
マイ船パート1、パート2、他筏を作った。
天文元年の秋にはヨット型のハーモ1号ができた。
ハーモ1号は越後の柏崎(鯨波)から小浜、丹後と、水軍衆に挨拶にまわってからは、羽茂本間家が普段使いしている。
天文二年の春に関船クラスの和洋折衷船の黄門丸と、ヨット型の助さん丸、格さん丸ができた。
天文二年、初夏に蝦夷へ。
天文二年の晩秋に佐渡に帰ってきて初冬には博多へ。
天文三年の春に佐渡に帰ってきて、ドック入り。
夏には再び蝦夷へ。
晩秋に佐渡に帰ってきて初冬には博多へ。
天文四年の春には堺へ。
天文四年の冬に佐渡に帰ってドック入り。
現在はいつでも佐渡からスコップ部隊を派遣出来るように、不測の事態に備えて佐渡と越後及びその周辺を行ったり来たりしている。
天文三年、春、関船クラスの和洋折衷船、遠山丸、大岡丸と、ヨット型の赤連丸、青連丸、黃連丸、桃連丸、緑連丸ができた。
遠山丸と赤連丸、青連丸、大岡丸と黃連丸、緑連丸は蝦夷へ。
桃連丸は佐渡と越後、越後の領地から領地への移動に使われている。
天文三年、秋に遠山丸と赤連丸、青連丸、大岡丸と黃連丸、緑連丸が蝦夷から帰ってきた。
大岡丸と黃連丸、緑連丸はそのまま博多へ。
遠山丸と赤連丸、青連丸は敦賀で荷を降ろして、台湾行きの準備をして博多から軍艦島、そして台湾へ。
天文四年、春、大岡丸、黃連丸、緑連丸が佐渡に帰還。ドックへ。
秋には蝦夷へ。蝦夷で越冬。
天文五年の春に佐渡に帰ってきて、そのまま博多へ向かった。
秋には佐渡に帰ってくる予定。
天文四年の初冬に遠山丸だけが帰還。
赤連丸と青連丸は台湾に残して、現地で活躍中。
天文五年の春に遠山丸は池田直正の交代要員の吉岡秀高が乗り込み、ヨット型のパイナポ号とマンゴー号を引き連れて台湾へ。
年内には着くだろう。
天文三年の冬にヨット型のペアリバー号とストーンフラワー号が完成。
主に相川地区で普段使いしている。
ヨット型 (ハーモタイプ)はその後も随時できてきている。
天文四年の冬にガリオット型のサーワ1号とサーワ2号ができてきた。
サーワ1号は蝦夷直行便、サーワ2号は博多直行便として使用。
天文五年、夏、安宅クラスの和洋折衷船、麒麟丸が完成。
ヨット型の玄武丸、青龍丸、朱雀丸、白虎丸とともに本格的に北前船事業を開始した。
現在は蒸気船… は鋭意開発中として、川船を色々と試作検討中だ。
普通の櫂式や櫂と帆併用のモノも作るが、足漕ぎスクリュー式のモノ、スワン式のモノ、滑車引きなんかも試作している。
それと、ハーモタイプとサーワタイプの中間の大きさで、ヨット型(竜骨船)とガリオット型(平底船)の両方で、軍用船も作っている。
船ではないが、佐渡では今、西の真野湾から東の両の津まで、レールを敷いてトロッコを走らせようと考えている。
また鉱山ではケーブルカーの開発も進めている。
レールに使う鉄が足りない。
砂鉄は蝦夷から博多、堺まで、ちょこちょこと仕入れられるし、佐渡でも少しは手にはいるが、スコップ、他農機具や諸々を作るので精一杯だ。
石炭は神屋さんが運んできてくれる。
陶石と石見のクズ石と、最近では石灰石も運んで来てくれる。
博多直行便のサーワ2号にもいつも満載だ。
蝦夷の方は石炭はトンと持ってきてくれない。
砂金少々と、砂鉄がいつもそこそこの量集まっている。
現地の人任せじゃなくて、やっぱり自分たちで内陸部まで入り込んで探さないとダメなのかな…
今、欲しいのは鉄鉱石だ。
どうせ探しに行くなら、鉄鉱石を探そう。
鉄鉱石と言われて思いつくのは釜石か秩父か…
行くならいっそ釜石だよな。
釜石って誰の領地だ?
倶知安とか知らんし… ^^;
ぇ? 揚北でも鉄鉱石採れる? ^^; ^^;




