佐渡島流し体験ツアー
佐渡に島流しにすると言われれば皆嘆くかも知れないが(事実、現古河公方もその嫡男もため息をついている)、この時の佐渡はおそらく世界一の娯楽文化都市だ。
足利晴氏も藤氏も、どちらかといえば武士と言うより公卿に近いだろう。
能舞台もあるし、歌会や茶会も催している。
佐渡に連れて行きさえすれば、きっと面白おかしく暮らしてくれるに違いない。
「領地については俺に一任してください。北条と交渉しておきます。その上で、今からならまだ海が渡れますので、ご家族、ご家臣の方々、何人でもいいので佐渡にお越しいただいて、佐渡の暮らしを体験してみてください」と俺。
「儂らも行くのか?」と結城政勝。
「結城殿も小山殿もご一緒いただいて構いませんよ。ただ、両氏はあくまでも見学、体験だけで、ちゃんと帰って来てくださいね」と俺。
そんなわけで、古河公方、足利晴氏の家族(義氏の関係者は江戸に移動)、家臣、一族郎党ひっくるめて、本間高信をツアーガイドに付けて上野から三国峠を越えて越後へ、そしてそろそろ海風が冷たく感じはじめる日本海を渡って佐渡へとお送りした。
結城政勝と小山高朝も、それぞれお付きのものを数人連れてついて行った。
梁田晴助殿には、こちらでいろいろとやることがあるので残ってもらった。
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さて、結城氏と小山氏には帰って来てもらうとしても、結構な大所帯で送り出した。
向こうでも、講師とか来賓とかやってもらうけど、やっぱりこっちでしっかりと稼いで経費を賄わないといけない。
古河で「島流し体験ツアー」の段取りをしている間に、江戸城では「新関東管領ー江戸公方」体制の大枠が出来上がっていた。
北条氏康は古河公方対策のために、江戸城を途中で抜けた小山氏と結城氏の所領については保留にして、各領主の領地を安堵していた。
古河城から江戸城へ
「結城氏と小山氏の所領は、結城城、中久喜城、祇園(小山)城、鷲城の周辺領域を残して下さい。結城城から古河城、関宿城までを行き来できる街道を整備して、街道沿いの目の届く範囲を検知して戸籍を作ります」と、俺。
「検知に戸籍ですか… それは、立ち合わせてもらってもよろしいですか?」と北条氏康。
「はい、堂々と立ち会っていただいても、風の如くコッソリと覗いていただいてもいいですよ」と俺。
「はは、小田原からおん叔父(北条幻庵)を連れて参ればよかったの。おん叔父は佐渡からの手紙を、いつも楽しそうに読んでおりました」と氏康。
「幻庵殿のことでしょうか? 是非、お会いしたかったものですね(*^^*) それで、古河から関宿は今までどおり梁田殿に管理してもらい、結城殿、小山殿と連携をとってもらいます。関宿をさらに発展させて、利根川、太日川(渡良瀬川)の水運を充実させますので上流、下流の水域の各地には川湊を設けていきます。結城領、小山領の衣川(鬼怒川)、清瀬川(思川)の河川も整備していきますので、関東はこれからおおいに賑わいますよ」と俺。
「何やら、古河公方が残るよりもこわいですな」と氏康。
「初期費用が莫大なので微々たるものにはなりますが、運上金は湊、港のそれぞれの領主にバラバラと納めますし、もちろん関東管領殿にも納めさせていただきます。佐渡の武力は守勢に特化していますので、攻めてこなければ脅威はありませんよ」と俺。
「攻めてきたら痛い目をみるぞ! と言う脅しですな」と氏康。
「佐渡(本間家)は、北条とは戦いたくありませんので、何卒仲良くしてやってください」と俺。
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北条氏康新関東管領とは話をつけて、後は三国峠から古河までの動線の確保だ。
江戸城から平井城へ
「厩橋から沼田城までの間、さらには三国峠を越えて越後までの街道を整備します。馬借、ロバ借便も増便します。沼田殿、白井の長尾殿によろしくお伝えください」と俺。
「うむ」と上杉憲政。
「厩橋から古河、関宿までは今よりも大きな川船で行き来できるように利根川を整備して、途中途中に川湊を増設します。厩橋の長野殿、総社の長尾殿はもちろん、那波殿らにもよろしくお願いします」と俺。
「あ奴らは北条方に鞍替えしておったがの」と上杉憲政。
「これからは新関東管領下で上野守護に臣従し直しましたでしょう。よろしくお願いしますよ」と俺。
「わかっておる、わかっておる」と上杉憲政。
「安中殿の方の烏川も整備して、利根川まで船の往来ができるようにするつもりですので、そちらもよろしくです。人手はいくらあっても足りませんよ」と俺。
「関東管領になってから、儂は今まで何をやっておったのかの…」上杉憲政がボソりとつぶやいた。
佐渡の多目的ホールでは、大衆向けの「歌舞伎」も始まっている。
各種興行も盛んで、最近では蹴鞠籠(蹴鞠でする玉入れ競技)が大人気だ。




