武田は相変わらず要注意だが、なんだか伊達もややこしそうだ
佐渡の新穂川(国府川)は、佐渡の真ん中の新穂の辺まで船で入れる。
川湊があるところが「船津」って地名になってるくらいだ。
これを加茂湖までつなげて真野湾と両の津を運河で行き来できるようにしようかって話が以前出たが、荷を川船に積み替えるより海路をグルっと周る方がはやいだろうと実現しなかった。
ただ、この頃の加茂湖はまだ海とつながっておらず、水位が増すと海側じゃなく内陸側にあふれる可能性が高いので、海側に抜けるようにはしようと言うことになった。
それと、徐々に徐々にだがレールも敷いており、いずれ真野湾と両の津の間に鉄道を走らせる。
佐渡の主な工事はこれだ。
酒田の北岸移設はかなりすすんで、旧市街と変わらないくらいの賑わいを見せはじめている。
最上川の川底攫え直しも進み、また川船水運も再開している。
荒川、阿賀川も復旧して、いよいよ信濃川の治水をはじめた。
俺のスマホの地図を本に描き出した地図の信濃川と、実際の信濃川の流れが違うので、地図の信濃川に合わせるように流れをかえてやる。
まぁ、この工事は一番長期工事になるだろう。
越中、信濃は防衛施設を最優先に、後は検地と戸籍作成の方を急がせている。
整備した後に奪われてはたまったもんじゃない。
結局、村上も小笠原もこちら陣営には付きそうにないので、犀川と大野川(梓川)ラインを強化して、そこから芋を中心に植えれるものを全部植えておこう。
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天文十一年 春
武田晴信(信玄)は甲斐を掌握しなおし、田植え前には去年まで佐久、小県を共に攻めていた諏訪氏を攻めた。
武田と諏訪は、元々敵になったり味方になったりの間だ。
田植え後にはその諏訪氏を滅ぼし、さらに同盟関係にあった高遠氏とも開戦し、諏訪から高遠氏を追い出した。
小笠原氏は安曇野方面に向かってくることはなく、諏訪氏、高遠氏に加勢することもなく、ただ武田の勢力が諏訪に広がるのをみていただけだった。
村上氏も今年は北信濃に仕掛けてくることはなく、小県攻めを開始した。
一方関東でも、北条氏綱が亡くなり嫡男の氏康が家督を継いだ。
武田家と北条家が同時期に代替わりを果たしたことになる。
山内上杉憲政《関東管領様》は、ここぞとばかり北条に攻め込もうと画策したが、扇谷上杉との足並みが揃わず、古河公方は北条方につき、小弓公方を復活させようとした安房の里見が北条と対立していくことになる。
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さらにきな臭いのが伊達家だ。
せっかく荒川を遡上って行って越後ー米沢間の物流は盛んで、鷹巣の歓楽施設にも米沢方面からかなりのお客様がお越しになっているようだったのだが…
婚姻・姻戚外交で奥羽の覇者になろうとする当主の伊達稙宗と、その強引な手腕に辟易とする家臣との間で内輪揉めが始まった。
桑折氏や中野氏ら伊達家の家臣団は、嫡男伊達晴宗を担いで謀反を画策しているようだ。
稙宗は跡継ぎのいない上杉定実(越後並びに信濃半国守護様)にも養子を出そうとしたが、これは虎千代(景虎)を先に養子にすることで回避した。
こちらに火の粉が飛んでこないように、何とか関わりにならないように過ごしたいものだ。
地理的に揚北が近いので、くれぐれも加担しないように釘を差しておこう。
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去年までは吉田郡山城を尼子に攻められていた毛利だが、今年は逆に尼子の月山富田城を攻めている。
毛利元就はかなり筆まめなようで、書状を出すと必ず返事が返ってくる。
「石見銀山と隠岐をくれるなら尼子攻め手伝うよ」
「隠岐はいいけど、石見銀山はダメ〜ぇ」
「なら、月山富田城を攻めてきても邪魔しちゃうよ」
「邪魔しても毛利が勝つもんね」
「山陰制覇したら仲良くしてね」
「じゃあ邪魔すんなよ」
「あっ、そうそう、陶には気をつけてね。あいつ謀反するから」
「あぁ、あいつはやりそうだ」
みたいなやりとりをした。
そんな中、但馬の山名氏が石見銀山まで灰吹法の伝授を依頼してきたらしい。
神屋さんと組屋さんが「生野銀山って聞いたことがあるか?」と俺にきいてきたので、「あるある、有名な銀山だ」と教えておいた。
石見銀山みたいに「クズ石」を運んできてくれたら嬉しいけど、生野銀山って兵庫県の内陸部の山の中か…
運搬経費かかるから採算あわないかな(;´∀`)




