第〇〇九二話 千里眼さえ予想外だった急襲
(─ 失敗した ── 。考えて行くべきだったなぁ)
しかし、あれは仕方がない。ちなみにラーゴは、ユスカリオに身体を洗われすでに飼育小屋の檻内にあった。もちろん結界に包まれたラーゴは、そのリセットにより汚れや血痕も一瞬で消せる。いや自分はミリンを守ったり、自分の声を響かせたりしないよう張った、結界の内側に常にいた。だからほとんど地肌は、汚れてなどなかったのだ。
だが、勝利宣言に「ら~~ご」と鳴いたのを聞いたミリンが、思い出したようにラーゴに飛びついて抱きしめた。実のところ一瞬、本当は忘れていたのだと思うが、それで彼女の受けた血しぶきを遷されてしまっただけである。
そのときだった。
「ラーゴ、なんてかわいい子でしょう! あなたのおかげよ。あなたはきっとわたしに力と幸運をくれる、奇跡の珍獣なのね!」
そうだ。初めて会ったあの日のフラッシュバック ── 。偶然にも、まったく同じ言葉が強い感情を込めてかけられる未来、それを千里眼が見せてくれた事実だったのだろう。
そう考え、今日の事件を起こるべくして起こったこと、とあきらめた。そして自分が作った不都合を不可抗力と反省しつつ、しばし事件の一部始終を振り返るラーゴ。
ユニトータが高原球技場を襲ったとき、最初に言った『これでもシンジケートのほうの主力は、ほとんど手伝いがなかったんだぜ』の意味は、そういうことだったのだ。とにかく油断していた ── というより、いきなり殿下の命を狙う不埒者が登場するなんて、思いもよらなかった。
ボールの飛んで行く場所は物理的に予測可能であり、一度きりとは言えミリンが繰り返し放った、強い感情の言葉に対する逆既視感もある。だが脈絡なく起こる事件の予知は、千里眼の範囲ではないらしい。
そう考えながら檻に戻されたラーゴは、今日の出来事を想起していく。
たしか突然、考えごとをしていたミリンが尋ねてきたところからだ。
「 ── ラーゴはどう思いますか?」
と言われても、答えるわけにはいかないと感じながらラーゴは、心ここにあらずだった。両足蛇を逃がす算段に悩まされつつ、鹿車でようやく外壁を抜けたラゴンたちが、屯所で登録するほうに気を取られているからだ。もちろんタオの組織で働く、従業員としてである。
そのときもっとも真剣に、対応しなくてもいい相手がミリンといえた。
「しかしミリアンルーン殿下。どうしても娘に言わせると、年齢の近い後妻というのは評判が悪いものです」
ヨセルハイ第一部隊司令官が、話し相手を代わってくれたようだ。それには同感だが、そう言われてみて初めて胡散臭い女のような気がしてくる。まず、ハーンナン公の邸宅内に、怪しい人物がいるとは思っていなかった。とにかくラーゴは、両足蛇の国外脱出に思いをはせる真っ最中。同時に、あのゴルフ場での戦闘のすぐ後で興奮さめやらず、心を読むことも思いつかなかったのだ。
しかし、ミリンからの話は何だったのかと心を覗くと、『自分の心をわかってくれている』などと思い浮かべていた。見透かされたのかとドキッとし、それからは見ないよう心がける。
きっと先ほど侍妾と交わした、麻薬の話を考えているのだろう。
(─ たしかに麻薬でもないとやってられん、みたいな話をする女だったなぁ)
まだおそらくナツミくらいの年恰好だったのに、スレた侍妾だと思った。よくあんな侍妾を、頭脳戦士 ── ハーンナン公も連れまわっているものだ。高原球技場で回った貴族が噂していたらしいが、できる男の、弱点を見たような気さえするラーゴ。
その後市民のいざこざを避け、迂回して渡ろうと道を変えた先の堀橋が流される。そして周囲の家が爆発で崩れ、初めてラーゴはこちらに意識を切り替えた。千里眼で周りを見ると、敵の山。殿下が襲撃されたのは一目瞭然だ。急遽、ラゴンが人混みに知り合いを見つけたと、ミツに言わせてタオたち一行から離脱させた。もちろん、こちらへ急行させるためである。現在ラーゴの周りにいるのはクラサビと不屈の精神・ナナコの二人。ナナコはレオルド卿邸でしっかり挨拶できなかったあげく、ラーゴに近づいて潰されそうになったらしい。しかたなく行列の後ろに、ふらふらついてきたようだ。
「いったい、何が起こっているのですか?」
ヨセルハイが説明する内容は、ラーゴからするとやや楽観的なものに過ぎる。ここにはミリンを狙う、シンジケートの主力がいると確信した。しかしなぜだ、という疑問が残る。もともと狙われていたとしても、予定が在って無いようなミリンの動きが、なぜ正確に見抜けたか?
「殿下が狙いと思いますが、友軍はすぐに参ります。蹴散らして見せますよ」
そんなふうに豪語するヨセルハイは、死亡フラグワードを残して惨敗して行く、雑魚キャラになりそうな予感がした。供回りの兵士にキャリッジが持ち上げられ、路地脇に運ばれているのがわかる。だが取り巻く相手には先ほど戦った、麻薬強化人間が複数いて、魔法銃も多数あるようだ。マーガレッタやゴードフロイ無しで、相手ができる気がしない。
ラーゴがそう思った瞬間、複数の破裂音 ── 銃声が響き、外の兵士がすべて倒された。全員が絶命したわけではないものの、ほとんどが動けない深手に違いない。残りはヨセルハイのみ ── と、正確にはカゲイの配下、影鍬であろう二人の女性が隠れることも、ラーゴは認知していた。
そうこうするうちにヨセルハイの指示で、ミリンがキャリッジからラーゴも連れて出て行く。ラーゴがミリンを護るために手放されないよう、必死でしがみついたからだ。一人だが、中にいるのはおそらく主力の敵である。それは周囲の異変に身をすくめるでもなく、悠々と獲物を待つ大男の姿が透視できて、ラーゴは確信した。今、ミリンのそばを一秒でも離れるわけにはいかない。
(─ ミリンだけは正体がバレても、結界で守ってあげなければ)
と思うラーゴはすぐ、いざというときのためミリンに結界を張った。自分と違ってミリン自身に気付かれないよう、また呼吸に問題ないように気を使っておかなければならない。
案の定、待ち伏せされたようだ。
この短い時間にラゴンはすぐ近くまで駆けつけ、一緒に来ていたヤヤだけが、単身ラーゴのところまで飛んできて耳穴に入った。
{主様。時間遅延のヤヤです。ミツにエネルギーは十分もらいました。いつでも発動できます}
{了解、こっちでもよろしく頼むよ}
小さな羽音がしただろうが、だれもそんなことに目もくれない。しかし早々にラゴンが到着したとはいえ、一品もののゴルフ道具を武器に、顔を晒して人前で戦う姿は見せるわけには行かなかった。崩れた建物の近くにはやじ馬が集まってきており、銃と矢の打ち合いも始まっている。ゴードフロイやマーガレッタが来れば、ラゴンの顔に見覚えがあるだろう。
ヤヤに時間遅延を発動させ、周囲がスローモーションになる。
落ち着いたラーゴは、一計を案じた。ラゴンに、フルプレートの鎧を着せればよいと。だがフルプレートの鎧など、今からどこへ、もとめに行く暇があるというのか。とてもすぐの間には合わないと感じたが、脈の通じたところならどこでもアクセス可能だ。つまり昨日見たばかりの武具宝物庫にはフルプレートくらい、いくらでも飾ってある。
しかしあそこにあったのは、百戦錬磨の大人の戦士が身に着けていたものばかりだ。成長途中の青少年体格である、ラゴンが身につけてもブカブカでない鎧といえば ── そう、唯一『建国伝説の武具』だけだった。あれならちょうどラゴンのサイズであったし、結界で守っておけば、傷一つつけずに返却できるだろう。
幸いなことに、あの展示間近まで聖泉が引かれていた。聖霊の小銭倉庫同様、たやすく取り出せるはずだと考え、ラゴンを人気のない路地へ潜ませ、情報隠蔽結界で包むと実行にうつす。
その一瞬、気をそらせた間に複数の銃声が響き、ミリンの目の前で影鍬の一人が盾になって沈んで行く。
ミリンの全身を包むよう、結界だけは展開したので安心していたが、こんな状況は予想外だ。あわててその結界のうちに彼女も取り込むが、単に噴き出す血で、ミリンの地肌を汚してしまうことになる。しかたなくミリンの表面と影鍬には、別々に結界を張り直す。
二発の凶弾に倒れた影鍬の、まだ息があることを確認したラーゴは、クラサビにナオミを呼んでもらうよう、指示しておくのだった。




