第〇〇〇二話 レアな冷血獣(ヘテロサム)
ずいぶん女殿下に遠慮があるのはわかる。あるいは後ろに立つ、数人の護衛兵士たちの威迫にやや気圧されてかも知れないが、男は言葉を選び、考えた末に発言した。
「そ、そうです。ですが、まさか殿下のお目に留まるとは思いもよりませんでした。こ、この、種類は ── や、やつら、魔族がよほどの祝宴をひらく際、特別に、どこか遠い場所。そ、そう、たしかはるか南方、アファーの大森林の奥あたりから、卵や新生態でとらまえてくる食材でございます。わたくしめも生体を手にするのはこれで三度、いえまったく同じ個体は二度目かも知れません」
きわめて怪しい態度だ。急に思い出したような『アファーの大森林の奥』という部分に、いささかの自信が見られた程度であろうか。
── それはたしかにそうだった。間違いなく自分は、食べられかけたはずだ。
しかも、男の言葉から自分と同種の一、二匹は、すでにこの男に美味しく盛り付けられている。そのとき『よほどの魔族の祝宴』なるものを、盛り上げる肴となる末路も類推できた。
「グレートリフト大峡谷の入り口の ── ヨミノクニですか。ここでは近隣国にすら、冷血獣はきわめて種が少ないですからね。きっと南の国には、さまざまな種がいるのでしょう。リムル、もしかすると大峡谷には、本当の龍も生き残っているかも知れませんよ」
「そんなもの蛇竜や、鰐竜といった、意味のない翼がついただけの偽竜ばかりです。神話に語りつがれた、天駈ける真龍など、もはやおとぎ話にすぎません」
どうやら、女殿下は冷血獣というジャンルのマニアらしい。リムルと呼ばれたメイド長は、下手に同意すれば自ら探しに行きそうな、女殿下の『野望の火消しに躍起』といった様子が窺える。そして自分はその冷血獣の中でも、とくにこの地で珍種または希少種と評価されていることを、『それ』 ── すなわち珍獣は自覚した。
自分が真龍とかでないのは了解したが、絶滅種の姿を彷彿とさせる、遠いどこかから連れてこられた、きわめて珍しい冷血獣なのだろう。ここで重要なポイントは、この女殿下が『食べるマニア』か、『かわいがるマニア』かということだ。同じ ── 愛好家といっても、その対象となる自分にとって、そこには天国と地獄ほどの差があった。
しかし ── 珍獣は思う。この変なトカゲは何のために、遠方からここまで連れてこられたのだろうか ── と。
(─ ちょっと待て、魔族の下僕だった浅黒い男が、自分を『食材』だとか言わなかったか?)
珍獣は、周囲の会話の意味するところを反芻してみる。何よりもありがたいのは、最初に目覚めたとき、自分を食べようと叫んだ『やつら』 ── 魔族が、ここにいないと思われることだ。
「でもあそこはマーガレッタが、大昔から龍人の国の栄えたあたりだと教えてくれましたよ。えぇと、そなた。ユスカリオと言いましたね。そなたは、この珍獣の種類をなんと見ますか?」
下僕だった男の名前は、ユスカリオとわかった。
(─ 魔族の、まかない方下僕をしていたというユスカリオが公言してるんだ。だからそいつらが、自分を食べるつもりだったのは間違いないだろう。ともあれユスカリオたちの会話は、今から自分を捌いていただこうっていう内容なのか?)
万が一これが夢なら別にして、自分が食材だなど、とても笑えない冗談だ。自分を珍味と見做すのが、『やつら』と言われた魔族たちだけで、今はそこから救い出された、ということならたいへんありがたい。
だが、自分の気味の悪い見た目では、そんな都合のいい話になりそうな気がしなかった。珍獣はかなうなら、現在周りを囲む人間たちには『珍味』としてなど、自分が期待されていないことを祈るばかりである。
「は、はい。顔こそは、鰐竜の新生体のようですが、蛇のように長い体でございます。さしずめ、先ほどお名前の出ました、羽蛇とも言われる蛇竜と、なにかの鰐種の混血種ではないか、と思われますが ──」
ますます、ユスカリオの言葉には自信がない。
(─ しかし自分はそんなにレアな固体なのか?)
「マーガレッタによると、彼女が対峙した龍はもっと凶悪な爪や牙を持ち、棘のある尻尾と、その身に余るコウモリの翼。何より、血は熱湯のように熱い種族だと聴きました」
珍獣は目を凝らす。といっても、自分であるらしい獣は目を閉じたままであり、夢のように見える映像は、ズームアップをしてくれるわけでもなさそうだ。
「たしかに、こちらには羽のようなものはありますが、飾り程度で、とても飛べる器官ではありません。四つ足とは申せども、これほどの体の長さを支えられるとも思えず、蛇同様に動かなければならないでしょう。もちろん ──」 と言いながら、ユスカリオが自分の身体の下に手を入れて触ってきた。「 ── このように、冷たい生き物でございます」
(どうも自分は、体の不自由な生き物のようだな。移動には慣れが必要かも知れない)
そんな話を聞きながらも自分 ── 珍獣は、なお、意図的に寝たふりを続けている。それは、もしご馳走が下手に動き出したら、逃走を心配した者によって、とどめが刺されるかも知れないと危惧しての配慮だ。そのため、開眼して首をひねり、じかに自らを視認することもできなかった。