第〇〇三五話 相続者(インヘリター)、異世界の知識を継ぐ者
その後オンゴーストから、相続者と呼ばれる存在について語られる。それはヒト社会での理解がそれぞれであり、とくに教会勢力の下で、あまり歓迎されていないという内容だった。なぜなら相続者に、この世界での人生を仮りのものと思い込む者が多いことや、概して宗教心が薄弱であるためらしい。さらには教会勢力も、他世界の理を受け入れようとしない頑ななところがあるから、と説明される。
ラーゴの記憶に残る歴史においても、誤った迷信や、支配層などがでっちあげた訛伝が支配する、古い歴史を持っていたはずだ。信仰上の理由からも、科学技術の進歩が阻害されたと思い起こされた。これがつまり、別の世界における人生を全うし身につけた、相続者の智恵というものなのだろう。
「すいません、でも、オンゴーストさんの言われた通り、ボクの知識にはきっと、そういう云われない既成知識が多いんです。だから何か思い出すことで、アレサンドロさんの蘇生に役立つようなら、お手伝いさせてください。実際、アレサンドロさんとは面識もないんですが。妹のミリンさんにはとてもかわいがっ ── いえ、強い結びつきを感じ、たいへん親しくしていただいてるんで。できればこのままずっと飼って、 ── 一緒にいられたらと思ってるんです」
ペット丸出しに、かわいがられているとか飼ってもらえると言うより、こう言っておいたほうが、正体はばれ難いかも。そんなふうに配慮した発言だった。とはいえこの姿を見た彼らが、もしもミリンの趣味を知っていれば、自分の身分など容易に想像できてしまうだろう。強い結びつき、というのはこちらの勝手な話だが、ミリンや陛下と対峙したときだけ、特別に感じられる近親感のことだ。
「そうか、それは心強い。アレサンドロが復活される最後の望みとして、我らは貴殿にすべてを託す」
チーフゴーストが再びラーゴに向かって、責任重大な意味の言葉を軽々しく口にする。
「いえ、ボクもできる限りのことはやりますが、保証はできません。すべてを託されても、ボクはきっと医者や薬剤師の知識を持っているような気もしませんから ──」
と言ったものの、実際別世界から引き継いだ知識とは、何なんだろうかと思うラーゴ。
(─ 一般常識ではない、自分の特異な知識といえば ── そう、呪文暗号!)
オートマトンに組んだあの知識は、もしかすると魔族の持つ教養ではないのかも。ラーゴが相続者として引き継いだ、人間の職業とかに関わるのかも知れない。あのとき、プログラムの解析やドキュメント化のプログラミングがしたい、と思ったのもそうだ。そんな処理が好きだったか、本職、あるいは得意とした者の記憶を引き継いでいるのだと感じるラーゴ。
「オンゴーストさん、そんな記憶を継ぐ人って、だれでも魔術の呪文暗号を書けましたか? ある程度の ── 何十行もあるやつです」
「いやあ。我の記憶によれば、簡単な呪文暗号を説明して理解できた者が、散見された程度ではないか」
「そういえばオンゴーストよ。どこか他所の国の昔話で、この世界の魔法道具に呪文暗号を埋め込む技術がなかったころに、そのような相続者が生まれ落ちた。しかもなにかの事故で若くして亡くなってしまったということが、語り継がれていなかったか?」
「ロンロンガゴーストくらいにしかわからぬ、はるか昔の逸話じゃな」
「やつは起こすでないぞ。もうあの年齢であるからな、しばらく眠りについたままだ」
「むろん、心得ておる。 ── 実際この世に偉業を残したわけではないので、その力のほどはわからんな。まあ魔法や魔術といえども、詰まるところは同じモノじゃ。それほど高度な呪文暗号を書けるまで、才のある者などどこにもおらぬ。すでに公開された簡易な呪文暗号が読め、理解できるだけで、今の世なら偉大な魔法使い、いや魔法述師と名が響き渡るじゃろう。自身で気づかなかった以外は、ペスペクティーバなどの耳に入り、我らも聞き及んでおるじゃろうからな。貴殿はあの呪文暗号がもしや ──」
問われて、思わず答えるラーゴ。
「はい、スラスラに近く ──」
「理解できるのか!」
絶叫したのは、黙って聞いていたペスペクティーバである。あわてて謝るラーゴ。
「す、すいません」
「あなたさまは、おそらく魔法の神髄を究めた、大魔法使いの智慧を継ぐ相続者に違いありませぬ。どうか、あなたさまを尊師と呼ばせてくださいませ」
ペスペクティーバは、小さなトカゲに土下座して頼み込む。呼ぶのは勝手だが、何か『らしいこと』のできる気はしない。とりすがるペスペクティーバに、オンゴーストの達観した声がかかった。
「謝ることはない。ジーペンの出自を持つ、相続者の智恵とはそうしたものじゃ。ペスペクティーバ、いまさらうろたえるな」
助かったのか? しかし、ラーゴは思う。
(─ だめだ。スラスラ書けるようになったとは、言えなくなった)
「しかも、呪文暗号のほとんどは、奥義であるがゆえ、作者によって隠蔽され、解読の前に複号がほぼ不可能」
(─ あっそれ ── 複号も、千里眼でできちゃってます。ごめんなさい)
チート、とかいう言葉が浮かぶ。あまり明確な定義がわかるわけではない。だがゲームで規定外の超設定や、隠しコマンドで強化するなどの『ズル』を言った言葉と思われた。
「ペスペクティーバは羨ましがるが、結局、呪文暗号の読解力など備えても、宝の持ち腐れでしかないということよ。聞けば魔法述師としてモノになるには、ある程度読めるようになって後、読解力習得にかけた倍以上の期間が必要ともいう」
つまり相続者だからといって、いちいちそうした能力があるのか調べてまわる必然性もない、とオンゴーストはほのめかしているようだ。
「たしかに、オンゴーストの言う通りじゃ。第六階位を超える、複雑な魔術道具の複製には、ドワーフに練らせた道具に神器を使って、すべての呪文暗号を複写する。そのとき一時遷された神器にも、さらに写し終えた道具でさえ、呪文暗号を見ることは出来ぬ。そうした奥義も使えぬ魔法使いに、呪文暗号を読む能力は無用であろうよ」
どうやら呪文暗号解読能力については、うやむやになりそうな雲行きである。それでもペスペクティーバの尊敬の眼差しといえば、ラーゴの結界を越えて刺し貫き、弟子入り宣言の撤回には、向いていくきざしはない。
「なぜ、魔法使いさんたちは、その神器が使えないんですか?」
ラーゴは、話を変えたい一心も手伝って、つい興味本位から新たな疑問を投げかけた。
「その神器はペイストボウドという古代魔法の遺物でな、数はたくさんある。しかし我らが何人も触媒となり、大量の龍脈の力を流し込んで、初めて使える、とてつもなく効率の悪い道具だからじゃ」
「おお、オフィサーどのなら、いくらでも動かすことができるであろう。己が身に脈を備える者よ」
そうだそうだと周りで声が上がるが、その実、あまり誉められている気がしなかった。どうもそれなる神器を使用する機会が、彼ら聖霊の時間感覚をあてはめても、ほとんど巡ってこない、希有なものだからではないか。もし、ラーゴの体内に秘める脈があったとしても、それは魔脈だろう。そんなもので『神器』が動くかどうかは、やってみないとわからない。
(いや、魔法使いも魔脈っていってたか?)
「じゃ、じゃあ、聖霊さんたちは、ドワーフさんたちとも知り合いなんですね」
「ほっほう! 知り合いといえば、知り合いじゃがな」
にわかにオンゴーストが、やけにバカにしたような口振りになる。どうやら他の聖霊たちの様子から、大きく違わない意見を持っているようだ。
「あやつらは、我ら聖霊から別れた下級種族でな。我らに従属し、こちらが与えた鉱物や金属が無ければ、ものづくりをするなど叶わぬ夢。ものづくりができねばあやつら、ヒトの作った酒が手に入らん。だから我らには、絶対服従しておるのだ」
なるほど、とラーゴは頷いた。ラーゴの既成知識でも、地下資源のあることは、国としてかなり優位であると知っている。いつものごとく謎ワード、『オイルダラー』とか『レアメタル』といった言葉が、断片的に浮かんでは消えていった。
「あ、あのう、で、アレサンドロさんのことは宿題にいただくとして、もう一ついいですか?」
ペスペクティーバ、オンゴーストさらには、チーフゴーストが乗り出すようにラーゴの質問に聞き入る。
「人間の生体呪文も、呪文暗号で書かれてますよね?」
「エー!」