第〇〇一五話 アネクドート・武具宝物庫支配人ゴール
本日、昼食時間を終えて数時間が過ぎたころ、突然ミリアンルーン殿下と、王室近衛隊のマーガレッタ隊長が来館された。
しかも通常には公開されることのない、王家の秘宝と言われる武具が収納されている展示室を、どうしてもご覧になりたいという。ゴールは静かな読書の時間を中断させて、対応に立ち上がった。
受付した係員の話によると、新しい冷血獣を飼うことになったので、殿下自ら王城の中を案内されているようだ。ゴールが武具宝物庫支配人たる職責を受けて一年足らず。その間はもちろん、聞いた話でも予定もなく、武具宝物庫を開けるなどは、突然国賓級の来客でも来訪しない限り、例を見ない。
されど、ことは次期国王ミリアンルーン殿下の命令によるものだ。忠を重んじる王国臣下である限り、例外中の例外に、これを曲げて対応しなければならない。
そうはいっても、このようなケースが前例となるのは、名誉ある武具宝物庫支配人として認容しがたい屈従だ。そこで、支配人が交代してまもなく一年。展示室の管理状態の査察を受ける意味から、殿下と隊長に対し『宝物庫の開帳とともに行なう管理状況の説明』というたてまえをとる。こうして武具宝物庫を特別に開帳する体裁だけは、なんとか保たせてもらった。
「ここに展示されております武具は、王国の宝物庫に収蔵された中から、一級の品を集めたものばかり。ですから、盗難防止には最大の注意を払い、不要不急の公開を控えたうえ、通常扉に二重の錠前がかけられ、誰も入ることは出来ません。わたしどもがこの職について以来、当日の管理責任者の鍵と二つが揃わなければ開かないように運用してまいりました。もちろん、魔族対策と展示品の維持のため、聖泉から引き込んだ配管で、各展示物へ、常に聖脈の力を届けるよう配慮されております」
「そうでしたか。昔とは違うのですね。本日は予定もとらず、特別に開帳していただき、たいへん手間をかけました」
いやみを言ったつもりはないが、いささか癇に障ったのだろうか、こちらの言い分に妥当な返答も返ってくる。ゴールの就任以前に、記録には残っていない侵入事件があったらしく、二年前からこうした管理に変わったことに言及されたのだろう。
しかし、さすがに才媛と聞こえが高い、ミリアンルーン殿下である。無理を押し通す一方、ねぎらいの心は忘れないとゴールは、まだ成人の儀も迎えていない王位継承最有力者に舌を巻いた。
展示室で説明しなければならないトピックスのすべては、ゴールの頭の中にある。ゴールはそつなくその説明を行ない、いよいよ最重要展示、王国建国の『伝説の武具』を紹介することとなった。
もちろん説明しても意味のわからない、主賓のトカゲさまは殿下の腕の中で熟睡状態だ。
「これが王国建国の伝説でうたわれ、語り継がれてきました勇者が身につけていた、と言われる神の鎧と聖霊剣。もちろんご存じのことでしょう。王国民なら知らぬ者がない、かの伝説由来の逸品でございます。さて、恐れ多くも初代マリンバ王が、ご神託を受けたガニメデの聖泉探索に、王女殿下マリンバ二世を伴いこの地へ入られたとき。現在の中庭を覆う森で、お二人がそれぞれ護衛とともに散策しておられました。だが突如、晴天であった天空がにわかにかき曇り、上級魔族と使い魔五匹が王女マリンバ二世の汚れない処女の魂魄を奪わんと現れます。天変地異も操る魔族は山を崩し、マリンバ王本隊からの援護は近づくこともできません。しかも矢のように襲う毒牙に護衛の者は次々と倒れ、残る戦士は近衛副隊長と次の使い手となる女剣士の二人のみ。この二人を使い魔五匹が封じ、あわや王女マリンバ二世が、上級魔族の毒牙にかかるかと思われました。ですが期せずして、王女の足下に倒れ伏す兵士の手を離れた槍の刀身へ、割れた雲の隙間から強烈に差し込む、一条の光。その照り返しを受けて、一瞬ひるんだ魔族は後ずさりします。さもありなん、輝きは神よりもたらされた恩寵であり、光に包まれて天から遣わされ降臨した勇者のもの。すかさず、マリンバ王女の前に立ちはだかった勇者の揮ったのは稲妻剣・ライティンブレード。みごと上級魔族の胸に大穴を開けて滅ぼし、続いて剃刀剣・シャープソードで、五匹の使い魔を次々に切り倒して行きました。最後に残ったのは、他の護衛たちに毒牙を浴びせた魔族の一匹。同じ攻撃が繰り返されますが、加護の与えられた神の鎧には、一片の傷をつけることすらできません。ついには味方の兵に討ち取られた、と伝えられております」
「お見事です。難しい槍光臨毒牙撃退譚をそれほど簡捷に……」
はからずも殿下からお褒めの言葉を預かった。何度も練習した成果により、数ある伝説種の中でも、もっとも盛り上がる話種でさえ講談師のごとく、流暢に話せるゴールである。
もちろん王国の英雄譚好きにはかなわない。だれでもそれ以上細にいる挿話付きや、とくに王女マリンバ二世が危機に陥ったあたりからは、謡曲でも諳んじることができるはずだ。
実際、この話種で用い謡われる歌詞では、槍の折れた刀身先端だけが足下に落ちており、それを王女が拾い上げる様子もうたわれる。続いて敵に抗して掲げる下りがあるのだが、今回そこは略させていただいた。
聖堂の主催する教室では、そこが『神は自助を怠らぬ者にのみ、救いの手を差し伸べる拠り所』と教導するための題材とされる。
魔族の襲来を疫病や飢饉、あるいは自然災害に模し、各家庭で備えに手を抜かないよう戒めるものというのも心得てはいた。しかしながら、本日のお相手は、両者とも敬虔な教会宗徒だ。
殿下はオンドーリア大司祭の直伝を受けた家庭教師勢から、幼少より英才教育を与えられたと聞く。ましてやお聞かせした英雄譚の華 ── ヒロインの直系に対し、説教じみては不敬にあたると判断しての割愛だった。
されど父君の影響もあってか、話種の名を言い当てられたことからも、そのあたりに精通されているというのは計り知れる。
「それなる伝説は、王国において近衛隊のお役目を拝命すると決まったとき、先代の近衛隊長様から伺いました。しかもさきほどの倍以上の時間をかけ、間に謡も交えてご教授いただきましたが、事件の後、勇者様はどうされたのですか?」
「マーガレッタ。伝説はそこまでで、その後日談は諸説あるらしいのです。あるいは光とともに天に帰られたとか、ガニメデの聖泉に導いて、護衛たちの毒牙の傷をいやし、聖泉に沈んで行かれた。そんなふうに伝えられていますわ。あと他にもありましたね、ゴール支配人」
「はい。マリンバ王女とご結婚されたというお話も残され、王都の子どもたち、とくに女児にはこの逸話がもっとも評判がよろしいようで。いや、おそらくそれについての文献は、王配 ── タンノワー候が、王国一の収集家であるとお聞きしております」
「たしかに、ときの王女とご結婚されたというならわかります。でもそうでないなら、どうしてここに神の鎧と聖霊剣があるのかなどと、訪ねられませんか?」
なるほど、これを証拠に殿下も結婚説に持って行かれたい口かも知れないが、残念ながらここは真実を曲げるわけにはいかない。
「ミリアンルーン殿下。たしかにこの武具は、王国最高の秘宝と云われるものであります。ただし残念ながら、広く認識されておりますとおり、これは模造品にすぎません。巷ではまことしやかに、王国の秘宝庫に本物が収蔵されているという噂が囁かれてきました。ただ申し訳ございませんが、わたしどもの窺い知る限りで、そうした幻の収蔵品は存在しないはずでございます」
「わたしも存じ上げませんわ。おそらく、王国で所有しているのではないのでしょうね」
「まさに、殿下の仰せの通り。つまりこの武具一式は、その当時の話を伝え聞いたものが制作しました、イミテーションということでございます」
すると殿下は、隣に飾られた建国当初の統一戦争において、大きな働きをしたと伝わる近衛隊隊長の鎧と、見比べた後疑問を吐露された。
「伝説を元に作成したのであれば、なぜこのように、一般的な鎧と比べて小さめな作りなのでしょうね?」
「それは、でございます。この鎧を作成するにあたって手本にされた、市民聖堂にかかる『勇者降臨』という絵画をご存知でしょうか? いやもちろん、何度もご覧になっていらっしゃるでしょう。あれに描かれた、齡八歳と伝えられる王女との体格比から、勇者は小柄と判断されたためと伺っております」
それを聞いて、殿下は反論される。この話でピンとくるのは、さすがに聡明と感じる武具宝物庫支配人ゴール。
「わたしも何度も拝見しました。けれどもあの絵の王女が八歳であれば、一般的な鎧の大きさでよいのではと思います。わたしも、八歳の終わりで身長はとまってしまいましたから」
「それは、建国当時における八歳でございますから。つまり現在でいう、六歳程度の身長と想定されたのではないでしょうか?」
大昔、一年が三百六十日だったとは聞くものの、いつごろの話なのか記録に残されてないため、建国時ならそれくらいであろうはず。そのように制作者が考えたと教わってきた。殿下も今年十二歳の誕生日を迎えられ、ごたごたで遅れに遅れたものの、もう成人の儀が執り行なわれなければならない。つまり当時なら、十七の歳も数えられていようか。
「そうなのですか……」
たしかに天から降りてきた、神のような強さの勇者だ。少なくともマーガレッタ隊長以上の身長と、その一回り以上立派な体格が期待されてもいいのだろう。しかし、実際は十四歳程度のやや華奢な男性の体格しかないのが、不自然に見えるのは仕方ない。
とはいえこの鎧は、王国でも入手しにくいと言われる、温血獣の柔らかい革を使用したもの。その上に青銅の粉の混ぜられた塗料を塗って仕上げてある。つまり実用品というより、芸術品としての値打ちのある一品として認識されているのだ。
殿下は納得したものの、さらにマーガレッタ隊長から質問が続く。
「ときに、勇者は光臨したとき、二つの剣を、持っておられたと伝わっているのでしょう? たしか稲妻剣・ライティンブレードと、剃刀剣・シャープソードでしたね。なぜこの展示は一本なのですか?」
「は、はい。マーガレッタ隊長はこの伝説をすべてお聞きになった、とおっしゃっておられましたのでご存じかと思いましたが。稲妻剣・ライティンブレードは一度使うと神霊の力を失って、物理的な鋭利さだけの、剃刀剣・シャープソードに姿を変えた。そうした言い伝えなのですが、そのときご説明はございませんでしたか?」
「そうでしたか。そのあたり、よくわからない歌で語られていたと思うのですが、当時は理解できなくて……」
なるほど。先代の近衛隊長という方と面識はないが、謡の上手な人ではなかったようだとゴールは理解する。
「ただ、お手に取っていただくことはかないませんが、この剣は青銅製、しかも中空のつくりで鎧と同様、見た目を重視したもの。もしもくだんの勇者、ゴードフロイさまが全力で打ちつけられたとしても、板一枚切れる代物ではございません」
「そうなのか?」
「はいマーガレッタ隊長。おそらく、この剣のほうが曲がってしまうでしょう」
「展示物でございますので、間違って触られてもいけません。刃も研がず、切っ先もまるく加工してございます」
「なるほど、これはなまくら中のなまくらというわけですね」
二人の女性の笑い声が展示室内に響き渡って、ゴールの仕事は終わりを告げた。今度からこういうケースがあったら、きっとだれか下のものにでも、代わってもらうのだと心に決めながら。