第〇〇一三話 黒衣(もふく)と集まる好意
鐘が三つ続いて鳴った。
日の方向から昼を大きく過ぎたころと思えたが、まだユスカリオとクリム嬢はいろいろと、小屋の中に住む生き物の世話を焼いている。
世話といっても檻や部屋の掃除以外、生き物自身の洗浄や屋敷裏口から出て行ける囲われた庭で、散歩させるといった雑用にすぎない。ただすばしっこいヤモリのような類もいるらしく、庭には高い位置まで、細かい網状の覆いが、何重も重ねて施されているようだ。
「ミリアンルーン殿下の、お越しでございます!」
突然衛士らしき男の声が聞こえたと思うと、玄関が開けられ、複数の人間が飼育小屋を訪れる。とは言えミリアンルーン殿下以外は、昨日の聖戦士マーガレッタとリムルの二人であり、衛士数人といえば屋敷の外で待機していた。
昨日とは違い、ミリアンルーン殿下もマーガレッタ隊長も、黒を基調とした、シックな礼装といったいで立ちである。マーガレッタ隊長の、ボリュームが有りそうな胸もとに異様に目立つのは、短いチェーンで付けられた大きな十字架。金と銀の輝きの混ざる、特殊な金属から放たれた光が、やけに印象的に残った。
何かあったのだろうか、心なしか昨日と比べ、二人とも口数は少なく、しんみりしていると思える。と言っても、自分たちの心安らぐ場に『帰ってきた』彼女らは、各部屋の冷血獣たちに声をかけながら、明るい雰囲気に戻りつつあった。
すでにスケジュールは押さえていたのだろう。クリム嬢とユスカリオは、ラーゴの納められた部屋の前に立ち並び、ミリアンルーン殿下を迎える姿勢が整ったところだった。
「クリム、日々この場所を維持するための、赫赫たる労を多としております」
「ミリアンルーン殿下、身に余る光栄でございます」
どうも二人の行動を見ていると、高校生くらいの演劇部の練習にもみえるが、このやりとりは本気に違いない。お互いにいつものやりとりなのだろう。堂に入ったものだ。一方、ユスカリオなど下々の者にまで、殿下から直接、声がけがなされることはなかった。
「さて、わたしがラーゴと名付けた子はどこにおりますか?」
「殿下、こちらにございます」
部屋にクリムとミリアンルーン殿下、そしてマーガレッタが入ってくると、さすがにやや狭苦しく感じられる。
「まあ、起きてますわ。目を開けると、なおかわいい! まあ! マア! 歩いているわ」
やにわに騒ぎ立てる、年頃の少女の顔を初めて直接見上げたラーゴ。その目には、こういった獣を愛好しているからだけでない、慈愛の力があふれ出るのが伝わってきた。同時に、根元で自分と相通ずるところがあるようにも思え、強い親近感 ── 結びつきが感じられる。
「さっそく御下賜たまわった名札も、昨夜のうちに取り付けさせていただきました。それが、驚いたことに……」
それは自分の鳴き声についてだろうと察知したが、リムル女史など懐疑的な目もあるのだ。
(─ リムル女史に、あまりわざとらしいのは聞かせられないな)
「こんなふうに鳴くんですわ」
「ら~」
いささか期待を裏切ってみた。
「本当に! ラーゴって言いましたね!」
それにもかかわらず、拍子抜けするほど殿下のテンションが上がる。
(─ 言ってないよ。『ゴ』までは発声しなかったから)
「いえ殿下、ラーゴとは聞こえませんでしたが」
冷静なリムル女史、ナイス突っ込みです。
「あら、おかしいですわ。たしかにラーゴと朝から何度も鳴いておりましたのに」
期待を裏切られたとばかりに、ラーゴはクリム嬢から睨まれているが、ここは無視させてほしい。
「生き物の鳴き声ですから、聴く人によっても様々に聞こえるのでしょう」
(─ 今度はマーガレッタ騎士殿、いや、ユスカリオの話では近衛隊長殿でしたか、そうそう。そのように捉えていただきたいです)
「らら、ら~、ご」
思いっきり『ご』は小さく、遠慮がちに付け添えてみた。
「そうですよ! あなたはラーゴ。わたしがあなたに授けた名前ですのよ」
「らぁごぅ!」
思いっきり嬉しそうに、顔を振って鳴いてみる。マーガレッタ隊長の前で、先ほどの魅了の魔力が漏れたりすれば、即、断頭台送りは間違いない。だがそのとき ──
「カワイイー!」 と絶叫したのは、いままでもっとも警戒されていると思われた、マーガレッタ隊長さんだ。「なんてかわいい冷血獣なんでしょう。昨日は寝てばかりいましたから、わかりませんでしたけど、愛らしい瞳!」
(─ え? そうなの? あっそうだ、この人も一応、爬虫類好みなんだったか。クリム嬢なども、そもそも志願したのではないかと思えるし、ここにはゲテモノ好きな女性ばかりが集まってんだ。魔物とか魔族に比べるから、見かけの割にかわいいとかあるんだろうか?)
動いて甘える自分の姿を、俯瞰して見ていないので自信はない。小猫でもイメージしてかわいぶったのだが、まあ、受けたということで良しとしよう。
「ダメですよ! マーガレッタ。ラーゴはわたしのものになったのですから」
(─ おおうっ! もしかしたら、朝のクリム嬢の反応は、小動物に向けられる母性愛とか、保護欲という、一般的な感情なんだろうか。あの反応が魅了の魔力の効果なんて、考えすぎだったのかも?)
── と、ラーゴは認識を改める。
自身が慮って献上したラーゴを、『自分だけのもの』宣言されたマーガレッタ。とはいえさすがに、王女殿下相手には面と向かって反論出来ず、口籠もるように不平を漏らした。
「いえ、やはり ──。そ、そうです、まだ魔族じゃないと決まった理由でも無いですし‥‥」
(─ それが魔族らしいんですよ、隊長さん。ばれなきゃいいけど)
そうは思うが、口には出せない。いささかの躊躇の後に、マーガレッタは続けた。
「しばらく様子を見ると言うことで、私の手元に置くというのがよいと、大司祭もおっしゃっていましたから……」
「それは、あなたが昨日、この聖域に入れ、ガニメデの聖水を飲ませて大丈夫だと報告して、なくなった話ではありませんか!」
自分が取り合いになっているのは嬉しいものの、今後の自分の運命が不安定で心配なような、複雑な気持ちである。と言ってもここに口出しは出来ないので、また寝たふりに戻って静観した。
しばらく揉めていた殿下と隊長だったが、大司祭の鑑定を受けさせねば、と言い張る殿下には近衛隊長でも逆らえない。それでも、まずは手順を踏んでと、ガニメデの泉で水浴びすることになった。
ここでもユスカリオは、外へ出して逃げ出されれば自分の進退に関わると慌てたように抵抗したが、真意はそこにはないだろう。魔族の係累と知っている、自分の身体を気遣ったようだ。
結局逆らいきれず、クリム嬢の手により、ガニメデの聖泉で行水ということになる。
(─ しかし、外は冬真っ盛り。いくら何でもひどいと思う)
「ユスカリオ、その桶に泉の水を満たして下さい」
小屋から五十メートルほどのところに、泉が湧いていた。ガニメデ神殿の聖泉、通称ガニメデの泉と言われるものらしい。建国以来の伝説でうたわれてきた、聖泉の湧き出る場所なのだそうだ。
リムル女史が『聖水をこのようなことに』とかなんとか、またまたブツクサ言っていたが、だれも王女殿下には逆らえない。昨日同様、おっかなびっくりのユスカリオが、手際悪そうに作業を行なう。
「クリムさま、このようなものでよろしいでしょうか?」
クリム嬢の腕に巻きついて、しがみつくラーゴ。といっても身体の比率としては、けっこう細く胴長なダックスフントに、その胴より少し短い目の、しっぽがついている感じといえた。
さらに三本の指を持つ、爬虫類特有の四つ足が伸びる。実を言うと、指先に鋭い爪が隠れているが、これは出し入れ自由なのだ。とりあえず引っ込めて、危険な雰囲気を少しでも隠そうとしてきた。鱗も身体一面にあるようだが、自分で見た限りでは、爬虫類のものというより魚のそれのようである。しかもまだまだ、薄く柔らかい新生児用の鱗にすぎない。色はきれいで、どちらかというと太刀魚など青魚の鱗に似た感じだ。
さて、冬真っ盛りに近い寒空の下、お城の建物にしっかり囲まれた中庭である。だから『寒風吹きすさぶ』とは言わないまでも、傾いた日光は届きにくい『外で』の水浴びは、いかに冷血獣といえども寒くて辛い。
だがユスカリオが、桶に泉を汲み出している最中、ラーゴは気づいた。
(─ これは ── 温泉じゃないんだろうか?)
いや、アツアツの温泉ではないかも知れないが、感じ取れるのは少なくとも気温、あるいは地下水温とも思えない暖かさ。
じっと見つめると、人の好意が伝わってくるように、泉の水の温度がわかるようだ。水を注視する視界の真ん中に、ぼんやりとゲージっぽいものが現れ、その指針は中心よりやや上を指している。直感でラーゴは中心が自らの体温を示すと理解した。
(─ といっても自分は冷血獣ではないのだろうか ── ?)
なんとなく摂氏四十度程度という気がする。ただその単位が、この世の中の現代、しかも彼らヒト社会に、通ずるものであるかどうかはわからない。
いよいよユスカリオの心配そうな顔をよそに、自分の身体がクリム嬢の腕から、温泉のお湯で浸されて行く。もちろん今は、昨日マスターしたばかりの結界を、ぴったり身にまとった状態だ。
何の問題もなく、結界越しに温泉を感じて気持ちがいい。いわば、ナイロン袋に手を入れたまま、湯桶に突っ込んだのと同様、温泉の恩恵は受けられている。
(─ いい湯加減だ、いっそ潜ってしまおう)
ザブンと勢いよく頭をつけた瞬間、頭の上から、いや脳裏に直接曇った声が響いた。
{オカエリナサイ ──}
(─ え? だれがしゃべったの? 殿下か、クリムか?)
そのどちらでもない声が、ラーゴの頭の中に響いた感じだった。やや曖昧だ。
(─ いや、そんな気がしただけかも知れないな)
温泉を楽しんでいるのがわかると、もはや用はないようで、さっさとラーゴの身体は引き上げられ、柔らかい布に包まれた。名残惜しいが、またユスカリオに頼めば何とかしてもらえるだろう。
水分を ── といっても結界の外のだが ── 拭き取られた自分を、自らの腕に引き受けたのは、ミリアンルーン殿下であった。クリム嬢の作業着とはちがい、袖が手首まであるドレスには絡みつきにくかったが、親愛の情を示す機会だ。
精一杯巻きついて登って行き、結界を張ったままでは首筋にキス ── というわけにいかないため、ポーズでペロリと舌を出してみる。結界越しであっても、さすがに王女の首筋をじかになめるのは控えておいた。
「あらら。ラーゴったら、今わたしを舐めようとしましたわよ」
よほど気に入られたのだろう。王女殿下は腕にからみつかせたまま、最後の関門、大司祭の鑑定に与るべく、ラーゴを王城の中へと連れて行くのだった。