第〇〇一二話 魅了する冷血獣(ヘテロサム)※
「まだ寝ているのね、本当にお寝坊さんですわ。ラーゴ、今日もすてきな朝よ」
どうやら、すでに日は高く上がっている。首輪の力で ── あるいは徹夜が響いてか、いずれにしろ自分は、ずいぶん長く寝入ったようだ。
クリム嬢の声でとりあえず目覚めると、昨夜いただいたクリームシチューの皿が目に入る。中にお粥のような ── どうやら米の類でない ── 粒が混ざった流動食が、檻内へ差し入れられたのを確認した。目を覚ます前から、自分用に今朝の朝食として準備されていたものらしい。
そっと頭をあげてみると、自分と檻ごしに、少し距離をとってのぞき込むクリム嬢が見える。おおよそ十五歳前後 ── 中学校高学年といったところだと思うが、あるいはもう少し下とも感じられた。この年代の人間の子供 ── しかも少女が、育ちによってずいぶん見た目に差異のあるのを、なぜかラーゴは知っている。
メイド服に近かった昨日よりも、ぴったりとした作業着に身を包み、髪型や飾りも簡素ながら、少女の魅力を隠しきれていない。変な誤解を恐れなければ、しゃべり方や衣服の色などを度外視して、胸や腰のあたりの曲線が、女である主張を始めつつあるお年頃だ。わが飼い主で名付け親ともなった、王女殿下とともに思春期というやつだと思われる。
それでも貴族の娘にもかかわらず、朝からこんなところで糞にまみれて、爬虫類 ── もとい、冷血獣の館の支配人などしているのだ。しばらくサロンに浮き名を流す機会も巡って来るまい。
(─ ンー、しかしこういう、『既成概念』とも言う知識はなんなのだろう。魔の力というわけでもなさそうなんだがなぁ‥‥)
「らぁごぉ」
昨夜、成り行きから決定した定番の鳴き声で、なんとなく『グッモーニン』とか『おはようさん』的な声を出してみる。
(─ いや、『おはようさん』とかいうのは‥‥、朝の挨拶だったよね)
もちろん孵化して以来、人間が自分に『今日もすてきな朝』なんて挨拶を、してもらえるようになったのは今が初めてだった。本日まだだれからも聞いたわけではない言葉だから、またぞろ出自のわからぬ『既成知識』というやつに違いない。
「まあ、ユスカリオの言う通りですわ。ラーゴの鳴き声は『ラーゴ』って聞こえますの」
「クリムさま。鳴き始めたのは名前を付けて呼んだ昨日からですから、あるいは人真似鳥のように、人の言葉を反芻できるのかも知れません」
このユスカリオという男は、あまり記憶力がよくないようだ。いや、あるいはわざとそう言うことで、自分が怪しまれぬように、カモフラージュしているつもりかも知れない。実際自分が『ラーゴ』と口走ってしまったのは、名前が書かれた金の首輪を、はじめて見たタイミングである。ユスカリオにその名で、呼びかけられた後のことではなかった。
察するに昨日、ユスカリオが気を使っていた様子から見ても、ほぼカモフラージュの線で確定だ。しかし人真似鳥とは、キュウカンチョウとかオウムのことだろうか。それはそのフリを続けるため、後々とんでもない努力を要しそうなので、鳴き声は『ラーゴ』固定とさせていただきたい。
そんなこちらの思いにもかかわらず、それを聞いたクリムの声は、歓喜で裏返った。
「そうなの? もし本当だったら、さぞかし殿下がお喜びになると思いますわ」
おかしな期待を膨らませないでほしいのだが。
そんなふうに言いながらも、クリム嬢は自分に警戒心を抱いたままのようで、まだ檻の入り口を開けようとはしない。ユスカリオに次いで、もっともお世話してもらえる時間が長いクリム嬢に、距離を置かれていては何かと不都合と思われる。ここはかわいさアピールだ。
「らぁごぅ」
体をのばしてかわいく鳴くと、クリム嬢に対してやや下から覗き込み、視線に『クリム、大好きだよ』というアピールを乗せた。この気持ちの伝達が聖域の力に阻害されてはいけない。朝方まで練習していた結界を、クリム嬢の体全体が包めるまで、大きくとって切り替えてみた。
すると、自分をのぞき込み始めた、クリム嬢の表情が変わっていく。ついに顔が上気し、急に恋する乙女が見せるような、ウルウルの目になった。
(─ ヤバい!)
これは自分が無意識に発していた、いわゆる魔族特有の力。他を魅了する魔力とかいうやつなのかも知れない。
(─ そうでもなけりゃ、この気持ちの悪いトカゲを、だれがウルウルした目で見るんだ)
クリムの外に張った結界はあわてて戻し、さっさと目を閉じてゴロゴロっと、体全体でのかわいさアピールに切り替えた。
「ラーゴ、かわいいですわ!」
こちらが止めたつもりでも、先ほど使ってしまった魔の力に由来するなにかは、遅延効果でも持つのだろうか。あるいは自分の気づかないところで、突然好評を得る発見があったのかも知れない。いずれにしても先ほどまで、やや警戒心を抱いていたクリム嬢の評価は、幾何級数的に跳ねあがったままに思える。檻の扉を慌てたように大きくあけ、差し込んだ両手でラーゴを撫でてくれた。
昨日、ユスカリオにやったのと同様、手に絡みついて親愛の情を表現しておこう。やはりこの年頃の女の子の腕は、痩せぎすのおっさん ── ユスカリオは五十がらみだろうか ── のごつごつした腕より、プニュプニュ感がとても心地よい。栄養が行きわたっているようで、骨ばってもないし、肌もすべすべだ。
そのうち、別室の掃除をしてきたらしい、ユスカリオが顔を出した。
「クリムさま。昨夜ある程度確認しましたので、凶暴性はないようですが、お腹のすいたときにかまうと、食べものと間違えて噛みついてはいけません。先に餌を与えてやっていただけますでしょうか」
「そ、そうね。でもぅ、ラーゴは動き出すと、とてもとてもかわいいのですわ」
なかなか行動に移そうとしないクリム嬢に、促していたが埒が明かず、朝ごはんは結局ユスカリオが差し入れてくれる。クリム嬢の評価が、著しく変化したのに驚いたのか、少しジロっと見られた。しかし魔力の行使 ── があったかも知れない事実 ── は、バレなかったようだ。
その後食事する自分を、クリム嬢がかぶりつきでガン見する様子を不思議に思ったらしく、ユスカリオは何度も確認に来るのだった。




